裕一郎の初恋
自慢じゃないが、俺は恋をしたことがない。
いままで可愛いなと思う娘がいなかったわけじゃない。
だけど、みんなでいるときはニコニコ可愛い子ぶっているのに、裏では悪口言っていたり嫌がらせをしていたりする女子の様子を見てうんざりした。
そもそも裕一郎には歳の離れた姉がいる。小さい頃は非常に姉になついていた。だが裕一郎が大きくなるにつれて、ただただ溺愛してくれていた姉が、溺愛と横暴を繰り返すようになる。
気分でめちゃめちゃ可愛がったり、理不尽な命令をしてきたり。姉という強者に振り回されるのはいつだって弟なのだと幼心に知ったのだ。
それはちょうど裕一郎が思春期に入った頃、姉は今の旦那様である彼氏を家に連れてきた。
彼氏の前でキラキラする姉の、普段の家での様子との違いに驚いたし、心底うんざりした。甘ったるい声と媚を売るような視線。これが女なのかと鳥肌が立った。
世の中にはもちろんそうではない女性もいることはわかってる。姉のその様子もそれだけ見ていれば仕方のないことだと思えたことだろう。だが、タイミングが悪かった。
小さな頃から仲が良かった夏樹が、茉莉花をかばってキモオタの称号を得たのだ。
茉莉花は、さばさばした性格とゲームが大好きなことから悠一や夏樹と仲が良かった。イケメン昂輝の硬派な態度とは違って、性格も柔らかく運動も勉強もできるイケメンな悠一は、人当たりも良く女子ともフレンドリーだった。その悠一と距離の近い茉莉花は、女子からの妬みつらみを受けて嫌がらせを受けたのだった。
それを一言でぶった切った夏樹は、格好が良かった。
だが一方で、俺は茉莉花が許せなかった。
夏樹がかばった後、悠一も茉莉花とほどほどに距離を取ったおかげで、ずっとクラスの中心で笑う茉莉花。夏樹を踏みにじってまでもその立場がそんなに良いものだなんて思わなかったし、優しくて明るくてみんなから好かれる茉莉花が俺には好ましいものだと全く思えなくなった。
学校で全く口をきかないくせにSNS上でこっそりとつながっている茉莉花が腹立たしかった。
女子にうんざりした。
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いつものように放課後は店の手伝いをする。親父が経営しているカフェのバイトだ。
気づいたらいつの間にか家の手伝いがわりにやっていて、高校に入る前には小遣いがわりにバイトとして皿洗いだけじゃなくウェイターもこなすようになっていた。
自営業だから当たり前だが、休みはほとんどない。年に一度、家族揃って一泊二日ほどの旅行に連れてってくれることが親父の精一杯の家族サービスだった。
食事は、厨房でまかない食を食べる。これも日常だ。母さんは店の手伝いのほかに近くにパートで出ていて、親父の作る料理が我が家の食事だったし、家庭料理だった。常連さんもいたし味もそれなりに美味しいらしく、俺が中学に上がった頃には店内を改装しおしゃれな洋食屋から小洒落たカフェに転向した。家族経営の店は、姉が大学で家を出て一人暮らしを始めてからは、俺がバイトを引き継ぐ形だった。
元々夏樹と同様に人見知りで、家で一人オンラインゲームで遊んでるのが楽しい人種だったから、家の手伝いで放課後や休みを奪われることも不自由なく、却って時間の融通がきく手伝いはありがたかった。店が終わってからの夜、友達とオンラインでつながるのは楽しかった。
周りが彼女ができたりとかそんなのは自分とは無縁と、野郎と馬鹿なおしゃべりをしながら戦闘に明け暮れる日々だった。
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その日は地域の公立中学の卒業式だからか店は余計に賑わっていて、裕一郎の卒業祝いは厨房でちょっと豪華なまかないを食べて終わり。「おめでと」と皿を父さんが差し出して、食べてる最中に母さんが「おめでとう」とポンと肩をたたきながら横を通り過ぎた。日常だ。
店にやってくる客が家族で「卒業おめでとう!」とグラスを合わせるのを横目にいつも通りバイトに励んでいた。
その中の一組、いつもはたまに一人で昼休みに来てランチを食べるおっさんが、家族を伴ってやってきた。例に漏れず「卒業おめでとう!」と祝っている。
「お父さん、いつもこんなに美味しいお店で食べてるの、ずるいな〜」
「たまに、だ、たまに。頑張った時とか、頑張らなきゃいけない時、ここのスペシャルプレートが堪らなく美味い!」
「お父さん、カロリー大丈夫?心配だよ」
「娘に心配されるなんて嬉しいわね、あなた」
「ぼくもぼくも、お姉ちゃんだけじゃないよ、ぼくもお父さんの心配してる!だからぼくがそれ食べてあげる」
「もう、食いしん坊なんだからー。お姉ちゃんのをあげるよ」
「やったー。さっすがお姉ちゃん、ありがとう!」
「あおいはいつも優しいなぁ」
「本当にそうね。思いやりのあるお姉ちゃんに育って、嬉しいわ」
「ああ、自慢の娘だ」
「もう、おかずひとつでそんなに褒めたら恥ずかしいよ。子どもじゃないんだから」
「じゃあ、褒美にこれをやろう!」
「きゃー、やめてよっ、お父さん!プチトマト嫌いなの知ってるでしょ〜」
楽しそうな家族の会話が聞こえてくる。仲がいい家族なんだな、とほほえましく聞いていたけれどもお姉ちゃんと呼ばれた女の子の姿を見てその考えはきれいに飛んでいった。
芯の強そうな瞳にすっきりとした顔立ち、控えめな服装に柔らかな微笑。
見入ってしまった自分に、自分自身驚いた。だけど、と自分で打ち消す。
どうせこんなおとなしそうな顔をしてたって性格悪いんだろ、思いやりのあるお姉ちゃんを演じているだけなんだろうと。
俺は最低な性格のひねくれた思春期の男だった。
その後もその家庭の雰囲気は暖かく終始なごやかで、漏れ聞こえてくる声も柔らかく笑い声が絶えない。だけどそれですらどうせ作られたものなんだと勝手に思い込んだ。
会計の際、父親である常連のおっさんがいつも通り「今日もおいしかったよ、また来るね」そう言って笑顔で支払いを済ませる。
その後、父親の影に隠れるようにいた彼女は控えめに笑って「おいしかったです。ごちそうさまでした」そう言って夜の闇に吸い込まれるように消えていった。朗らかに「ごちそうさまでした!」と言って姉ちゃんの後を追いかける弟が微笑ましかった。
そして春休みのある日、その女の子はこれからランチに差し掛かると言う時間に一人、ふらりと店に現れた。
この前の晩と同じようにアイスティーを頼んだ彼女は、それから三十分ほど本を読み時間を過ごした。十二時を過ぎたあたりで彼女の父親がやってきて彼女の前に座るとランチメニューを二人分頼んだ。この間の夜の状況と何ら変わることなく、父親と二人きりであっても楽しそうに笑いおしゃべりをし、おいしそうに食事をとる。
ついつい盗み見て、盗み聞きもしている自分にはっとする。
(いやいや、いま店、そこまで大忙しってわけじゃないからな、余裕があるからつい様子を見ちゃってるだけだし、っつか、この間の晩と同じアイスティーを頼んでいることに気付く俺、キモいわ)
一人毒づくが、それすらもキモい。
食事が終わるとおっさんはレシートを握り締め、一人だけ席を立った。レジでいつものごとく「うまかったよ、ごちそうさま」と言って支払いをすます。俺が彼女のいるテーブルに視線を動かすとおっさんは、ああ、と「娘はもう少しいさせてやってくれ」とにこやかに言った。食後のデザートとアイスティーを前に、彼女はまた一人で静かに本を読み始めた。
それから一時間ほど店内で過ごし
「おいしかったです。ごちそうさまでした」
控えめな笑顔でそう言って彼女は店を後にした。
それから春休みの間にもう二度、彼女はうちの店に訪れた。
一度目は一人でおやつタイムを過ぎた夕方にやってきて、デザートとアイスティーを飲んでのんびりと過ごしていた。
(服装は相変わらず控えめで、好感が持てる、ん?好感ってなんだ!服に騙されるな、見た目じゃ、人はわからないんだからな!)
だけど。
「今日は、一人なんですね」
俺は思わず、そう声をかけていた。
(いや、これはアレだ。彼女の人柄を試すためのものであって、決しておしゃべりしたいからとか、興味があるとかでは断じて無い!)
ん?そもそも、なんで試す必要あるのかな?
俺のうるさい脳内に当たり前だが気付く様子も無く、彼女は本から視線をあげると柔らかく微笑んだ。
「はい。今日はこのままここで夕ご飯まで頂いていこうかと思ってます。あの、長居したら迷惑です、か?」
「まさか、店は空いてるし。お茶してデザート食べて、夕ご飯まで食べて行ってくれるお客様は、神様でしょ」
「でも、夕ご飯もわたし一人きりなんです」
「一人ご飯の客は、珍しくもなんともないよ」
「そっか、そうですね。ありがとうございます。母と弟が出かけてて、父は会食の予定が入っていて。終わったら父と一緒に帰る事になっているんですけど。両親が心配症で」
「優しい親なんだね」
「もう高校生になるのに恥ずかしいです」
「大事にされるのは悪いことじゃない。…邪魔して悪かったね。じゃあ、夕飯頼む時は呼んでください」
「あ、ごめんなさい。いっぱい喋っちゃって」
「全然大丈夫。どうぞ、ごゆっくり」
彼女は微笑んで、また本に視線を移した。
夕方、店に人が入り始めたころ俺は呼ばれて、オーダーを取る。食事を運び届けて二言三言、どうでもいい会話をしてその場を離れる。おしゃれな会話も出来ない気の利かない男だと思われたことだろう。
料理に目を輝かせて美味しそうに食べる彼女を遠くから眺めている自分に気づいて、やるべき仕事を探す。あんな風に嬉しそうに笑うのも作り笑いに決まってるだろと頑なに自分自身に言い聞かせる。
帰りにレジで「美味しかったです」とふわり笑う彼女も、俺みたいに心の中は真っ黒なのかなと思わず小銭を握りしめてしまった。
二度目は春休みも終わりのもうすぐ高校の入学式という時、友人だと思われる女の子を伴って彼女はまた店に訪れた。互いに軽く会釈だけすると後は、無言で接する。
だけど、視線はつい彼女を追ってしまう。
友人と楽しそうに笑う彼女を見てほっとしている自分。服装も今までと変わらない雰囲気で、外見上は使い分けしている感じも無い。
彼女の様子は、先日家族と過ごしている様子とあまり変わらないように思う。笑顔も話す声のトーンも、口調も表情も。
穏やかで柔らかい話し方に時折友人からツッコミを入れられるのか、話のテンポが速くなったり、黙り込んだりしているようだけれど、見ていて微笑ましいと感じさせるものだった。そう、微笑ましいのだ。
その時になって、彼女が表裏のない優しい女の子であることを望んでいる自分がいることに気づいた。
(そう、これはきっと、良いお姉さんってものに憧れているんだな、きっと!良いお姉さんに飢えているんだ)
自分自身を納得させる考えが浮かんで安心する。
二人で楽しそうに食事を済ませしばらくおしゃべりした後、「じゃあね」と友人だけが店を後にした。
一人になった彼女に声を掛けられてオーダーをとる。紅茶のおかわりだ。
「長居しちゃってすみません」
少し申し訳無さそうに目を伏せる。
「満席じゃなかったら、ずっといたって大丈夫ですよ。閑散としているよりは誰かがいた方が店にとっては良いし、それに今日は一人集客してもらっちゃったし」
俺の言葉に彼女は、ふふと笑った。
「まあ冗談だけど、でも混んでなきゃ気にしないで良いよ。ちゃんと注文してくれてるんだし。俺の友達なんて、ハーブティー一杯で粘り続けることもあるよ」
幼馴染の様子を思い出して俺は、ニヤリと笑った。
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入学式、彼女の姿を探した。
だが、いない。
店で読んでいた本のタイトルから、偏差値がそんなに低い高校ではないだろう事は推測できた。市内であるなら同じ高校に進学したのではないかと淡い期待を寄せていた。
だが、いない。
馬鹿な俺は大勢の新入生に埋もれて見つけられなかったのかもしれないという期待を捨て去ることは出来なかった。
期待???
なんじゃそりゃ。ああそうそう、良いお姉さんかもしれないっていうね、そういうやつね、うんうん。
自分への言い訳がどんどん酷くなっているのはわかっている。だけど、自衛だ。好意を認識した後に彼女が陰険な女だと知ったら、立ち上がれない。
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「入学おめでとう!」
夜、店で家族から祝われる彼女の姿があった。
「それにしても、この店、だいぶ気に入ってくれたようで嬉しいな」
「パパったらうれしそうね。そうよね、私の手料理よりもこの店のほうがいいなんて言うんだもの」
「そんな言い方してないじゃない。何が食べたいかって聞かれたからこの店を言っただけでしょ。ママの料理だって美味しくて大好きだよ」
「お姉ちゃん、僕もここのお料理大好き!おいしいよね」
「ねー!パパに連れてきてもらって本当によかった」
漏れ聞こえてくる会話が俺は心底嬉しかった。誰かが何かの記念やお祝いに親父の店を選んでくれる事は、これ以上ない誉だ。
その日は他にも入学祝いのため家族で訪れる客で店は大忙しで、もちろん彼女の家の様子だけを見ていると言うわけにもいかなかったが、それでもなるだけ彼女の情報を集めようと動いている自分に気づいた、気づいてしまった。
沢山の客と仕事を捌いているうちに、その日もいつも通りおっさんは「うまかったよ。ごちそうさま」と言って店を出て行った。その後、彼女もまたいつもと同じように控えめに微笑んで「美味しかったです。ごちそうさまでした」とにっこり笑って帰って行った。
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学校に行くと毎日、彼女の姿を探した。だけど見つからなかった。
そんな毎日が一週間ほど続いたある日の放課後、彼女が店にやってきた。ここで友達と待ち合わせだと言った。
「高校が離れてしまって」
そう言って彼女は寂しそうな表情を浮かべた。
「でも高校生の良いところはこうやってカフェでおしゃべり出来るところ」
そう言って微笑んだ。
「俺の友達なんて小学生の頃から、うちの店に居座ってるけど」
「それは、お友達だから、でしょ、えっと、その」
「ああ、裕一郎、俺の名前」
「裕一郎、くん…。あ、わたし、あおい、葵っていうの」
「葵ちゃん…、よろしくね」
そのまま、うちの店にやってくる俺の幼馴染達の話をした。葵はにこにこと聞いていたが、時折笑いを堪えきれないのか、口を手で押さえている。その様子が家族や友人と一緒にいるときと変わらない感じだったので勝手に安心した。
気さくに笑う彼女は制服姿で。どうやら隣の大きな町の進学校のようだ。これで一緒に過ごす高校生活は無いことが確定したらしい。
話しているうちに「お待たせ」と言って現れた友達はと言うと俺と同じ学校の制服を着ていた。
その時になってようやく俺は、彼女のお友達の顔をよく見ていないことに気がついた。向こうは俺が同級生だと知っているようでこの間は挨拶をすることもなかった彼女の友達が、ペコリと頭を下げた。俺も同級生ならばと同じように頭を軽く下げた。
二人はおしゃべりを楽しんだ後、一緒に揃って店を後にした。いつも通り「おいしかったです。ごちそうさま」そう言って店を出て行った。
次の週にも彼女は制服姿で店にやってきた。「今日は一人なんだ」と言ってテーブルに課題を広げた。読書を邪魔するのは気がひけるが、課題だと少しはおしゃべりしても許されるんじゃないだろうかと訳の分からない理屈を脳内で展開し、アイスティーを運んで行きながら、葵に声をかけてほんの少し話をした。ころころと笑う彼女だが、弟に向けているものと同じ微笑みを向けられて、俺は少し複雑な気持ちになった。
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あの日、店で夏樹や悠一達と盛り上がったあの日、
彼女もまた友達と二人で訪れておしゃべりしていた。
彼女が店にやって来たのはわかった。夏樹達と盛り上がっていたけれど、視線で「いらっしゃい」の合図は送ったつもりだ。彼女もわかったのだろう。微笑んで、その後は友達との会話に集中しているようだった。
夏樹達が帰ったら葵のところに顔を出そうと思っていたけれど、そのまま夕ご飯をみんなで食べることになって。
気づいたら、葵は帰ってしまっていた。
そして、葵は店に来なくなってしまった。
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放課後、葵の友人を探した。
同じ学校であることを知ってから、すぐに彼女の名前とクラスを調べた。といっても禎丞に聞いただけだけど。集会時に禎丞にあの女の子の名前知ってるかと尋ねたら「あぁ何組の何々さんね」と軽く答えた。こういうときの禎丞はかなりイケてる。誰とでも打ち解けてすぐ話せるから男子はもちろん女子とも交流が広い。お調子者とも言われているが。
彼女の教室を覗いたけれどもその姿は既になく、俺は急いで玄関に向かった。彼女はちょうど靴を履き替えて外に出たところで、俺は慌てて呼び止めた。
「戸松さんっあの、ちょっといい?」
彼女は振り向くと驚いたように俺の顔を見た。人の邪魔にならないように端の植え込みのほうに移動すると俺はおもむろに話しかけた。
「葵、ちゃんが、この頃店に顔出さないんだけど、忙しいのかな。何かあったか知っている?」
「…ああ、うん多分。でも……葵には、穏やかに過ごして欲しいんだ、私」
「それが俺とどういう関係があるのかな?」
「裕一郎くんはさ、陽キャのハイスペックなカースト上位勢でしょう。だからきっと、」
「なんだよそれ」
「…葵、おとなしくて穏やかで、頭もいいし顔だって決して派手では無いけど整っている。それでもって性格もとてもいい子なんだ」
「…だろうね」
「だからいつも学級委員とか押し付けられるようになっちゃって。それがどんどんエスカレートしていって、周りからこき使われて。でも嫌な顔しないで、いつもニコニコ笑ってさ、引き受けちゃうんだよね。それくらいいい子で。そのうちにそれがいじめまがいのことにまで発展しちゃって。私でもそれ、助けてあげられなくて。っていうかどちらかと言えば加害者側にまでなっちゃって、すごく……、後悔してるんだ。だけどそんな私を葵は許してくれてさ」
「戸松さんの後悔が、俺に関係ある?」
「…隣町の高校に行ったのは、新しく人間関係を構築するため。あんなにいい子だもん、穏やかで優しくて、すぐにお友達もいっぱいできるはず」
「そうだろうね」
「だけどここで裕一郎くんみたいな人たちと関わったら、また葵、高校でも辛い思いしなきゃいけなくなる。そんなの私は嫌なの」
「なんだよ、それ。そんなの勝手に決めるなよ」
「だって、あの日」
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あの日、裕一郎の店で二人は待ち合わせをした。違う高校行ったからこそ、こうやってたまに会って美味しいものを食べながら、おしゃべりに花を咲かせるのは楽しい。
前回葵から気になる男の子がいると相談をされた。恋バナだ。しかも相手はと聞くと「あの男の子なの」
と小声で打ち明けられる。まさかこの店の息子とは。
高校に通ってみるとびっくりした。その子がいる。同じ学年だった。落ち着いた雰囲気で、てっきり年上かと思っていた。
頼まれるまでもなく、自然と裕一郎の様子を伺っていた。裕一郎は店での様子と変わらず落ち着いていて、友人も物静かな男の子のようだ。
あー、これなら葵の恋の相手としては大丈夫だ、問題ないと勝手に上から目線で判断していた。その日までは。
店で友達と盛り上がっている裕一郎の姿。しかもその友達が学年一、二の、もしかすると学校一、二かもしれないイケメン男子が二人揃っている。
それにあろうことか裕一郎は言ったのだ。店の厨房に向かって沢山のメニューを注文すると
「親父、それらは全部夏樹のおごりだから」
あとからやってきた昂輝も悪びれることも無く飲み物を頼む、「おじさん、俺のも夏樹の奢りで」と。
思わず葵と顔見合わせてしまった。葵も何か思ったようで、多分それは私と同じ思いだったに違いない。
ただでさえ、陽キャな彼らと友達で、それもかなりの親密な様子に気持ちが波立っていたのに。
それから葵は口をつぐんだ。
さっきまでの楽しかったおしゃべりが嘘のようだった。
葵は言ったのに。
私とおんなじ本を読んでいるんだって。他にも本の趣味が合うみたいで話してて楽しいんだって。話していると穏やかな気持ちとドキドキする気持ちが入り混じるって。
なのに。
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「人を外見や周りの友達で判断すんなよ」
言ってから、自分にブーメランだってことに気づいた。だが、止まらない。
「俺の友達は外見も中身もイケメンだ」
とそこへ禎丞から声がかかった。
「あれ?裕一郎、お前家に帰ってなくていいのか?夕方なんて人の混む時間だろう?あ、悪い、話中だったか。俺邪魔者だな」
ニヤニヤする禎丞。
「あー、違う意味で邪魔だ」
俺は冷ややかに返した。
「俺まだちょっと話があるから、悪いけど禎丞、俺の代わりに店、手伝っててくれないか。もちろんバイト代は払うからさ」
「まじで!俺今月すでに金欠だったからちょうどいい。これでガチャ回せる〜!サンキュー!じゃあ俺店行ってる〜」
禎丞のスキップしがちな後ろ姿を眺めながら、俺はぼそっとつぶやいた。
「あー、ちょっと中身残念なのがいたわ」
だがその言葉に彼女は、
「イケメンだよ、何も聞かず友達を助けることができるんだもん。私はできなかったから」
そう言って悲しそうに笑った。
「とにかくあの時は、夏樹のおごりの事は、誤解だ。無理矢理奢らせたわけじゃないから」
親父に夏樹の奢りと言えば、ボリュームアップのサービスが期待できる、客にバレないように伝える手段だった。実際にエビフライや角切りポテトフライが増し増しになっていた。
「あぁ、うん、最近誤解かもって思い始めてたとこ。高一普通問題がだいぶ浸透している、から」
「ああ…、そっかそうだな、はは。…あのさ俺、…葵ちゃんの連絡先知らないからさ」
「そっか、わかった。じゃあ私、葵を呼び出すよ」
戸松はカバンをごそごそすると、ソッコー葵と会う算段を取りつけた。
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俺は、小さな頃から本を読むのが大好きだった。元々はただの暇つぶしだった。忙しかった両親にかまってほしいとねだるには俺は冷めていたし、暇そうにしていると姉ちゃんに揶揄われるし、ならば店に並んでいる本をと勝手に手に取り読み始めた、それが始まりだった。
ゲーム機を手にした後も本はそれなりに読んでたし、今だって話題の新作や推理ものは絶対にはずせない。漫画だってミステリーとあれば読む。それこそ薬によってちっちゃくなった男の子が活躍する探偵ものだって必ずチェックしている。
葵が手にしていた本を見て、同じ嗜好の女の子がいると興味を惹いた。話してみたら、さらに惹かれた。なのに、まさかこんな誤解されるとは思わなかった。
店に戸松さんと二人で行くと「いらっしゃいませ〜」と禎丞に営業スマイルで出迎えられた。
「三名で。後からもう一人来ます」
客になりきって告げると普通に席に案内された。さすが禎丞。葵は少し遅くなるということで、そのまましばらく戸松と話す。葵が不安に思う要素は取り除いておきたい。
店の扉が開いて、葵が顔を覗かせた。友達と俺が一緒にいるのを見て驚いている。その表情も可愛いなぁとまじまじと見てしまった。今日の俺は、正面から見ることが出来るんだから。
詳しく話すまでもなく、戸松の様子から葵は何かを察したようだった。後から聞いたら「裕一郎くんはそんな人じゃないって思い直してて」って言ってくれた。素直に嬉しい。
「俺の奢りだから、なんでも好きなの頼んで」
俺のセリフに戸松は「じゃあ、一番高いやつ!」と言った。どこかで聞いたことのあるセリフだな。
自分の持てる限りの勇気を振り絞って、葵の連絡先を聞いた。顔を真っ赤にさせて教えてくれた彼女に俺はとりあえず安心した。
帰り際レジで「俺につけといて」と禎丞と会話を交わす。その時、葵が壁に貼られた求人のポスターに気づいた。
「あれ、お店ってバイト募集始めたの?」
父親が俺に気を遣って、いや正確にはこの間の友人達との様子を見て、俺に毎日バイトさせるのは良くないと判断したらしい。俺も葵の存在が気になり出したからちょうどいいと思った。週に一、二度、葵と外で会えるようになったら良いなと一人夢見ていた。
「私、ここでバイトしちゃダメかな?」
だが突然の葵の言葉に俺は焦った。それだとすれ違いになってしまう。内心冷や汗ダラダラの俺の前で禎丞が涼しい顔で言った。
「残念でした!俺、さっき本採用されました〜。俺なら裕一郎と調整簡単だろ?ただ二人が学校行事のときだけ困るなっては店長に言われたけど」
誰だ、禎丞のことお調子者と言ったやつは、めちゃくちゃイケてるぞ。それにしても行動が素早いな。
「なら!私、その時だけ臨時でどうかな?学校違うし、裕一郎くんと調整もできるよ」
「…そうだな、じゃあ親父に面接してもらおっか」
後ろで戸松が笑ったのがわかった。振り返ると物言いたげな表情で見てきてウザいが、まあ女友達ってのも悪くない。
「バイトの希望者ですね、店長に話して来ます」
真面目な顔で禎丞が対応した。踵を返したが肩が震えてる。俺の動揺がきっとバレてるんだろうな。
ああ、わかってる、相変わらず男友達は最高だよ。
葵と戸松を店の外まで見送る。
バイバイと手を振って歩き出してから振り返って見せた葵の笑顔が、誰にも見せたことのない表情で、俺も思わず笑い返した。
正確に表現するなら、ニヤけただけなんだけど。