(11)
通気性の問題上、最上階に設けられた施設には、退廃的な全体の様相とはかけ離れて厳重な管理者権限が取り付けられている。
生体パルス、虹彩による簡易的な認証。そしてそれらをパスすると、一転してアナログとなって、手打ち式のパスワード入力画面が待っている。
(えーと、なんだったか……あぁ、そうか)
さすがに忘れかけていたから、過去の自分の思考パターンを分析し再現し、二度のミスの後、自動ロックと警備システムが作動する直前に答えに行き着く。
外付けされたキーボートにインド語訳したある怪獣の名前を打ち込むと、扉がスライドして
〈お帰りなさい〉
という一般家庭の自動ロックシステムの音声データの流用が響く。
中に入ると、そこはラボというよりも自動車工場のようだった。
いわゆる機械臭が漂う。使用していない時も定期的に換気はしているようだが、それでも修理加工、分解や解析などの工程をすべてこの場所でしているのだから、染みついてしまう。
奥の台で稼働されている暖房設備の前で、歩夢たちのホールダーが解凍されていた。
もちろん仕様外かつ迂遠な方法ではあるが、ろくに設備のないこの場所では多少の乱暴には目をつぶるべきだろう。
朝になったら防氷用に調整する予定だったのだろうが、それでは遅すぎる。どうにも策謀めいたものが白景涼の意識の外で蠢動しているような予感がある。歩夢たちに早めにこの異界から立ち去らせるか、そうでなくとも自衛の手段は復活させておかなくてはならない。
立てかけられた白衣を肩に打ちかけると、気分が引き締まる。右の五指を鳴らし、左の手首をもみほぐし、コンディションを整えると、彼女たちのホールダーを作業台へと移した。
〜〜〜
ここでは、夜冷たいベッドに入るということは、睡眠というよりも、消耗し切った末の失神と呼んだ方が正しい気がする。そして目覚めはまるで分銅を前頭葉に取り付けられたかのようだ。
その上今日は叩き起こされたときた。
躾けられていないポメラニアンのごとく声をあげる南部真月に引き立てられてきたのは、作業場と称された最上階の部屋。厳重らしいロックは解除されて、開放された部屋の中には、白景涼が立っていた。
「今朝未明に、ここに何者かが侵入したの」
率直に異常を伝える真月に、鳴が眉をひそめた。
「そりゃ、あたしらのホールダーが盗まれたってことか?」
ともすれば自分たちの帰還の手段を失うわけで、その問いは剣呑な響きを帯びている。
だがそうであるなら真月はその直接的な性格上もっと申し訳なさそうな顔をするだろう。
しかしその表情は弱ってはいるものの、こちらに対する配慮は感じさせなかった。
「むしろ、その逆よ」
「逆?」
歩夢が問いを継ぐ。
彼女の足が部屋に至るなり、その頭上を、鉄の鳥がかすめた。
歩夢のホールダーだった。持ち主に害を加えないようプログラムされているにしても、かなり大きな影なのですぐ目の前まで接近されれば軽く驚く。
だがその塗装は色鮮やかになって、元々あったもの、今までの戦闘で負った細かい傷や破損なども補修されていた。
飛び回る動きもどことなく機敏だ。
「誰かがロックを解除した形跡はあった。カメラはその間の記録が飛んでいた。でもホールダーやキーを盗まれてはいなかったし、修理に回そうとしていた貴方たちのデバイスがこの通り見事に仕上がっていた」
「ハードだけではないな」
鳴の装備とPC機器類が、太いケーブルで繋がれていた。
その内のモニターには、一読するだけで気を遠くへ遣りそうな演算式が羅列され、それを見通してから涼は言った。
「プログラムも相当に手が加えられて処理能力が段違いだ。そしてここまで無駄のないコードを構成できる人間は、ここに違反もなく入れる数少ない者たちの中でただ一人しかいない」
立場上なのか、ソフト面にも精通しているらしい彼は、断言に近い調子で答えた。
ファイバーの縛から解放された牛のホールダーは、そのまま鳴の胸元に飛び上がって落ちた。なるほど動きが少なくともデパートの屋上遊園地の錆び付いたマシンよりかは俊敏となっている。
「士羽だ。維ノ里士羽が、ここに来て彼らを直した」
まぁ座敷童か屋敷妖精の類でも飼ってない限りそうなのだろう。歩夢も鳴も、その考えに異論はなかった。
「あの根性曲がりめ」
「どうせなら連れて帰ってくれればそれで済むのに」
などとそれぞれに悪態や不平を漏らし
「だな」
とその間でレンリが短い相槌を打った。
「ともあれ、これで手間が省けた。真月、胡市を哨戒から呼び戻すよう通達を出してくれ」
先輩、と切羽詰まったように真月が呼ぶ。だが常のように、彼女の言外からの訴えは涼の愚直さ、鈍感さには届かない。
『旧北棟』の守護王は、淡々と、だが剽悍な眼差しでもってその場にいるスタッフに命を下した。
「決行は明日に早める。急なことかと思うが、それまで各自準備を頼む」
歯痒げに真月は唇を噛み締める。
この低身長の上級生が、歩夢たちを解放することに懐疑的であることは周知の事実だ。
それでも、その必死さの程度が、歩夢が違和感を覚えるラインを超えているような気がした。




