(16)
――ここに来ると、思い出す。
戦っている最中だって、負けて意識を手放した後だって、夢に現に、その光景を見つめていた。
「……そんな、だって……話を聞く限りじゃ、これって貴重なものじゃ」
握り渡された現世へ戻るための『鍵』。それを呆然と見つめながら、当時の南部真月は目の前の男に問うた。
男は表情を変えないままに、吹雪の中で重々しく首肯した。
「だが、被害者の命には換えられん」
「被害者なんて、そんなの、ここにいる全員がそうじゃないですかっ!」
確か、こういう場合は特別失踪と言ったか。通常の行方不明者は七年だが、もしそれが大事故によるものだとすると、一年間経過で戸籍からその名が抹消されると聞いたことがあった。
それが今回の場合に当てはまるとすれば、法的にはこの校舎の人間は外界ではすでに死亡したことになっているのではないか。
ひたすらに理不尽で残酷だった。
ただ一つの見落としや手順の入れ違いで簡単に命が失われ、生きていたとしても楽しみのない、牢獄のほうがまだマシという毎日。その果てに生還したとしても、彼らを迎え入れる社会などありはしない。
「だからこそだ」
と彼は、白景涼はその仲間たちを背に負い言う。
「確実に救える誰かがいるのなら、明確に引き返せる者がいるのなら、自分たちは、少なくとも自分はそういう人間をこそ戻したいと思う。ここに来た時から、自分たちは戻れぬ覚悟を決めている。そしてその時に、もう二度と、自分たちに降りかかったような悲劇は起こしたくないとも決めた。……君は、ただ巻き込まれただけだ。自身が居るべき場所に戻れ。その人生に、全力を尽くせ」
などと大真面目に言うものだから、その時はつい笑ってしまった。でもそのおかげで、今日まで罪悪感も後ろめたさも、ごまかして上手く付き合えていたのだと思う。あの娘……足利歩夢に踏み込まれるまでは。
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意識を引き戻した時、そこにあったのは冷たい鉄の装置と嘘のような現実だけだった。
一抹の虚しさが寒風のように胸を通り抜けていく。きっと彼女が本懐を遂げていたのなら、きっとその感傷はもっとヒドイことになっていたことだろう。
「……何やってんだろ、あたし」
「ホントにねェ」
――絡みつくような女の声が、割って入ってノスタルジーを汚す。
痛撃によって吹き飛ばされ、生身の状態で雪原を転がされる。ホールダーによる攻撃ではない。あくまで、物理的なミドルキックだが洗練された軌道を描いて背後から鳩尾を襲った。おそらくは格闘技の一つでも心得ているに違いない。
「……賀来久詠! あんたまだ帰ってなかったの!?」
「やーね、一度帰ったわよ。できることならこんな世界に一秒だっていたくないし」
そこで生活する人間さえもせせら笑う調子で、久詠は肩をすくめ、わざとらしくコートの襟元を掻き合わせた。
「で、温まってから戻ってみたら案の定これよ。まぁ伝言板の役さえ果たせない貴女に、そこまで期待はしてなかったけど」
「だったら、なんで……」
わざわざ自分に陰謀を持ち掛けてきたのか。
そして仕損じたらそのフォローをするのではなく自分を折檻するのか。前後どちらにせよ無意味なのは目に見えているではないか。
その問いに、嘲笑を浮かべて彼女は答えた。
「進行によって脚本の修正が適宜求められるのがリアリティーショーの常でね。そしてどうドラマチックに書き換えていくのかが放送作家の腕の見せ所ってやつじゃない」
「何を、言っている……っ」
「喜びなさいな。本来なら端役どころか裏方の雑用でしかなかった貴女を、メインヒロインに抜擢してあげようっていうのよ。……ただし、悲劇の、だけどねぇ」
謀略的陶酔とともに掲げた左手目がけ、雪中を何かが跳ねて寄って来る。
それは、一尾の魚だった。
古代魚のごとき物々しい鱗を鉄片で形作った魚型のロボット。
おそらくはFSタイプのストロングホールダー。支援、妨害工作に秀でたタイプと聞き及んでいる。
やがてそれは真月のデバイスと同じように左二の腕に張り付き、手甲へと変形する。傘開きになった鱗の側面より五基のスロットが展開する。
〈指揮官〉
彼女同様に偉そうな仁王立ちした人型と、それの左右に侍る三体の兵士。それを飾りとするダークグリーンの鍵を魚の口に装填しつつ、次から次へと、おそらくはグレート3相当の鍵を鱗の鍵穴にねじ込んでいく。
〈出陣・衛士〉
〈出陣・百人長〉
〈出陣・ロイヤルナイト〉
――これほどの鍵があれば、この世界のどれほどの人間が救われることか。
そんなことなどまるで斟酌しないほど豪快に使用していきながら、彼女は言う。
「貴女が功に逸って足利を襲う。ここまでは筋書きどおり。でも修正を利かせるのはここからよ。返り討ちにあった貴女は事故か故意か、歩夢によってその命を奪われるの。貴女の敬愛すべき棟長サマは、あぁ愛する者を喪って……かどうかは知らないけど? でも責任は必要以上に感じるでしょうから、足利歩夢への復讐を誓う。そして、反維ノ里士羽の急先鋒としてここから頑張ってもらおうってわけ。どう? 泣ける話でしょ」
それに合わせて水平にした真月の腕にも紅の虫型デバイスが絡みついて起動させる。
ここまで得意げに吹聴されればいやでも気づく。
この女は、その目的は……
「先輩を手駒とするためにあたしを殺すっていうの!? そんな、ことが許されるはずがないでしょッ」
あら? と言った調子で眉を持ち上げてせせら笑う。
「もういい加減に気づいてる頃だと思ってたし、足利歩夢を襲撃した時点で覚悟しておいてもよさそうなものだけれども……法治国家から逸脱したこの世界に、許されないことなんてあるわけないでしょ」
低い声で恫喝する久詠の前に、水音や泡の弾けるようなエフェクトとともに、二メートルを超す鉄人たちがそれぞれ民族的な甲冑姿で三体顕現する。
人造レギオン。ユーザーの意のままに従って挙動する、賀来久詠の『武器』。
許さない、というのであればニュアンスこそ違えど真月の方だ。
徹頭徹尾、この陰険な女は、過酷に人々が生き抜こうとしているこの世界を、自分の都合の良いオモチャ箱かゲームだと考えている。
「そんなことは、させない……ッ」
気炎を吐き我が身の熱を保ちながら、再び〈猟犬〉の鍵を装填してねじ回す。
鋼の獣人と化した少女は、低く腰を落として構えを取った。
どのみち逃がしてはくれない。それならば一矢報いるのが正道というものだろう。
――勝てないとは、半ば分かっていながら。




