(15)
「ねぇ、この機械ってどうにかならないの」
「動かせないことはないが……この羽だとタイピングしづらいな」
「じゃ、叩こう」
「壊れたわけじゃないよ。昭和の人間かよ」
『レギオン化』を解いて倒れ伏す南部真月。それを無視して転送装置の復旧作業をしまいかというところで、歩夢と、雪をクチバシにかろうじて引っかけて残すレンリは停滞していた。
「――それとも」
音を雪が吸う。ただ、それでも至近で人が身じろぎすれば多少なりとも聞こえてくるわけで、歩夢は背後をどこか昆虫じみた動作とともに顧みた。
「やっぱこいつにやらせる? 無理やり引っ立ててでも」
よろよろと起き上がりかけた真月に感情なく視線を向けるが、レンリとしてはその行動は否定したいところだ。もはや彼女は自身の意志力でもってのみ立ち上がり、そして自身のホールダーを再起動させんとしている。
そういう人間が、今更翻意させられるはずもなかった。
「やめておけ」
レンリは歩夢の提案をひとまず黙殺し、あくまで真月に語りかけた。
「CWタイプは最新型のホールダーだ。経験差でカバーできるうちはまだ良いが、対等以下の状態なら最古参のLSタイプがスペック上回ることはまずありえない」
淡々と事実だけをレンリが伝えると、手袋越しの拳がぎゅっと握られる。
「……じゃあ、じゃあどうすれば良いのよ! こんな状態でっ、これ以外に! いったいあたしに何ができるってんのよ!?」
再三にわたる心からの叫びに対して、レンリは明答を持たない。持たないがゆえに、こうなった。みすぼらしいカラスになってこの世界に渡り、コンソールも満足に動かせない。
「何もしなくていいんじゃない?」
目を逸らすレンリに代わり、意外な人物が答えて言った。
――というよりも、消去法でそれは歩夢以外にいないのだが。
「何もできなくたって、良いんじゃないの。少なくとも、わたしは周りの連中に何かをしてくれる人間なんていなかった」
自分の奉仕活動を阻止した女子だ。当然、歩夢に対する真月の姿勢は剣呑なものとなる。
睨み据える犬のごとき先輩にも遠慮する様子もなく、淡々と続けた。
「ポーズだけは一丁前、兄貴気取りの馬鹿。カネは貸さないし正論ばっか言ってくる馬鹿。あんたみたいに裏方で色々動いた気でいる偽善者の馬鹿。そんな馬鹿ばっか」
でも、と雪の上に視線を移し、歩夢は小さな声で続けた。
「そんな連中が、なんかワチャワチャして、あれこれまとわりついてくんのは、それなりにしっくり来てる自分がいる。何かをくれなくても、してくれなくても、これはこれで悪くない……最近そう思い始めてきた」
「歩夢……」
黒い瞳がまっすぐにレンリを見下していた。
レンリの胸に熱いものがこみ上げる。嗚呼、この世界までやってきて自分のしてきたことは、決して過ちではなかったのだと、潤む碧眼で見返した。
「……いや、やっぱ気のせいだったわ」
歩夢は表情と態度を使って全力で前言撤回した。
「えぇっ!? なんで、なんで俺の顔見てそうなった!?」
「だってあんたの浮かれっぷりがマジで腹立ったもの。というか、ホンットーに、クソほどの役に立たないんだもの」
「あー、あー! すぐそういうコト言う! 素直じゃないんだーっ!」
ともすれば雪崩でも引き起こしかねないほどの声量で罵り合い、競り合う。
その様子を呆れながら、結んだ髪の先まで脱力しながら見守っていた真月だったが、ため息をひとつこぼし、額に手をやった。その姿勢のまま、両者の間を通り抜けた。
そして機械にたどりつくと慣れた手つきで再起動させ、
「お待たせしました、復旧作業完了です」
と、打ち切った時と同じように一方的な通達を本部へと言い渡す。
その後で、大儀そうに息をついた。
「え、なに、もう良いの?」
「……もういいわよ。あんたら見てると、マジメに悩んでるのが馬鹿らしくなる」
脱力しきった彼女の向こう側で、ポータルが開く。
それじゃあ遠慮なく、と歩夢は足早に進んで先へとくぐり抜けていく。きっと、その温度差に苦しむはめになるとは思うが、まぁそこは自己責任だろう。
「……あのさ」
レンリもそこへくぐろうとした時、足を止めた。
「ストロングホールダーには、各タイプごとに役割が割り当てられている」
LSタイプは異界の状態が分からず手探り状態の頃であるがゆえ、威力偵察を目的とうした設計思想だ。
対して、歩夢の持つCWタイプは、キーの育成。
これは本人にも伝えていないことだが、グレードの成長を最大効率で促すよう、絶えず微弱な刺激をキーへと送っている。
歩夢の装備する『ユニットキー』がことごとく急速に進化を遂げているのは、そうした機能も一役買っているというわけだ。
「……これが、どういうことか分かるか」
「また、安全なヤツばかりが優遇されているってことでしょ」
偏見から来る真月の批判に、そうではないとレンリは首を振った。
「つまい維ノ里士羽は、まだ『お前たち』を見捨ててはいないってことだ。グレードが効率よく上げることが出来れば、『旧北棟』を助けることにもつながる。まだ量産ラインには乗ってはいないが……もう少しだけ信じちゃもらえないか? あいつらのこと」
真月は答えない。ただ、互いに向けた背越しでその気配から険が取れていくのは感じ取れた。
そのことにほんの少しだけ晴れがましい心地がして、小春日和のような足取りで、レンリもまた雪国を後にした。
――いつか、必ずと自分自身に誓って。




