(20)
想像を絶する熱量と破壊力に、ともすればそのまま眠ってしまいそうであった真月の意識も引き戻された。
完全に覚醒した時にはすでに、状況は一変していた。
永久凍土は一時的に焦土と化し、溶けた氷雪は茹だって溜まりとなって点在している。
爆風に吹き飛ばされた久詠は頭から雪と泥をかぶり、涼に追い詰められている最中だった。
「よ、寄るなっ」
久詠は尻で地を後ずさりしながら、もはや欺瞞も虚飾もなく、みっともなく声を上擦らせる。
「良いの!? これ以上私に危害を加えるなら、『委員会』が黙っていないわよ!」
そして最後のカードを苦し紛れに切ってきたが、それでも涼は足を止めずに
「やってみるが良い」
と低い声で返した。
「ただし、お前の動向を征地絵草が承知しているならばの話だが」
ギクリとした様子で肩を瞬間的に上下させた久詠に、涼は淡々と追い討ちをかけた。
「お前の動きには彼女の覇気と矜持を感じない」
と語るには恐らくはフィーリングとブラフが半々といったところなのだろう。
だが彼女が見せた反応によってそれは確信へと変わった。
そして自身でもその迂闊を悟ったのだろう。
久詠は老婆の如く、足を擦るようにしながら立ち上がり、逃げるタイミングを必死に模索しているようだった。
「……だがしかし」
それを冷ややかに見ながら、涼は腕の鍵を抜いた。
張り付いていた飛龍はひとりでに飛び立ち、元のバイクへと変形して鈍い音とともに彼の傍らに落下した。
涼は新たに手に入れたその鍵を見つめながら、続けた。
「お前のおかげで新たなグレードに到達したこともまた事実だ。今回は見逃してやる」
久詠は露骨に安堵を見せた。だが、礼も詫びもなかった。
一刻も早くその場を脱しようとし、自身の手駒を拾いかけた彼女の背に、
「待った」
と涼は声をかけ
「あぁ!?」
と語気荒く久詠は顧みた。
「だがそれらのキーは置いていけ。迷惑代と口止め料だ」
……なんだろう。要求としてもタイミングも妥当なのに、どこかズレて天然めいていると感じるのは。
ギ、ギ、ギ、と。
剥いた歯を限界まで軋ませる久詠を、一方的な被害者という立場でありながらも真月は、流石にここばかりは同情を禁じえなかった。
拾いかけたキーをふたたびぬかるみに 叩きつけた久詠は、
「覚えてらっしゃい!」
金切声で陳腐な捨て台詞を残してその場を去っていった。
涼はそれを漠然と見送っていた。
「たまには搦手の交渉術というのも悪くない」
「いや、思いっきりただの強請でしたけど……」
思わずツッコんでしまった真月であったが、そもそもこうなった原因が自分にあることを思い出した。
助けられる資格のない、独りよがりで暴走した部外者だ。
そのことが何かを喋らせることも、謝罪させることさえ躊躇わせた。
手足を雪につけたままに項垂れる少女のもとに、涼は歩み寄って膝をついた。合わす顔がなくてつい視線を逸らす真月に手が伸びる。
身を硬くしたその刹那、彼女は涼の腕に抱え上げられていた。
「ちょっ……先輩!?」
「しばらくすれば車両も追いついてくる。それまで雪や泥の上に寝かせておくわけにもいくまい」
「そっそれはそうですけどもっ」
散々に打ちのめされた末に介助されるのとは訳が違う。すっかり意識を取り戻した真月には、彼の腕の逞しさやそれによる力強さ、乱れることのない心音などがダイレクトにつながる。
羞恥はたちまちのうちに頂点に達したが、どうしたわけか力が出せず、抗いきれないでいた。
「……すまなかった」
そうこうしている内に、詫びたのは涼の方だった。
「自分も、的場鳴と同じだ。肝心なことを伝えていなかったばかりに、君には余計な気苦労をかけてしまっていた。そしてそのことを汲んでやることも出来なかった」
そう思い至った経緯こそ要領を得ないが、本心から悔やんでいる様子だったが、むしろそれは見当違いと言えるだろう。
非があるのは真月の側だ。そしてそれを自認していた。
だがあまりにも彼が清廉に過ぎて、いっそ愚直とも言って良いほどで。そのことがなんとなしにムカムカして、つい詫びを返しそびれて、いつものように意地を張る。
「まったくです」
と悪態をつきつつ彼の胸元に、違和感を悟られぬようにそっと頬を当てる。
「いっつも苦労させられるのはあたしなんだから、それこそ猛省してください」
「善処しよう」
平坦な声。そして鼓動。言葉とは裏腹の相も変わらずの朴念仁ぶりに、露骨にため息をつく。
だがその距離感に、幸福を見出している自分がいることに真月は気づき、頬は熱を持つ。
――あぁ、できることなら、願うのなら、せめてこの時間が少しでも続きますように……
「ボースーッ! アネさーんッ!」
願うだけで終了しました。
蜜月な刹那に終わり、除雪機関車のごとき分厚く黒い装甲とLSタイプのガントレットを身に着け疾駆する、一七〇超の長身の戦士が、人外的な速度でこちらに疾駆してくる。
そして彼女らの前で急停止するなり変身を解除し、オレンジのメッシュの入ったぼさぼさの髪と溌剌とした童顔を外気にさらして、その少女は陸軍式の敬礼をする。
「現地のマシントラブルと聞いてリアクター役『ラッセル』の出渕胡市! ボスに引き続きただいまお迎えにあがりましたっ! あっ、でも車置いて来ちゃったんでもう少し待っててください! ってうわぁーなんですかこの状況!? 温泉ですか、掘っちゃったんですか!? あとおまけにレアな鍵も生えてきちゃってます! ……あ、入っていいですか」
「あんたは……」
マシンガントークに頭を痛めながら、真月は苦々しく制止した。
「温泉でもないし、湯沸かし器もないから入ったら確実に死ぬわよ」
「あーッ!」
真月の言葉は大口から発せられた声の激流に押し流された。
「アネさんが抱っこされてる! 良いな良いなー! ボス、ワタシも抱っこしてください! アネさんでも良いですよ!」
「こ、これはワケありなのっ、てかあんた自分の図体考えなさいよ!」
気の滅入るような環境でもいささかも曇ることのない、晴れ晴れしさもといやかましさ。
もしもう少し、彼女が今回の一件に絡んでいたらまた経緯や結果に変化は生じたのだろうか。
もはや過ぎた話ではあるし、度を超えたはしゃぎようを目の当たりにすれば、もみくちゃにされてしまえば、それを考えることさえ馬鹿馬鹿しくなってくる。
ふぅ、とマルチーズの少女は少し色の薄らいだ曇天を見上げながら、息をつく。苦々しくも、笑う。
すべては杞憂に過ぎなかった。
たとえ住む世界が違ったとしても、そしてこの先そうではなくなったとしても。
自分がなお絆を保っていきたいと願う以上、この不器用に過ぎる人々との奇妙な生活は、きっと続くのだろうと、南部真月はそう割り切り、信じることにした。




