前世の誓いは嘘ですか
「ま、また目を逸らされた‥‥‥」
私は、そう呟き、教室の机の下で拳を握りしめた。
ユラリア王国のアンダール公爵家の1人娘として生まれたルリ・アンダール、それが今の私だ。
そして先ほど、私の熱い視線から目を背けたのは、この国の第1王子、リシェ・エドワーズだ。
私には、生まれた時から、前世の記憶がある。
かつて、この大陸で最強と言われ、1500年ほど前に栄えたアトランティア王国。
戦乱の時代の最中、アトランティア王国は、強靭な軍の力により大陸を統一すべく各国に戦いを仕掛けていた。
その軍の中で最も恐れられた魔導軍に属し、誰よりも強い炎を放ち、女ながらに涙も見せずに敵を殺す「炎の戦鬼」として恐れられた火魔法の使い手シェリー、それが私だった。
しかし、最強と言われたその国の最後は、あっけないものだった。
前王が戦死した後、新たな王が即位して1年経ち、大陸統一まであとわずかというところで、王の弟の謀反により、軍が二分された。そうして、かつての仲間同士の激しい戦いにより、わずか数カ月で国そのものが崩壊した。
その戦いの中、私は、最後まで若き王、カナン様を守ろうとしたが、守り切ることができず、20歳で戦死した。
敵の矢で射抜かれた私が見た最後の光景は、敵の放った魔法の劫炎に包まれながら、必死に私の名を叫ぶカナン王の姿だった。
「ったく……。なんで、私を無視するのよ。やっと出会えたっていうのに‥‥‥」
リシェ様に出会った時、私は歓喜した。
先ほどから、私の視線から目を逸らしているリシェ様は、シェリーが恋したカナン王に違いなかったからだ。
1年前、15歳になった私は、ユラリア王国の貴族の子女が通う王立学園に入学した。そこで、リシェ様に出会った。
痩せて背の高い体に金色の髪を持つ甘い顔立ちの彼は、かつての凛々しいカナン王とは異なっていたが、ふとした瞬間に見せる柔らかな微笑みは、カナン王と同じだった。
「カナン‥‥‥様‥‥‥。」
入学式の朝、リシェ様と廊下ですれ違った時、私は、そう呼びかけた。
出会った瞬間、私は、リシェ様がカナン王だとすぐに分かった。
彼の持つ魔力の波動が、カナン王と全く同じだからだ。
もう、この世に魔法は存在しなくなっていたが、私は前世の名残なのか、人々の持つ魔力の波動を感じることができる。
リシェ様も、きっと、私の波動を感じたはずなのに‥‥‥、リシェ様は、私の声に振り返る事無く、通り過ぎた。
それ以来、廊下でリシェ様に話しかけようと待っている私を見ると、リシェ様は、急に誰かに話しかけたり、歩きながらだというのに本を読みだしたり‥‥‥と、あからさまに私を無視した。
それは、今年、2年生となり同じクラスになってからも同じで、今も、リシェ様は、授業中に斜め後ろから感じる私の視線をちらりと見たが、目を逸らした。
魔法の劫炎が放たれた城の中で、カナン王は言った。
「シェリー、ずっと、君が好きだった。でも、もうこの世では…‥‥。
だから、誓うよ。来世では、必ず、君よりも強い男になって、君を幸せにするって‥‥‥」
それは、シェリーがずっと伝えることを堪えていた想いだった。
戦場で芽生えたシェリーの恋心‥‥‥、シェリーは、カナン王も自分と同じ気持ちだったのだと知った。
「炎の戦鬼」という名とは真逆の愛らしい顔だったシェリーは、戦場を離れれば、幾人もの男に言い寄られた。
だが、いつ死ぬかわからない戦いの日々の中で、恋など無意味に感じていたシェリーは、「私は、私より強い奴としか結婚しないよ。」と男たちをあしらった。
「魔力が枯渇したら、最後は剣で王を守れ」という兵士であった父の教えで、魔法だけでなく剣も極めた自分に敵う男などいないと分かっていたからだ。
そんなシェリーは、自分より2歳年下のカナン王に恋をした。
父王の死後、17歳で若き王となった彼は、剣も魔法も未熟だったが、軍師としての才能は誰よりも抜きんでていた。
彼が王となってすぐの戦で、圧倒的な力を過信していたアトランティア軍は、兵士の数が劣る隣国の戦術の前に劣勢となった。
しかし、カナン王が指示した奇襲作戦により劣勢を覆し、勝利した。
自ら戦地に赴き、経験豊富な兵士達の前で、戦略を懸命に説明するカナン王の真摯な姿は、シェリーには、誰よりも勇ましく感じられた。
「‥‥‥私も、カナン様を…‥‥」
好きでした、と言おうとしたシェリーは、それ以上、言葉を続けることはできなかった。
矢で、胸を射抜かれたからだ。
「あの誓いは、嘘なのですか‥‥‥カナン様」
リシェ様の後姿を見つめ、小声でつぶやくと、私はため息をついた。
「えっ‥‥‥、リシェ様が倒れた‥‥‥」
この国の宰相であるお父様が、夕食までお母様を待つ間、話題にしたのは、今日、学園から戻ったリシェ様が倒れたということだった。
「あぁ、過労だそうだ。
元々、病弱な方で、12歳までは、自室で寝ておられることが多かったのだ‥‥‥。
だが、ここ4年間、1日5時間は剣の鍛錬をされていた。学園に通われるようになってからは、朝は5時に起きて2時間ほど剣の鍛錬をして、それから学園に行き、帰ってからまた3時間は剣の鍛錬、その後は勉強‥‥、と休憩時間も睡眠時間も削ったスケジュールをこなされていた」
「‥‥‥で、今は、どうされているのですか?」
彼は大丈夫なのか‥‥血の気が引くのを感じながら、私は、なんとか口を開いた。
「自室で、死んだように寝ておられるそうだ。
体調が戻るまでは、しばらく、学園はお休みされるだろう。
正妃がお亡くなりになってから、国王陛下は、側室様の息子である第2王子を溺愛しておられるからな…‥。貴族達のなかには、第2王子を次期国王にと押す声もある。
‥‥‥リシェ様は、次期国王として認められる為、必死で、鍛錬されていたのであろう」
「そんな‥‥‥。
リシェ様は、優秀な方です。学園の授業でも、政治学の先生は、彼の論文を読んで、うなっていたほどですよ‥‥‥。
それに、正妃様‥‥‥リシェ様の亡き母君は、隣国の王の3女。リシェ様を退けると、隣国との貿易はどうなるか‥‥‥。隣国の豊富な鉄鉱石が、我が国ユラリア王国には、必要ではないのですか?
‥‥‥お父様、アンダール家として、リシェ様側につき、隣国の王の支援をとりつけましょう」
カナン王が戦略に長けていたように、リシェ様も学問では、人より抜きんでている。成績は、常に学年1位で、授業中に教師に質問する内容は高度すぎて、他の生徒は理解できないことも多々ある。
リシェ様は、元々王であったにも関わらず、努力を続けているのだ。
そんなリシェ様を支持しない者がいるとは‥‥‥。
お父様の言葉に、もう無いはずの魔法の炎を体のなかに感じるほど、私の心は怒りに染まった。
「落ち着け、ルリ。私は‥‥‥、まだ、どちらの王子が王にふさわしいか決めかねているのだ。
リシェ様は、聡い方だ。善き王になれるはずだ。だが、病弱だ‥‥‥」
「12歳になられる第2王子は、顔は愛らしいけれど、我儘三昧と聞きます。それに、側室様は、元踊り子‥‥‥。王の本当の子かも怪しいという噂も聞きますよ」
私は怒りで体を震わせながら言った。
「まったく、お前は‥‥‥。我が子ながら、16歳の娘とは思えないな‥‥‥」
お父様は、私を見て、ため息をついた。
戦乱の世に20歳で死んだ私は、今とは比べられないほど過酷な人生を生きた。
当然、政治についての知識もあるし、前世の教訓を生かして、自身とリシェ様を守るための周囲の情報収集は抜かりない。もちろん、精神年齢も、子供のものではない。
お父様と話を続けようとしたが、そこで、お母様がテーブルに着き、話題は、お母様が出席した今日のお茶会のものへと変わった。
今日ほど、今の自分に魔力が無いことを恨んだ日は無い。
もし、私がシェリーのままであったなら、国王も第2王子も側室も、そして、第2王子側の貴族も、すべて焼き尽くしてやったのに‥‥‥。
食事を食べる気にはとてもなれず、私は、「ご馳走様」とだけ言うと、自室へ戻った。
数日後、リシェ様は登校してきた。
よかった、元気そうだわ‥‥。私は、彼の姿を廊下の角に隠れて見て、胸をなでおろした。
彼は、廊下に張り出してある今期のテスト結果をじっと見ている。
今期のテストで、今まで2位に甘んじていた私は、やっと、今まで1位だったリシェ様を抜き、学年1位になった。
どうか、1位となった私の名を見て、リシェ様が今世は私を頼り、1人ですべてを抱かえるのをやめてくれますようにと、私は願っていた。
そもそも、私達兵士は、カナン王に頼りすぎていたのだ。
敵国の情報分析、地理の把握、彼はすべて1人で行っていた。
結果、カナン王は、国内の政治を任せていた弟の謀反に気付くことができなかったのだった。
今も私は、こっそりと剣の鍛錬を続けているが、公爵令嬢の私では、兵士として彼を支えることはできない。
この国には、資金を投じて医術や植物の研究を行う女性の貴族が数名いる。私も、彼女達のように、何かしら学問を極めて、リシェ様の役に立つことはできないかと考え、勉学に励んでいた。
リシェ様は、しばらく試験結果を凝視していたが、朝のチャイムと共に教室へ入った。
慌てて教室に入ろうとした私が見た彼の後姿は、病み上がりのせいか、元気がないように見えた。
この日以降、彼が学園に来ることはなかった。
「ルリ、大変だ。リシェ王子が、毒を盛られた。
そして‥‥‥、お前の名をずっと、うわごとで呼んでおられる」
そう言って、お父様が私の自室に駆け込んできたのは、リシェ様が最後に学園に来てから10日後のことだった。
「ど、どういうことですか!学園をお休みされていたから、てっきり、私はまた療養されているのかと…‥‥」
「‥‥‥ここ10日ほど、リシェ様は、学園にも行かず、1日のすべてを剣の鍛錬と勉強に費やしていたのだ…‥‥、王となる為の焦りで、常軌を逸しておられたのだ‥‥‥。
また疲労を重ねていたところに、今日の夕食に毒が盛られていた。
すぐに吐かせたので、通常なら命には別条はないはずだ。
だが、弱った体がどこまで、耐えられるか…‥‥。
とにかく、城へ一緒に来い。今、城の中にはリシェ様の味方は、ほとんどいない。
医者によると、心身ともに弱っておられるらしい。
お前の名を呼んでいるのだから、お前が傍にいれば、少しは落ち着くかもしれないとのことなのだ」
「毒‥‥‥、一体‥‥‥」
とにかく‥‥‥早くリシェ様の元へ、全身から力が抜け落ちそうになる自分を奮い立たせ、私は馬車に乗った。
「お父様、リシェ様に毒を盛ったのは、第2王子側の貴族の仕業ですよね?
何故、貴族達は、隣国の王の孫であるリシェ様の存在の重要性に‥‥その優秀さに気が付かないのですか」
馬車の中で、怒りのあまり私は、お父様に叫ぶように言った。
だが、私と違いお父様は冷静だった。
「‥‥‥毒の出どころは、もう見当がついている。
さすがに、今回の件は、目をつぶることはできない‥‥‥。
私の胸のポケットには、隣国の王より我が王への親書が入っている。
親書には、「亡き娘の残した可愛い孫に会う為、ユラリア王国を訪問したい」と書かれている。ルリには、わかるな…‥。この意味が」
お父様は、そう言うと、私を安心させるかのように、私の手をぎゅっと握った。
その親書は、隣国の王がリシェ様の後ろ盾ということを、王にも、国内の貴族達へもはっきりと示すだろう。
お父様の言葉で、私は冷静さを取り戻した。
「お父様‥‥‥、いつの間に‥‥‥」
「いや、お前と夕食の際に話した後、どっちつかずの宰相ではいけないと思ってね。
‥‥‥それに、私は、可愛い1人娘が、泣くのも、怒るのも、見たくはない。」
お父様は、私にそう言うと優しく微笑んだ。
もし、もう1度、あの方を失うことになったら私は‥‥‥。
そう思うと、私には馬車の振動ですら、自分の胸を突き刺すような痛みに感じた。
「‥‥‥ん‥‥‥。ルリ‥‥‥」
ゆっくりと目を開けたリシェ様は、手を握っていた私に気が付き、まだ夢の中にいるように私の名を呼んだ。
「リシェ様‥‥‥。よかった‥‥‥。
お医者様を呼んで頂戴、リシェ様が目を覚ましたわ。‥‥‥あと、お水を持ってきて頂戴」
目覚めた彼にほっとしながら、私は、後ろに控えていた侍女に指示を出した。
安心したせいか、私の目には、今にも涙がこぼれ落ちそうになっていた。
「ルリ‥‥、どうしてここに?」
「リシェ様が、ずっと私の名をうわごとで呼んでいると‥‥‥。お医者様が、私が傍にいれば、容態が落ち着くかもしれないとおっしゃって‥‥‥」
そう言うと、私の目からは、我慢していた涙が、こぼれ落ちた。
城へ着いてから数時間経った。
お父様は、リシェ様の暗殺未遂の捜査と処理の為、宰相室で指揮を執っている。
数人の侍女が控えるなか、私は、ベッドの横で彼の手をずっと握っていた。
侍女たちは、先ほど、私の指示で部屋を出て行ったので、今はリシェ様の自室に2人きりとなっている。
「な、なんで、私の為に、ルリが泣くのだ‥‥‥」
リシェ様は、体を起こし、私を見つめた。
やっと、私を見てくれた‥‥‥。リシェ様に見つめられ、私の涙は、とまらなかった。
「‥‥‥リシェ様…‥。前世の誓いは嘘‥‥ですか?」
泣きじゃくりながら、やっと言葉を発した私から目を逸らし、リシェ様は、何故かバツが悪そうな顔をしてうつむいた。
「…‥‥4年前、宰相と共に城へ来ていたルリを見た。
遠くからだったけど‥‥‥。君の魔力の波動で‥‥‥、前世を思い出した」
「わ、私は、生まれた時から、もう1度、貴方に会いたいと思っていました‥‥。」
「僕も、君を思い出してから、毎日、君に会いたいと思っていたよ。だけど、病弱だったし…‥‥、なかなかチャンスもなかった」
リシェ様は、うつむいたままで、私を見ない。
「でも‥‥‥、1年前から、同じ学園に通っているじゃないですか。それなのに何故‥‥‥」
「入学式で見た君の手に、令嬢の手とは思えないほどの剣ダコがあった‥‥‥。
前世を思い出してから、剣の鍛錬を続けていたが、まだ、私は、「炎の戦鬼」には敵わないだろうと思った‥‥‥。それに、この前は、遂に学問でも負けた」
…‥‥4年前からの剣の鍛錬と勉強の厳しいスケジュール‥‥‥ここ最近は、常軌を逸したような剣の鍛錬と勉強をしていた‥‥‥私は、気が付いた。
「もしかして、剣も学問も、私に勝てなくてはダメだと思っています?」
私の言葉で、顔を上げたリシェ様と目が合う。
リシェ様は、なんだか泣きだしそうな顔をしている。
「君と結婚するには、君より強い男ではなくてはダメなのだろう…‥。
それに…‥、私は、君の気持を聞いていない‥‥‥」
「…‥‥そういう、まじめな貴方が、私は、昔から好きですよ‥‥‥」
少し呆れたように私が言うと、その瞬間、リシェ様の顔が真っ赤になった。
きっと、私の顔も真っ赤なのだろう。
そのまま、しばらく赤くなっていたリシェ様は、大きく深呼吸をすると、私の目をじっと見つめて言った。
「前世の誓いは本当だ。今度は、君を幸せにするよ‥‥‥」
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