(1)
そこは高級店というには見栄を張りすぎて、かと言って大衆向けファミリーレストランと呼ぶにはお高くとまりすぎている。そんな飲食店だった。
窓際の席を、一組の男女が占拠していた。
男の方はごくなんの変哲も無い、冴えなく覇気も野心もなさそうな、いかにも無難な半生を送ってきたという感じの四十を間近に迎えた男で、片や女のほうは氷の麗姿を持つ女子高生だった。
一見援助交際や。いわゆる『パパ活』を疑いたくなるような取り合わせだったが、周囲の客がそういう下衆の勘繰りをする様子はなかった。それは彼女の方が、所作や雰囲気が実年齢以上に大人びていたからだろう。
「……では、ご説明したとおりに」
少女、維ノ里士羽は、父親ほど歳の離れた相手に気後れすることなく、話をまとめ始めた。
「詳細は話せませんが、学園においてプロジェクトが発足し、そのモデルケースとして娘さんが選ばれました。以降は我々の財団と文部省より助成金が出ることになります」
……不思議なことにこの話を母方に話したところ、数日後には複数人の血縁者が今更名乗り出たが。
「そちらはおいおい精査するとして、とりあえずは戸籍上は登さんである以上、その一部が貴方に割譲されます。この額を娘さん……本来の未払い分も含めて歩夢さんの養育費として分割して充てる……ということで了承いただけますね?」
そこまで話を詰めたのは、ほぼ一方的に士羽の側からだった。その間この男は「はぁ」とか「ほぉ」とか茫洋な態度で頷き返し、音を立てて珈琲を飲むばかりだった。
だが、話が終わった瞬間、男の口からカフェイン混じりの吐息がほ、とこぼれ落ち、安堵を示した。
「……何か気になる点でも?」
それを咎めるように、士羽は聞き返した。
「いえ、正直に言って助かります。ここのところ、出費がかさんでいて。……彼女への支払いは、手痛かったところでして」
微妙な言い回しがどうにも気にかかり、士羽は眉をひそめた。
パパー、という間延びした、機械的な声が聞こえた。
最初それは、自分たちには関係ない、別の席の声だと思っていた。
だがその声の小さな主は、足利登の足下に駆け寄り、縋り付いた。
「お話、もうすこしで終わるからママのところで待ってな」
微笑みながら彼はその小学校にも入っていないような彼女に言った。少女は無邪気にうなずくと、そのまま一つ先のブロックにいる女性の下へと駆け去っていった。
「あぁ、すみません。話の腰を折ってしまって」
バツが悪そうに、というよりはにかむようにしながら彼は言った。
「今度、再婚するんです」
は? と。
思わず、枯れた声で聞き返した。
「離婚届も無事に受理されましたし、これを期にあの娘たちと本当の家族になりたくて。……ほら、家とかももっとちゃんとした場所に越したいし、家具とかも向こうから持ってきたものは処分して、新しいものに変えたいし……彼女たちには、僕しかいないから、まっとうな人生を歩ませたいんです!」
なにを、言っている。
この男は、いったい、何を、言っている。
士羽の脳裏に、彼が娘と呼んだ少女の顔つきを思い出した。
彼女は歩夢には似ていなかった。だが、化粧をするようになればある程度は誤魔化せそうな茫洋とした顔立ちは、この男には肖ていた。
何より彼女は再婚相手であるはずの男を、ごく自然に父と呼び慕った。その親しさは、一ヶ月二ヶ月で醸成できる関係ではなかった。
「立派なことですね」
思っていることとは正反対の賛辞を、冷えた声で士羽は与えた。それを額面通りに受け取ったのか、足利登は照れ笑いした。
もしこれが無用な衝突を避けるための韜晦だとするならば、とんだ名優だと思う。
維ノ里士羽は、今まで利欲を貪る大人たちの奸邪に振り回されてきた。
その彼らに比すれば、彼は社会的には善良な人物なのだろう。彼らの悪辣さと較べれば、登の不貞など微々たる出来心なのだろう。
ただ、それでも。
士羽の目には、この男は今まで見たどの大人よりも、卑劣で薄汚く醜悪な存在に見えた。
「その家族は」
新たに誕生した家族の去り際に、士羽は言った。
「ご自分で見捨てないと良いですね」
振り返った登は、いまいち要領を得なさげに、はぁと声を伸ばし、
「もちろん、そのつもりですけど」
キョトンと目を丸くしていた。
士羽は彼に舌鋒を向ける愚を悟った。
この男の中では、きっと足利歩夢などは家族という枠組みからとうに外れた、血の繋がりもない他人なのだろう。
「お水のお代わりは、要りますかぁ?」
間が悪く迂闊に近寄ってきたウェイトレスに、干したコップをテーブルに叩きつけるように傾けた。
破砕音にも似た衝撃音。引きつったようなウェイトレスの悲鳴は、その音に向けてか、その眼光の鋭さによるものか。
そしてその怒りは、本当は誰に向けたものなのか。
向けられるべき、ものなのか。




