(4)
猛暑である。
何もせずともじっとりと汗が浮かび、電子機器の数々が発する熱は、強めの冷房をも打ち消す。
「あっづ」
と鳴が短く苦悶の声をあげた。
声にするな、余計に暑いと内心で毒づきつつも、歩夢はあえて言わなかった。良識が働いたからではなく、ただ口を開けばなおさら暑苦しさが増すと知っているがゆえだ。
わずかな労力さえ、惜しむべきだった。
だから歩夢は何も言わず、備え付けの冷蔵庫を開けた。
冷やしたドリンクはとうに使い果たし、入れ直した分もまだ温い。
仕方なく、野菜室を開けた。
そこにあったのは黒い球体である。縮こまって小刻みに震えているそれを抱きかかえると、いい塩梅に冷えていた。
「お、考えたな」
と鳴は何の気なしに感心してみせた。この女、暑さにやられて若干感覚が麻痺してると歩夢は思った。
「……君たちは、人の心をどこに置いて来たのかな?」
その黒い球は訴えるような声をあげた。
言わずもがな、その正体は暑苦しさのあまり十数分前に冷蔵庫にぶち込んでいたレンリである。
「良いじゃん、長門の再来と呼ばれたわたしの膝に座れるんだよ」
「こいつどんどん烏滸がましくなっていくなぁ! お前が読書してるシーンなんて今まで一秒たりとも観たことないんですけど!?」
と訴えかけてくるが、体温が戻ってくるからヒートアップしないで欲しいものだ。
自分でも悪いかなと歩夢は思っていたが、そんな倫理観など塵芥に感じてしまうほどの暑さである。
「いっそ、窓開けちまえば?」
モニターと睨み合って何事かの作業あるいは調査をしている士羽に、鳴はそう提案した。
「蝉がやかましいから、嫌です」
対する答えは、とりつくしまもないものだった。
「締め切って風通しが悪いから余計に暑く感じちまうんだよ」
と鳴が毒づいた、その転瞬。
にわかにその風通しが良くなった。物理的に。
小柄な影に窓ガラスは蹴破られ、その破片を孕んだ暴風が踊り込んでくる。
歩夢は悲惨するガラスを、巧妙的確かつ広範囲に渡るゾーンをカバーして凌ぎ切った。
「あんぎゃー!?」
当然その防壁となるのは手近に存在していたレンリである。
「くそっ、こんなところにまで踏み込んで来ちゃってまぁ!!」
呆気に取られるその他面々をよそに、外から保健室に闖入してきたその影は甲高く声をあげて毒づき、窓の下の壁に回り込む。
とりあえず、窓が開け放たれたものの、蝉の合唱に悩まされることはないだろう。それさえも打ち消す強烈な騒音が、一瞬後には周辺を占領していたのだから。
その乱入者を追ってやって来たのは、二人の凶漢。いずれも口髭顎髭を生やした強面ではあるが、寒色系のカッターシャツを着ているあたり、信じ難いことに学生なのだろう。
彼らのそれぞれの右手には、牛の軛、鎹のような代物が握られている。
色こそマリンブルーに塗装されているとは言え、鳴と同じ形状。CNタイプとか言うストロングホールダー。
死角より軽く覗かせた歩夢の横顔に向け、中央のトリガーを引かれる。光弾が怒涛のごとく押し寄せてくるのをふたたび潜り込んでかわす。
自然、その場に居合わせた全員が、窓の下に列を成して集結することになった。
つまりはこの襲撃者らは自分と『同業者』で、従って推察するならば、この乱入して来た影……ノースリーブのパーカーにショートパンツといういかにも真夏を満喫中という少年もまた、同じ境遇。
「……オレのターンだ!!」
隣接するその少年が突如として大音声を張り上げ、歩夢の鼓膜を揺さぶった。
その声に呼応するかの如く、保健室のタイルを突き破って一つの機影が現れた。
銀色を主体とする、ブリキ質のレトロフューチャーチックな潜水艦。それが少年の左手の甲に吸い付いた。
「オレはグレード3『キャプテン』を出航させるッ」
〈出陣・キャプテン〉
メカニカルな起動音とともに、機体の背から突出するように展開した数基の鍵穴。その手元側に挿し入れたのは、もちろん『ユニット・キー』。
舵輪を背に骨を交差させた髑髏という、海賊お決まりの装飾がついたそれは、ねじ回された直後に光線となって保健室の外へと射出された。
そして光の帳を払って現れたのは、堂々たる体躯を持つ怪人である。銀色のボディに三角帽を被り、擦り切れたコートを羽織る姿は、ミスマッチで異形感が露骨に滲み出ていた。顔のパーツは十文字傷のごときバイザーのみという潔いまでのシンプルさだ。
「『キャプテン』が場に召喚されたことにより、特殊スキル『海原の盟約』が発動!」
(うっさいなぁコイツ)
「この能力はあらかじめホールダー内にセットしていたバトルのルールを、この場の『キャプテン』のグレード以下のユニット全てに『非殺傷モードの設定』『タッグマッチ』『ターン制バトル』、この三か条を適用する!!」
その宣言の直後、彼の使役する『人造レギオン』が、右手に該当する鍵爪を地面に振り下ろして響かせた。
すると、さっきまで蝉よりも煩かった銃声がピタリと止んだ。
覗き込めば、凶漢どもの口惜しげな表情が見えた。
ガチガチとトリガーを鳴らしているが、一向に発射される兆しが見えない。
「……だが、そのルールはテメェにだって掛かってくる! 『タッグマッチ』が適用されている以上は反撃出来ねぇだろう!」
「灘の野郎だっていねぇんだ! 時間稼ぎで悪あがきしてねーで出て来やがれ!」
そうがなり立てる連中だったが、すでにして彼ら持ち合わせは無力化されている。
そのことをよく承知しているのか、ヘンと喉を鳴らして胸を反らし、再び彼らの視界に我が身を晒す。
「そいつはどうかな」
そう嘯くや、手を伸ばして歩夢の襟首を掴んで、野良猫よろしく引き立たせる。
「オレは、近くにいたこのオンナノコをフィールドに召喚!彼女とタッグを組むことで、ルールをクリアする!」
プピー、と空気の抜けたビニール人形のような佇まいと表情でいる歩夢の肩しっかと抱き、ニッカリ白い歯を見せた少年は、
「よろしくな、相棒!」
……激流の中、川底に沈む小石の如く、この怒涛の急展開を適当にやり過ごすつもりでいた歩夢は、唐突に巻き込まれたことでその精神的努力が水泡に帰したことを悟った。
そんな彼女に出来ることと言えば、いつものように仏頂面で、フラットな感じに、
「は?」
と聞き返すことだけだった。




