(4)
「おっと、自己紹介が遅れたな。普通科二年の桂騎だ。よろしくな」
頭上に座す少年は、端正ではないものの、見ようによっては親しみやすさを感じさせる、人好きのする顔立ちをしている。だが、口の端に浮かべた笑みに、人の善たる部分は感じられない。
あいさつ代わりに挙げた片手を顔の横に固定させたまま、歩夢の反応を待っていた。探っていた。
歩夢はしばらく無言で睨み返していたが、無視して歩き始めた。
校舎のドアを開く。特に意識もせずくぐる。
その刹那、目上にいるその上級生が、忍笑いを漏らした気がした。だが、それを確かめる意味はない。ドアをくぐれば、この異常な夢から醒めて、日常に戻れるはずだ。戻ってどうなるという、是非はともかくとして。
そして校舎に入ったはずだった。だが、自分は校舎から、外へと出ていた。
しばし、絶句。再度押し寄せる混乱。
見上げれば、変わらず桂騎とかいう上級生は、校舎の軒に座っている。
自分は今、間違いなく見るからに不良といった上級生の眼下から脱したはずだった。
にも関わらず、通り抜けた扉の先にあったのは、自分が背を向けたはずの、庭園だった。
「……何を、したの?」
桂騎が、笑う。
「あぁ、お前。そうなのか」
悪童じみた声とともに、持ち上げたままだった手を左右に振る。
「俺のせいじゃねーよ。ここはそういう場所なんだ。下手なとこを開けて空から落ちても知らねーよ?」
脅しなのか冗談なのか、容易に判別しがたい調子で続けた。
「お前さん、要するにアレか。ここがどういう場所か分からないズブの素人。たまたま適性があっただけの、『鍵』の因子を手にして、ここに誘われただけの、『感染者』」
桂騎は、笑う。
言葉を拾えば他者を揶揄するような類のものだった。だが、そこに込められていたのは、純粋に自らの喜びの発露だった。
くつくつと、粥を煮るような不気味な笑い声は断続的に続いていた。
「なに? どういうこと?」
桂騎はもはや、歩夢の問いを動物の鳴き声か何かのように捉えているらしい。
反応は示さず、ただ目だけが興味深げに彼女のうろたえる様子を観察している。
「もしくは、それが演技でバックに『北』だの『西』だのがいる可能性を考えた。別のヤツの声もさっき聞こえたしな。けど、どっちでもいい」
そう言い切った桂騎の腰周りに、蛇が這っていた。
この異常な庭園に相応しい異形。
全身が鉄張りの、いや鋼で造られた、機械の蛇。
鱗一節ごとに黄色と黒のボーダーで塗装されtうぃる。虎柄というか、毒蛇の警告色に近い。
頭部とおぼしき部位には、槍穂にも似た、三角の刃が取り付けられていた。
その蛇が、じゃらりと鳴く。桂騎の腹から伸び上がり、脇へ、右腕へ。手の甲に頭を固定させると、肘から先を巻き込み包む。側から見ればそれは、具足の籠手にも見えただろう。
「転がった金塊を拾うか、出しっぱなしの宝石をかっぱらうか。俺にとっちゃそれだけの差だ」
彼は嘯く。
「何しろ、こういうのなもんで」
左手で上着から鉄片を取り出して。
鍵のようでもあった。短剣にも似ていた。
凹凸がその先端を形作り、半透明なその刃の内部には、何かしらの法則性に則ったかのように溝が彫られていた。
まるでそれは、宝石に伸ばされた手のような……
その逆サイドには、同じようなモチーフなのか、宝石とそれを掴む手のホルダーがついている。
それをくるりと手の内で回転させると、鎌首の付け根、鱗の隙間。それ専用の挿入口と思われる場所に挿入する。
〈盗賊〉
抑揚ない男の音声が、鎌首から漏れる。
すっかり鎧われた右手を握り固める。その拳を、背後の壁へと向けて叩きつけた。
壁は、ガラス細工のように破砕した。その先にあるのは、闇。その中に点在する、星の粒子。
桂騎がゆらりと上体を揺らめかせて立ち上がる。
外へとに漏れ出す星の粒は、彼の右腕以外を覆い包み、形状をまとう衣服を変化させる。古いテレビの砂嵐のような地肌。茶褐色の毛皮のようなものが頭部をフードのように隠し、ケープのように肩周りを保護する。
左肘などの関節部を鋼の外皮に変質し、波打つ灰色の肌を防護する。
だがそれはあくまで最低限。必要最低限の装飾と防御のみに留め、野性的な速さや迷彩効果に重きを置くその姿は、
――賊。
と呼ぶにふさわしかった。
フードと砂嵐と奥にある白い眼が、いびつに眇められた。
「悪いが、これが俺の生業でね。お前の中の『鍵』、周りからケチがつかないうちに頂くぜ」
いっそ快ささえあるほどの傲慢さとともに宣った彼は、軒を蹴って歩夢に飛びかかった。