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剣ノ杜学園戦記  作者: 新居浜一辛
第五章:ヒョウリュウの、教室
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(9)

 的場鳴が一階にある医務室まで降りると、すでに消灯時間であって暗闇が広がっていた。

 花見大悟の管理する保健室と同様、薬品や消毒液の臭いが闇の中で色濃く浮かび出ていた。


 その中で鳴は、光るふたつの宝石めいたものを視た。

 それは、ベッドに横たわる患者、井田典子の双眸。覚醒している彼女は、旧友の到来を待っていたかのように、あるいはただ虚空に挑むように生気と正気を保って鳴が開けた戸口の方を見つめていた。


 鳴は反射的に、スライド式扉の横のスイッチに手をかけた。

 電灯をつけてから、他の傷病者の睡眠を妨げてしまうのではと案じたが、幸いなことに、あるいは不運なことに、ここには鳴と典子、因縁のコンビだけしかいなかった。


「思ってたより、ちゃんとしてそうだな」

 少しバツが悪そうに、鳴は彼女の視線から目をそむけて笑った。

「一度起きた時は、パニックだったわよ。鎮静剤? みたいなの打たれてそのまま眠ってたけど」


 それは不法な医療行為にあたるのでは、という疑念が鳴の脳裏をかすめたが、その是非を問う無意味さをすぐに悟る。あの巨剣周りの事象も空間もすべて、この法治国家の内に在りながら法外のものだ。


 常に稼働させていないといけないヒーターが、空気を沸かす音が聞こえていた。


「あんたの時も、こうだったの?」

 その中で、彼女は張り詰めた声で訊いた。


「いつも、こんなことをしてたの?」

「んなわけあるか。今回はとりわけ異常なケースだ」

 少しニュアンスを変えて続けて典子は問う。それについては、鳴は正直に答えた。


 重く、苦しい嘆息があった。深海でシュノーケリングでもしているかのようなで息遣い、白い息が地へと吐きかけられた。


「まぁアレだ。今回のことは犬にでも噛まれたと思って、まぁ明日明後日あたりには帰れるだろうし」

「鳴はいつだってそう」


 話題を強引に変えようとした鳴に先手を打つかたちで、典子は言った。


「なんの話だよ」

「覚えてる? 部活の帰り道、みんなが買い食いしようって時、あんたは「禁止だろ」って笑いながらも賛同した。けど、あんた自身はコンビニでパン一個買わなかった。誰かがかったるいからサボっちゃおって言った時も、鳴は反対しなかった。でも、自分だけはちゃんと部活に出てた」

「……」

「あんたは、他人の失敗や邪道には寛容なくせして、自分には、自分だけは厳しくて正しい道を行く。それが周りには、かえって息苦しいってのに」


 毛布に埋めた両脚を畳みながら、ちゃんと聞こえるよう、明瞭な発音のもとに旧友は続けた。


「そんなあんたのことが、嫌いだった」


 そうか、と乾いた声で返す。

 これで誤解が解けると思った。もしかしたらこれを機に、昔みたいにやり直せるのではないかと淡い期待を抱いていた。

 しかしもう自分には何もしてやれることはない。

 語れる何かもないほどに、道はとうの昔に外れてしまっていた。

 それを再認識しただけの、夜這いだった。


 部屋を出ると、白景涼が扉の脇に侍っていた。

 長い手足を組んで壁にもたれかかる様は、外部のモデルもかくやという堂の入りっぷりだった。


「なんすか、盗み聞きっすか」

 若干機嫌が悪い鳴はつい絡むような言い方をしてしまう。だが自他の言動を別段意識した様子もなく、

「明かりがついていたから寄っただけだ」

 と短く答えてコートをはためかせて帰っていく。


 その姿にかえって鳴の方が申し訳なく思いながら、自分も帰ることにした。


 〜〜〜


 部屋に戻ると、ほの暗い中、ぼんやりと鬼火のごとく一点が発光していた。

 それは、足利歩夢がスマートフォンをいじってることによるものだった。そのつまらなさげな顔が、うすぼんやりと照らされていた。


「何やってんだ、お前」

「いや、電波がどうにかして届かないかなと。暇だからなんかアプリ入れたい」

「入るわけねぇだろうが」


 呆れながらその前を横切ろうとする鳴に、「どうだった?」と歩夢はなんとなしに尋ねた。


「あぁ、見事にフラれたよ。はっきり言われた。『あんたのことが、嫌いだった』ってな」

 感傷を冗談めいた口調と肩をすくめるジェスチャーで紛らし、鳴は乱れたままの自分のシーツに向かう。

 すると歩夢は、画面を傾けながら、鳴を一顧だにせず問い重ねた。


「今は?」


 は、と詰まった呼気がおのれの喉奥から吐き出された。


「いや、『嫌い()()()』んでしょ? 今はどうなのさ」


 一歩、二歩、三歩。

 歩夢の質問の意味を咀嚼せず、漫然と身を進ませていた鳴だったが、ふとその意味を悟った。

 井田典子の言葉の荊の向こう側に隠されていた意図、その花の所在を今更ながらに知った。


「あー」


 自分の鈍感さに、心底呆れかえって嫌悪する声音を漏らす。

 おそらくはあの一言が、場面が最後の分水嶺だった。自分たちが絆を結び直せるかどうかの。

 だがその分岐はすでに流れた。典子は右に、鳴は左へ。


 ――いや、それにその時点で気づけないような人間だからこそ、的場鳴という自分本位の人間は、今しかるべき罰を受けたのだ。


 さらに深くえぐられる傷に耐えながらも鳴は、同時にそれに気づかせてくれた歩夢を認め、胸中でそれとなく感謝した。

 それを素直に伝えることは口幅ったいが、そこで黙したままでは典子の時と変わらない。

 代わりに、手を伸ばしてぐしゃぐしゃと、少女の黒髪をまぜっかえす。


 べしん、と。

 さながら猫のように、歩夢はその手を無表情で強く振り払った。

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