(13)
「いやー忘れてた訳じゃないんだけどさ、ついついはしゃぎ過ぎちゃったよ。我が校ながらキョーラクとタイエーの都だよ、ここは」
などと言い訳がましいことを吐き続ける深潼汀を筆頭に、本道に立ち返った一行は海岸沿いに人気から外れた場所に向かいつつあった。
へいへいそーですか、と適当に相槌を打つ鳴は当然分かっていて黙っていただろうし、士羽も同様だ。少しセカセカした調子の真月は怪しいところだが、素で忘れていたのはカラスと見るからにINTにポイントを振り込むことを忘れたデカ女ぐらいなものだろう。
「まず目標は言わずもがな灘! そしてあいつの失踪に関わりがあるはずのスペクターNだっ!」
一度はほだされた決意を表明とともに締め直し、行き着いた岸はボートやヨットの停泊所
「そして、その灘のアドレスで、スペクターからメールがあったんだ。『裏校』の最奥で、お前を待つ、ってな」
「……それ本人が打っただけなんじゃ」
「あぁ、大方あいつにロックを解除させてそのまま入力と送信を命令したんだろうな」
「いやそうじゃなくて……もう良いや」
さしもの真月もこの上説明する愚かさを悟り得たらしい。
ため息ついて諦める。ただ折られた説明の中で気になる単語と言えば、
「『裏校』」
のそれである。
「実は一見ごくフツーの学校に見える南洋だけど」
「見えねーけどな」
「隠されたもうひとつの貌がある。おたくら本校で言うところの『黒き園』だな。今から向こうのが、そこだ。普段は校舎から行けるんだけど、流石に余所者はそこまで入れないから、もうひとつのルートであるここに来た。別に遊ぶためだけにこの海浜エリアに来たわけじゃないんだよ」
と汀が言いつつも、それらしきポイントは影も形も見当たらない。海は見渡す限りの大海原に繋がり、元来た道を振り返ればパリピの雑踏。周囲にあるのは大小の船ばかりである。
「まさか泳いでどこぞに行けってか?」
「泳ぐんじゃねぇよ。海は使うけどな」
答えたのは、汀ではない。
陸に揚げられた船の影。そこから現れた、覚えのある少年だった。
東棟の楼灯一。
エリート集団の一員であると言うその立場を悪用する、運び屋。
シンプル、無難きわまりないボクサータイプの水着で、彼はその姿と影とを現した。
「ほら、お前らのデバイス諸々。さすがにサイズが大きいタイプのは持ち込めねぇからな、独自のルートで持ち込んでやった」
「……いくつか奪ってないでしょうね」
「信用第一、って言葉知ってるか? この業界でんなコトしたら次の日には廃業だっつの、ワン子」
「ワン子言うな!」
口さがない物言いでさっそく真月と軽い諍いを起こした彼だったが、歩夢は妙な違和感を、カバンを置く灯一から見て取った。
鳴もそこには気づいた。
というか露骨過ぎて気になるらしい。
「なんでも良いけど」
と前置きしてから、訝しげな眼差しを向けた。
「なんでお前、目ぇ合わさねぇの?」
……頑なに一向を視界に入れようとせずに首を海へとねじる少年へと。
「視線向けらんないの! もしおたくら見たら不可抗力的にあれやこれやに目が行っちゃうの!!」
「……まぁ、その気遣いと努力だけは認めてやる」
「わざわざ口にするあたりマジで気持ち悪いけど」
「足利は余裕だけどな!! なんなら舐め回すように視姦してやろうか、あぁ!?」
「…………きっしょ」
「勢い余って言ってから自分でもライン越えだなと思ったけどさ、溜めてからマジトーンで言わないで!?」
まぁまぁ、と穏健に宥めつつ、レンリは鳴の隣に座り込んだ。
「男が女性のそういう部分に目線が言ってしまうのは、心理的、生物学上やむを得ない部分があるというからな。本人の意思じゃどうしようもならない部分があるんだ。同じ男性としてフォローさせてもらうが、まぁ多少は勘弁してやってくれ」
「お前はちったぁ遠慮しろよ。どこと会話してんだよ」
「とまぁこんな具合で世の女性たちはそういった男の視線に十中八九は気づいているのだ」
「……コイツ、そのまま強引にバックれる気か」
レンリの、明瞭に捕捉対象が分かる視角に、鳴は辟易した様子だ。それで済ませるあたりかなり寛大な女と言えよう。
ただまぁ、重いのか組んだ腕の上にあえて載せて強調するあたり、本人に非があることもまた確かだった。確かだった。確かなのだ。罪なのだ。
「目線はそのままで良いので早く案内を、楼」
「へいへい」
士羽に促されるままに、そして視線は不自然に逸らされたまま、楼灯一が彼女らを先導した。
その船着き場には、白いプレジャーボートが接岸していて、まずそこに乗り込み、
「こいつで行く」
と初端からいきなり不安になるような案を言い出した。
「行くったってお前、どうやって、誰が?」
「オレがだよ。ちゃんと二級小型船舶操縦士も持ってるんだぜ?」
と得意げにうそぶく。誉めてもらいたさそうに腰を浮かせていたが、全員がそれを聞き流した。
「……まぁ、将来家業を継がされそうになった時、逃走手段は多いに越したこたねぇからさ」
やや落胆した様子でそう言ったが、個人的な経緯も事情もどうでも良いので、皆華麗にスルー。
ただひとり、深潼汀だけは船に飛び乗り、
「サーンキュッ、楼くん!」
などと肩をぶつけるようにして身を寄せて感謝する。
慌てふためきながらもまんざらでも無さそうに鼻を伸ばす灯一とセットで眺めながら、歩夢は
「あいつ、魔性の女や」
と嫌悪も敬意も超越して圧倒されて思わず呟いた。関西弁で。
〜〜〜
ボートに収容された歩夢たちは、さすがに熟練者と比べるとややぎこちない航行によって、規定海里スレスレを迂回。そして少し離れたあたりに海続きの洞窟に行き着いた。
水の力、自然の現象によって作られたように見せかけられているが、その実そうではない。
洞穴の口、その縁に明確に工具か何かでくり抜かれた痕跡が付いている。
「あだーっ!?」
その上辺に胡市が額をぶつけるというトラブルに見舞われつつも、何事もなく侵入を果たすと、さらに奥へと水路が続いている。進むたびにランプや桟橋、果ては用途不明に捨て置かれた裸のマネキンなどの人工物が増えていき、やがてひとりの門番、つなぎを着込んだ老人が、ロッキングチェアをきしませながらもたれていた。
船の侵入に気づくと胡乱気な眼差しを投げかけてきて身を起こすが、青い『ユニット・キー』を掲げてみせた汀を見て、警戒の念をを引っ込めてふたたび椅子の背にもたれ始めた。
船首やスクリューが水をかき分ける音だけではない。滝のような轟音。男の呻き声じみた風音。
進むたびに、静寂は破られ、音も、臭いも濃いものとなっていく。
そして開けた場所に出た瞬間、光と音の洪水が歩夢の顔面へと叩きつけられた。
まず認知できたのは、
「やっちまえ!」
という号令と砲撃音。
だがそれは歩夢たちに向けられたものではなかった。
老け顔だが生徒らしき制服の男たちと水路を挟んで対峙するのは、似たような生徒。
ストロングホールダーを用いて銃撃戦を展開する彼らの流れ弾が、水面に当たってしぶきをあげる。船体が大きく左右に揺さぶられる。減速していなかったら横転していたことだろう。
そんな騒々しい彼らを除いてもまだ、其処かしこに無頼漢たちがひしめいて地上よりも激しい喧噪を生み出していた。
他方では同じことをして敗れたらしい、ボロをまとった縛られて井戸のような場所に浮き沈みさせられていた。
――洞窟に、水上に、一個の都市が出来上がっている。
張り巡らされた水路。行き交う船。艀や組み立てられた鉄骨の足場などで構成されたそれは、そこが穴蔵だということを除けばイタリアのベニスのようでさえある。
罵声と馬鹿笑いを縫うようにして、底抜けに明るい音楽が絶えず流れている。放し飼いにされた犬や鶏、あるいはロバとジンジャエールのようなものを酌み交わしたり、葡萄ジュースのようなもの片手に流れる音楽に節をつけて歌ったりしている。
やや着崩したり独特のアレンジを付け加えたりしている女子生徒を追い回す男子生徒がいたかと思えば、もう一方で逆撃を被ってフライパンを振りかぶった彼女たちから逃げ回る情けないのもいる。
「アネさん、ここ……なんかデジャヴを感じちゃうんですけどっ!」
「言わなくていい」
「でも不思議と塩素の臭いとかがどこはかとなく漂ってきそうなんですけど!?」
「言わなくていいから」
「樽の中からあのおデブちゃんからキー盗もうとしてるヒゲ……あれデップじゃないですか!?」
「違うから」
「ちなみに具体的に言うと千葉の浦や」
「やめなさい!」
そのやかましさに負けないぐらいの大音量で、胡市が姉貴分に何事かを示唆せんとするも、さすがにそう見えたのは通過する一瞬のこと。
先に進めば多少は文明らしさ、もとい人間性を取り戻し、多少は落着きのある地下街がその全容を露わにした。
出店に並ぶは『ユニット・キー』やストロングホールダー。
それをお試しとばかりに1on1の勝負を、わざわざ専用のブースを設けて仕掛けたり、あるいはそれを肴に山海の珍味を屋台で眺めたり、はたまた賭けなどしたりと、自由さ、好き放題さは変わらない。
真月や胡市などはその応酬を羨望と妬ましさで見送り、士羽などは露骨に眉をひそめていた。
「……そりゃ、博士や『旧北棟』のみんなには面白くない光景かもだけど、一応言っておくね」
汀はそう前置きして、船首に立って身を切り返し、両腕を左右に広げて笑って言った。
「剣ノ杜学園南洋分校……その裏庭へ、ようこそ!」




