(12)
三日後には、日常も歩夢自身も、すべて元どおりになっていた。いや、厳密には元どおりではない。前の自分の暮らしには、カラスはいなかった。彼を含めたありとあらゆる異常さを内包して、彼女の生活はひとつの流れに、システマチックに収まったと思われた。
それらを拒絶することを諦め、受け入れ、自然帰路を同じくする自分もまた、変質したのだろうか。その機構に組み込まれたからこそ変わったのか。異常さを取り込んだからこそ自分も合わさったのか。
歩夢は考えてみたが、答えの出ない自問をくり返す無意味さを悟ってやめた。
とにもかくにも、この世ならざるモノたちによって再構築されたその日常の一片。なんてことの学校からの帰り道。
そこに、ちょっとした変事が起こった。
いつ帰ってくるともしれなかった隣人が、帰ってきていた。かつてよりも表情が削げ落ちたような冷ややかな眼差しで、歩夢の部屋の前に立って、現代アートよろしくペンキや釘や張り紙で出力された罵詈雑言の数々を見つめていた。
やがて屋主の存在に気がつくと、かつてよりもだいぶ表情の乏しくなった顔を無言で向けてきた。
「へぇ」
歩夢は皮肉げに語尾と口端を引き延ばした。
「もうずっと帰ってこないもんだと思ってた」
士羽
久しぶりに、歩夢はその隣人の名をこの廊下で呼んだ。
「必要があれば、戻ってきますよ」
相変わらず、彼女の態度はそっけない。かつては、もうすこし救いのある性格をしていたはずだが。
(まぁあんなことがあれば、帰りたくても帰れないし人格も歪むか)
歩夢は一定の理解と同情を示した。こっちが必要としていた時にはいなかったくせに、などと独りよがりな恨み言をぶつける気もない。
それはそれとして、相手に気遣われるいわれはない。
「『この件』については、私で対応します。いちいち下らない雑事で足を引っ張られたくないのでね」
そう言って白衣の女子高生は扉の前を空けた。
感謝せずに鍵を差し込み、ドアノブに手をかける。
「歩夢、それでも貴女は」
士羽は続けて言った。
「あの学園に、来るべきではなかった。何も知らず、他の相応の学力の公立校あたりで、ふつうの学生として生活をしていて欲しかった」
「ふつう?」
歩夢は皮肉げに目をすがめた。散々に呪詛が書き連ねられた自室のドアをノックした。
士羽の言葉は思慮の上のものというよりかは、つい素の感情がこぼれ落ちた、といった塩梅の呟きだった。表情こそ見なかったが、彼女らしからぬ、苦々しさと悔恨がにじみ出ていた。
「今更だね、何もかも」
歩夢のほうも、つい声が出た。心ない感謝や赦免や侘びの一言で受け流すより、率直な事実が、喉の奥から押し出されてまろび出た。
「そのようですね」
そして次の瞬間には、士羽もまた冷酷な隠者に戻っていた。
足早に自分の部屋に向かい、やや煩わしげに、手順通りにドアを開けてそして閉ざした。
「……馬鹿野郎が」
足下でレンリが吐き捨てるようにして言った。
彼のふだんの振る舞いや愛嬌ある外見には似つかわしくない険しい一言を、歩夢は少し意外に思った。
だが歩夢としても悪態のひとつはぶつけてやりたかったところだったので、否定も追及もせず、同居鳥を伴って、自室へと入った。
そして足利歩夢は日常へと帰還する。
ちょっとした差異にはとうに慣れて適応した。
大きく違うのは、死と背中を合わせているということだけだった。
的場鳴という女がいる。
彼女は成績優秀、容姿端麗、運動神経抜群。
度量もでかけりゃ胸もデカい。一番身近なモデルケースと対比するに、やっぱり持つ者は心も豊かということか。
だが俺も、維ノ里士羽も実はこっそり知っている。
彼女が誤解されがちだけど、実は悩み多く繊細な少女だということを。
歩夢?
あぁ、なんか履歴書書いてた。




