(1)
「ユニットに『伏兵』、という特性を付与できるデバイスがある」
レンリはおもむろに語り始めた。
「これは特定の事物にキーを埋め込み、それに対してアクションを起こした対象に向けて、そのキーが発動する。今回の場合は宿主は井田典子。対象は俺たちだ。埋め込まれていたのはおそらく『輸送兵』。設定したルート間を自在に転移させるグレード3のユニットだ。ハナからこれを狙っていたな。鳴だけじゃない。俺ら全体を巻き込むように」
「あぁそうかよ」
鳴は吐き捨てるようにして話の腰を折った。
「で、ワナにかかった後で仕掛けについて説明する事に何の意味があるんだよ」
まったくもって正論だった。その知識を持ち得ながら見抜けなかったのは他ならぬレンリの手落ちだ。
だが、それはそれとして、
「いや、元はと言えばあんたらのせいだから」
……レンリの言おうとしたことを、投げようとした視線を、歩夢は鳴と、彼女の背負った典子へと向けた。
彼女は歯を鳴らし唇を青くして震わせながら、レンリを抱いて暖としている。この中でもっともダメージが大きいのは、露出の多いメイド服姿でそこに投げ出されたこの少女だろう。
「悪かったよ。けど死にたがってたんだから、ここでじっとしてるだけで願いが叶うぞ」
「だから別に死にたいわけじゃないし、死ぬにしてもこんなところじゃ嫌だし、むしろこの状況でんなふざけたこと抜かすあんたをそのお荷物ごとチルド冷凍させたろうか」
「あ?」
「は?」
「極限の状況って人間性がよく出るよなー……」
レンリの皮肉めいたぼやきで、少女たちは諍いの不毛さを悟ったようだった。舌打ちして、顔を背け合う。
だが苛立つ気持ちも理解はできる。
都合数十分、歩き詰めだ。
一般的な歩道であれば、さほど苦ではない距離ではあっただろう。
だが、この『八甲田山疑似体験ツアー』のごとき雪の悪路ならば話は別だ。
自重によって足は雪に沈み、逆に雪の重みで足は満足に上がらない。
体温と摩擦は雪を溶かすが、それは肌や衣服に冷水が染み込むことを意味していた。
地平線の先にある基地へまっすぐ向かっているはずなのだが、白く帳の下された世界は、遠近感に欠けて一向に近づいている気配がない。見えているのは集団幻覚なのではないかとさえ疑いたくなる。
「くそっ、このままじゃ」
鳴が吐き捨てる。案じているのは彼女自身のことではなく、背に負う典子のことだろう。
未だ意識を失ったままの、完全なる被害者。
顔を白くして、かすかに漏れ聞こえる呼気は、あまりに弱かった。このまま目を覚さない可能性も、考慮せざるをえなかった。
「おい」
鳴は歩夢に焦燥した声を出した。
「それ、よこせ。それで暖める」
レンリに、目を向けた。
「やだよ、私が死ぬじゃん」
「ホールダー付けてる限り最低限の生命活動は保証されるんだよ。こいつが保たねぇだろ」
「だったら、あんたの牛渡しゃ良いじゃない」
「今度はあたしが動けなくなるだろ。このストッキングが何ディールか知ってんのか。あたしが動けなくなったら、誰がこいつを運べるってんだ? お前のちっこさで引きずってくか?」
「わたしはガーターベルトなんだけど」
「つべこべ言ってねーでいいからよこせ!」
痺れを切らした鳴は、実力行使に打って出た。
片手を伸ばしてレンリの球体をもぎ取り、歩夢がそれを奪い返す。
見てくれそれ自体は美少女たちに挟まれて、揉みくちゃにされながら、レンリはぼんやりと雪降る曇天を見上げた。
彼とて一個の男としての矜恃がある。
女に取り合われているというシチュエーション自体はむしろ喜ぶべきことだろうが、そもそも前提としてこの状況は男として見られてはいない。
いくらなんでも、人権を無視して暖房器具扱いとはあんまりだ。
抗議してやると息巻いた。息巻きは、したのだ。
嗚呼、だがしかし。
ちくしょうこの弾力が、ちくしょうこのスベスベが。
いや井田典子の引き締まった腿も捨てがたい。
それでも、と血涙を呑んでぐっとこらえる。
こんな酷寒の中我を忘れて女体にウツツを抜かしている場合ではないのだ。そんなことに溺れていては彼女たちからの
蔑視は不可避だろうし、自分自身のプライドがそれを許してはおけない。
いくら鳥類に身をやつしているとは言っても、品性まで獣に落とした覚えはない。
――ならば。
取るべき一手は決まっていた。
「おわーっ! やめろーっ! もふもふもふー!」
表面上は抗いつつ鳴の谷間に顔を埋め、
「…………」
歩夢のiPadのごとき同部位からは全力で目を背け、
「おわー! やめろーっ! …………もふもふもふ」
と、身をよじって反転して、鳴のそれを再び堪能する。
これぞまさにレンリ一世一代の名演技、自尊心と欲求を同時に満足させる最善手であった。
だが、そんな蜜月は長くは続かなかった。
どちらの暴力に端を発するものか。気づけばレンリは少女たちの間から弾き飛ばされ、宙を舞っていた。
そのうえで、かなりえげつない角度と速度で雪原に叩きつけられて、沈んだ。
「い、一体いつから……?」
気づいていたのか、と続く前に、鳴は呆れたように着衣を整えて返した。
「そりゃガップリ四つになって鷲掴みにされてりゃ気付くっての」
「あと、私からは全力で逃げてたよね」
「……俺にも選ぶ権利ってもんがあるよぶへぇっ!?」
歩夢のサッカーボールキックが炸裂した。
水切りのごとく、本来は衝撃を吸収するであろう雪の上をバウンドし、さらに数メートル後方へと飛ばされる。
少女たちは、この寒さに勝るとも劣らぬ冷ややかな一瞥をレンリへとくれたあと、前方に向き直って歩き出した。
「あぁ、ムダに体力使っちゃった」
「一瞬でもあんなもんのために争ってたとか、いよいよもってどうかなり始めてんな、急ぐぞ」
つい数分前までの諍いは何処へやら。連れ立って進む彼女たちを、レンリは這って追跡していく。
的場鳴の胸部に執着したのは劣情のみに非ず。
この超低温の世界において温もりを求めていたとか視線誘導の延長線とか母胎回帰の本能にまつわるうんぬんカンヌンとか要するにそう言うアレであってそんな中学生的なドストレートな性欲ゆえではないのだ。
分かれ分かってくれと念じつつも、現実的には内なる自己弁護に終始するよりほかない。
かなしい悲しいかな男性はここに自分ひとり。理解者など得られようはずもなかった。
狼の如き遠吠えが灰色の空の下に轟いたのは、心身ともにレンリが立ち直って歩夢たちに追いついた、その時だった。




