(9)
今日も今日とて、鳴は件のメイド喫茶に足を運んでいた。
相変わらずグレーゾーンの二、三歩はラインを踏み越えている様相ではあったが、時間は持て余していたし、金にだけは困らなかった。
そして不思議キャラで売り出そうにもまったく愛嬌というものを向けないメイドになど固定客がつこうはずもなく、足利歩夢ことあゆあゆの指名は容易だった。
「お前ホント見てくれだけは綺麗なのになー、見てくれだけは」
「お触りはおやめくださいお嬢様。おやめください。触るなお嬢」
そう言ってヘッドドレスを引っ張ったり、頬をつねったりする。少女ふたりの慎まやかなやりとりの様子をじっと見守っていたレンリがふいにクチバシを開いた。
「なんかお前……家庭に居場所なくてキャバクラに通い詰めるサラリーマンみたいだな」
「……自分でもチラッと思ったけど口に出すな」
まったくアコギな商売だと常々思うが、ああいう業態やこういう職業がなくならない理由に納得がいった。
「仕方ねーだろ。最近はヒマなんだから」
元々、士羽たち中立派のテリトリーは所詮は猫の額ほどの隙間なのだから、やれることは限られている。
もっともその間、鳴には鳴で私生活としてやることはある。やらねばならないことがある。
ただその活動も今は、諸事情により自粛中だった。
「こらこら、こうもゆったりしてる時間なんて今後滅多にないはずだぞ? 今ある余暇をヒマなんて言葉で片付けず、一分一秒を大切かつ有意義にだな」
そんな彼女の事情を露ほども知らないカラスは相変わらず年長者ぶって説教などした。
「そう言ったってなぁ、レギオンがまさか学校外に出てくるわけねーだろ」
「油断するなよ? まさに今この瞬間、空から奴らが落ちてくるとか」
冗談めかしく脅してみせるレンリに「はっ」と歩夢は笑いを落とす。鳴も声なく笑い、言った本鳥もハハハと喉を鳴らすようにしていた。
次の瞬間、落ちてきた。
レギオンが。
天井を突き破って、テーブルを割り、その残骸を撒き散らして。
警戒色のタテガミ、馬のような長細い面には凹凸はなかった。
それらを護るのは、間隙というものがない、ボディラインそれ自体と一体化したかのような銀の装甲。両手は人を刺殺するしか機能がなさそうな、馬上槍のごとく錐の形をとっていた。
そして吹き飛ばした鳴たちに向けて、前に突き出た鼻とも目ともつかない器官で狙いを定めていた。
さながら火をつけられた養豚場のごとき騒ぎで、客も店員も醜い悲鳴をあげて逃げ散っていく。
取り残されたのは、異形のもの二体と、少女がふたり。
「……」
「…………」
粉塵が中々収まらないなか、レギオンを囲むように対峙した歩夢も、鳴もそれ自体ではなく、自分たちと今まさに歓談していたレンリを睨んでいた。
「……俺のせいじゃないよ?」
カラスが情けない声をあげた。
その彼らの中から、レギオンが最初に獲物として選んだのは、鳴だった。
タイルに鉄蹄のごとき足跡を残し、踏み抜き、予想を超える速度で迫る。
勢いを緩めないまま、槍が突き出される。
すんでのところでそれをかわした鳴だったが、高速で身を寄せた騎兵の怪物自体からは逃れきれなかった。
胸が潰れるまでに押し倒された鳴は、地に転がったスポーツバッグをたぐり寄せた。中にあるストロングホールダーを掴んだ。
「め、イ」
どこかで聴いた呼び声を耳にした瞬間、鳴の全身が硬直した。
ガシャリと鉄音が眼前で響く。
「のり、こ?」
異形の面相が開き、中にいたその正体……否、変異させられ、閉じ込められていた少女と、限界まで見開いた鳴の目が合った。
「たす、け」
と言葉を漏らしたのも束の間のこと。騎馬の形を成した牢獄は、少女をその身のうちに閉ざした。
一瞬前の鳴の指示に応じて、起動したデバイスが主人を拘束する怪物の横槍を突いた。
バランスを崩したレギオンは、そのまま踵を返し、逃走を開始した。
「おい、大丈夫か?」
気遣うレンリの声が、どこか遠い。
立ち上がろうとするも、力が上手く入らない。
「……あれは、典子だ」
だが声にして最悪の事実を認めた瞬間、覚悟と体幹は定まった。
直立すると同時についぞ滅多に使わなくなったその脚をフル稼働させる。
両者が残されるのも構わず、ホールダーを引っ掴んで街に躍り出て、悲鳴が聞こえる方角を探りながら彼女を追った。
(なんで)
あれほど憎まれ役を買って出たのに、汚名も甘んじて受け入れたのに。学園の暗部から彼女たちを遠ざけるために自分が出来る中で最大限の努力をしてきたのに。
(なのになんで、こんなことになる!?)
状況は掴めずとも、理不尽な運命を少女は呪い、さらその足を速めた。




