(11)
幾度となく接触があった。
何十回も捕捉し、射程に捉え、矢を射込んだ。
だがそのすべてにおいて、功を奏さない。
あるべき所へあれ。戻るべき日常へ戻れ。
そう願いを込めた一矢は失踪する鉄馬の四肢をすり抜ける。
よしんば的中したにせよ、その分厚い外殻は内部への到達を許さない。
やはり軽弓兵では限度がある。
だがそれより高出力の長弓兵では、まず準備に時がかかり過ぎるし、狙いが定められない。街中での連射が許されるような代物でもない。
答えの出ない悔恨と煩悶の中、都合十三度目の交錯。
狭い路地に追い込みをかけ、誰に遮られることもなく対峙する。
隘路をものともせず、鉄馬は進路を塞ぐ鳴へと押し迫る。
ガリガリと異音を左右より立てながら、速度は緩まない。
鳴は正面から射る。一矢、二矢。そのことごとくが跳ね返る。
掘削機のように槍の穂先は触れるものをすべて抉りながら、眼前の敵……いや障害物を除くべく突き進む。
さすがに機は見誤らない。
室外機を蹴り、壁を蹴り、跳ぶ。宙の中で返る。腰を捻る。つがえる。
巡る視界の下を、猛進する井田典子だったものが通過していく。それを、そのうなじを、射た。
だが、虚しい金音をあげただけだった。
反動によって身体を持ち直し、着地する。
その時にはもう、鋼の馬の姿はなかった。アーケード街の大通りで悲鳴が聞こえる。居合わせた群衆のものだけではない。典子の声が聞こえた気がした。それが幻聴だということは、分かっていても胸を締め付けられる。
息を整える。だが、精神は小刻みに動揺をくり返していた。動揺。射手にとってこれ以上にない、大敵。
「くそっ」
舌を打ち、毒を吐く。軽く壁に、ホールダーを叩きつける。
だが自棄になったところで、典子が帰ってくるわけでもない。自分の無力さが反響してくるだけだ。
上着のポケットで、スマートフォンが鳴った。
こんな時に……いやいつにおいても連絡するのは、『彼女』ぐらいなものだ。
もっとも現実世界で連絡を、それも一般に出回っている携帯端末で取り合うのはレアなケースではあるが。
「あぁ!?」
両者の間に挨拶前置き辞儀合い一切が無用の間柄ではあるが、今回の場合それを率先して省いたのは鳴の方だった。
〈今追っているレギオンは放置しなさい〉
かと言って相手側が、維ノ里士羽が礼節を改めるかと言えばそんな訳がなく、結果として怒りの感情と無機質な指示とが飛び交うこととなった。
〈街の監視カメラから状況を確認しましたが、動きは一定。そしてそのゾーンを離れようとせず周回しています。おそらくは何かを釣り出そうとしています。貴女とそのレギオンを餌に〉
「つまり、あれは誰かが操ってるってことか!? できるのか、そんなこと! 一体誰が、何のために!?」
問いを分割し、かつ連続的に問う鳴に、
〈良いから、退きなさい〉
返ってきたのは、冷たい指示語。
〈歩夢たちから聞き出した断片的な情報と貴女の狼狽ぶりから、事情はおおよそ把握しました。そのうえで、あのレギオンは形状からしておそらく他とは違い、人為的に変異させられたもの。つまり、貴女に狙いを絞っている。でありながら、貴女をどこかへ引きずり込む気もない。十中八九、別の反応を待つための餌ですよ、貴女と井田典子は〉
「ほう? じゃあ本命は誰だってんだ」
〈それは断定できません。それを知るためにも、今は傍観に回るように〉
「傍観して、どうなる?」
再度、問いをぶつける。
沈黙する電話越しの相手は、鳴が言わんとしていることもその答えも承知しているはずだった。
「もし餌として役に立たないって判断されれば、典子はどうなる? お役御免でそのまま無事解放されるのか」
攻撃的な質問だったと鳴は自分の言葉ながらに思った。だがそれでも制御もままならないほどに、荒れていた。
答えはそれでもない。破壊をまぬがれた室外機の、異臭を排気し続ける音だけが、やたらと大きく響いていた。
「曲解や風聞から貴女を見捨てた相手を、見捨て返すことになんの不都合が?」
士羽は静かに、そう尋ねた。
まったくそれは道理だった。指示されたことも、大局的視点からは正しいとは思う。
だがそれは彼女一人だけの正しさだ。明白で、かつ血の通わない氷雪のロジック。
だがそれは同時に、感情の発露でもある。人間らしい、ではなく維ノ里士羽らしい。
「……そんな簡単に割り切れる問題じゃねぇ! ましてや足し引きの問題でもねぇだろ!?」
鳴は怒った。今までは、自分の不甲斐なさ、見通しの甘さに端を発する怒りだった。
だがこればかりは違った。
独り冷たい数式に閉じこもる、少女に向けた叱責だった。
「そんなだからお前は……!」
背後に気配が浮かび上がったのは、何か自分でもよく分からない言霊が突き出ようとした間際だった。
弭を翻し、形式ばかりの弦を絞る。
目当てを定めたその先に、怪物は確かにいた。
丸っこいカラスは濃緑の瞳を瞬かせて、その矮躯をさらに縮み上がらせていた。
それをヘッドドレスの上に捧げ持つ形で、メイドが無愛想な顔をして立っていた。
「なんだお前らか、驚かすなよ」
「それはこっちのセリフ」
「いや俺のセリフだよ! わざわざ射線に俺を置く意味なかったよな? お前ちっこいから普通に立ってりゃ当たらないよな?」
「うぜぇ黙れ死ね」
「今日びインターネット掲示板でも使わなさそうな煽り文句を……けど残念でした! そんなもんが今さら俺に効くかよ。そもそも本当にそう思ってるなら日常的に同じことを使ってるはずだし、包丁持ち出して締めてるだろ? それもしないってことは要するにそれが本音じゃないってことだろ。ハイ論破」
「バッチリ効いてんじゃねーか」
鳴は反射的にツッコミを入れた。
言ってからすっかりそんなポジションに収まった自分に気づいて、脱力感に苛まれた。
「……何の用だ? あたしを止めろとかお嬢様がお命じになったか」
「うん、まぁそれがきっかけだが……おい回れ右するな。どう見ても罠だが、止めるつもりはない」
返そうとした、踵を止める。
歩夢を見た。彼女のぼうっとした表情には、賛も否もなかった。その頭上で、レンリはあらためて言った。
「どうせ転がり落ちる球なら、躍起になって空中でキャッチするよりも、落ちる先を見極めてからコントロールした方がマシだ。俺が人生で学んだ結論のひとつさ」
鳥が人生観を語り、その彼に庇護された人間の少女は黙したままだ。
「お前も、同じハラか?」
鳴は語らぬ歩夢に自分から尋ねた。
メイドは眉の一本も動かさずに答えた。
「別にどうでも良い。ただ『優秀な自分のやることは全て正しい』とか考えてるような自惚れ女に従うのもシャク」
それを聞いたレンリは少し複雑そうに目を眇めたあと、
「……だ、そうだ」
と、通話越しに罵倒されたその女に話を振った。
「確かにお前の言うことある意味最短距離で正解に導くかもしれない。でも、それは茨の道だ。獣道を近道とは言わない」
なお募る感情があるのか。レンリは追い討ちをかけるように口撃を続けた。
「そうやって不合理を排除してあらゆる人間の言動を敵として切り捨ててきたのが、今のお前だ。どんだけモニターがあったとしても、そこから見える景色はたかが知れてるぞ」
返事はなかった。
聴こえていない、ということはないだろうが、自分でも思い当たるフシがあるのか。それとも彼の言うとおり、口論自体を不合理と切り捨てているのか。
ただ一言、
〈勝手になさい〉
抑揚なく言い捨てて、通話は切れた。
「よーし、お許しが出たぞ。それじゃ井田典子救出作戦開始。本件を『オペレーションアレキサンダー』と命名……ってあれ?」
カラスの戯言を無視して、少女たちは思い思いの方向へ動き始めた。
「ちょっとー打ち合わせとかは?」
不満げにクチバシを打ち鳴らすレンリを、鳴は鼻で笑った。
「このメンツで打ち合わせも作戦もあるかよ。こいつがが止める。あたしが撃つ。それで十分だろ」
ぐぐぐ、とレンリは呻いた。どうやら大略は鳴の示したどおりの作戦であったらしい。
「邪魔だけはしないでよ」
歩夢が言う。
「お前がな」
鳴は返す。
そして両者は、一気に駆け出した。
同時に足を止めて、一度振り返る。
一点を、一羽のカラスを指して、示し合わせるでもなく言葉を紡いだ。
「そしてこいつは」
「役立たず」
「なぁそれ、あえて足を止めて言うことじゃなかったよな?」




