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剣ノ杜学園戦記  作者: 新居浜一辛
第六章:灘と、ナギサ
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(3)

 ――果たして、大悟の推量は的中していた。


(本当はここに来たくはなかったのだけれども……いや、まさに今、ここに来るべきではなかった)


 その部屋の片隅で待たされている間、そのろくでもない人格と思われている賀来久詠の心には、時間の経過とともに後悔が重きを増していた。


 剣ノ杜学園南洋分校。


 今彼女の目の前に広がるのは、資金力にモノを言わせた広大な『私室』。

 プライベートな大型プールが併設され、ヤシの木が植樹され、空調はやや温暖と思える程度に調節されていた。

 そしてその太く育った幹の合間にかかったハンモックに、一人の男が寝そべっていた。

 

 見るからに屈強な男である。他者と争い、そしてありとあらゆる者たちから勝利も栄光も、富も力も、すべてをもぎ取るために生まれ落ちたかのような漢であった。

 丸太のごとき腕には薄く血管が浮き出、濃い陰影と猛禽類にも似た鋭い双眸を持つ顔立ちは存外に眉が細く、その不均衡が逆に本人に凄みを与えていた。


 図書館の特設コーナーのごとく、平に積み上げられた専門書や哲学書に囲まれながら、そのうちの一冊を手に取って、ゆったりとページをめくる。

 いくらここに来た用件を語ろうとも、まるでその存在そのものを否定するかのごとく無視されていた。

 まるで客を待たせているという自覚の一切感じられないそのふてぶてしい所作に、久詠のプライドはいたく傷つけられた。


「……以上のように、維ノ里士羽は中立面で隠遁しているかのように見えますが、方々に介入しその行動には公正さが欠けています。何やら恣意私欲的なものさえ感じる始末で、これを誅罰したいところではあるのですが、その無頼の勢力に『委員会』も手を焼いております。そこで何卒南洋の皆さんに手を貸していただき、学園内に平穏を……」

 ついにしびれを切らして二度目の説明を初のごとく切り出した久詠だったが、そこでようやく男にリアクションがあった。

 本にしおりをさし挟み、紙の塔の最上段に積み直すと、重たげに口を開いた。


「誰の友にもなろうとする人間は、誰の友人でもない」

「は?」

「植物学者ヴィルヘルム・ペッファーの言葉だ」


 などとインテリジェンスをほのめかしつつ、全身を包む暴の気配と威圧感はそのままに、男は横顔を久詠へと振り向けた。


「たくさん『お友達』を作っているようだな、賀来久詠。南部真月もそう説いたか?」


 などと口にした時、久詠は心臓をわしづかみにされた気分だった。浮かんだ冷汗を驚きの声をひた隠すのに必死だった。振り返ったその顔を見れば、より動揺を隠せなかっただろう。


 ――知っている。気づいている。こちらの動向と真意に。

 本校の裏側にもおよぶ高度な情報網(ネットワーク)。豊富な資金力。それらを使って『上帝剣』がらみの利権にも食い込み、かつては外人部隊にも所属していたその人脈を使い独自の戦力や設備資材を囲い込んでこの南洋分校独立独歩の自治区、いや王国とした。


 己独りが支配する、この王国を。

 それこそがこの男、剣ノ杜学園南洋分校校長、巌ノ王京(いわのおうきょう)(たける)である。

 自身も、学園においてさえ稀なグレード5の『ユニット・キー』の保持者である。


 クク、と喉奥を鳴らすと、みずからが今まで読んでいた一冊を積み上げ、やおら立ち上がった。

 その彼が、自分のすぐ前で止まったことを、その威圧感から久詠は察した。

 ――まともに、顔が上げられない。

 図らずもそれが、まるで圧倒的強者に慈悲を乞う奴隷がごとき構図となり、久詠は死角で唇を噛みしめた。

 

「いつでも潰せる。時を選ばず壊せる。何時であろうと殺せる。誰であろうとなんであろうと、今この場にいる貴様であろうと。それが我らよ。おのれの肉体の震えをもって記憶とするが良い」


 ただまぁ、と語を区切って猛は尻を久詠に向けた。


「蛆虫どもが湧いてはもつれ合う様というのは、見ていて気色の良いものでもないことも確かだな」

「では……」

「クク、今回は貴様の哀願に応じてやる。一息に踏み潰してやるのも一興よ。その後どうとでも処理するが良い……その前に、腹ごしらえだ」


 自身への重圧が薄れ、顔を持ち上げた直後に久詠は軽く悲鳴をあげた。

 舌なめずりをしながら横顔を向けた猛は、シャツもジーンズも脱ぎ捨てて全裸となっていた。

 一分の隙もなくトレーニングと実戦とで鍛え上げられた、たくましい筋骨が露わとなり、鞣した獣皮がごとき、焼けた肌がガラス越しに注ぐ陽光を照り返す。


 要するにこちらの眼差しや言い回しから久詠は貞操の危機を感じたわけだが、両腕で我が身を抱えるようにしていた彼女の臆病さを、男は高く筋の通った鼻で嗤った。


「なにを期待している。貴様のごとき蛆虫、抱く価値などない」

 と、それはそれで女のプライドをいたく傷つけられる物言いに憮然とする久詠を捨て置き、


「お相手は、コレだ」

 と言うや、彼はプールへと飛び込んだ。

 高いしぶきが上がり、淡水が飛び退いた久詠の頬にもかかる。


 だが、そのしぶきは収まるどころか、より激化していく。

 そして水の中で蠢く影は、その大男のものだけではない。彼ほどの肉体に倍する、異形の影があった。


 その巨影ともつれ合いながら、猛の肉体が水面へと急浮上した。


「なっ!?」

 もうひとつの影の正体に、久詠が声をあげて驚愕することを、何人であっても嘲笑することはできまい。

 ついぞ日本の水域では目にすることがない、怪獣の姿がそこにはあった。


 岩石のごとき外皮。長い尾。鋭い牙。平たい肉体。

 ワニであった。

(それも、イリエワニ……!)

 最大にして六メートル、人間を呑み食らったという報告も多々ある、インドやオーストラリア周辺に生息する危険種。

 写真で見たものよりは多少小さいが、それでも四メートルはゆうにあろうか。余裕で人間を殺傷できる体格だ。

 加えてその眼は血走り、相当に興奮している。薬物によるものか、極限まで食事を抜かれたものか。


 一度は猛に喉輪を締められていたそれは、水中でロールするとともに彼を振り切り、その敵、あるいは捧げ物(エサ)に我から再突進を仕掛けてきた。

 だが猛に無念の表情はない。まして、臆した様子など欠片もない。


「は――っ、来いっ」

 傲然と笑い、修羅が拳を握り固める。







「あれ? なんか学校の前に救急車とパトカー停まってんだけど」

「なんか校長がワニに食われかけたんだって」

「あと動物虐待とワシントン条約? とかでそのまま逮捕されるんだと」

「あのオッサン、バカじゃねぇのか」

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