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(こいつ……)
こともなげに姿勢と前髪を整える歩夢を横目に見ながら、鳴は軽く驚き、呆れていた。
彼女がおこなったことは、至極シンプルな動作だった。
収拾がつかない動作不良を引き起こしたシステムを、そのハードウェアごと再起動するという。
ストロングホールダーも演算装置である以上、多少乱暴だがトラブルの解決するには手っ取り早い最適解だったはずだ。
(けど、やるか? フツー)
今その瞬間に死が迫っている状況下で。
ろくに原理を知りもしない機械を一旦落とすという冷徹な判断を下し、かつそれをためらいなく実行に移すなどという。
だが、ただの死にたがりであれば、そのまま従容として刃を受け入れていただろう。
鳴が望むような翻意ではなかったにせよ、微妙な心境の変化はあったということか。
倒れ伏した女子生徒の気道を確保すべく、鳴は彼女を助け起こした。
やや化粧っ気のない、憶えのあるその顔立ちに、歩夢に気取られないようわずかに顔をしかめた。
なんて事のないように、結晶化し、精製された鍵を拾い上げる。
赤い鍵の末尾に、聴診器とそれに挟み込まれた注射器の装飾具。翼を広げた天使にも見えた。
やはりグレード3、ユニットは『衛生兵』。
「運が良かったな、そいつ」
レンリを抱え上げた歩夢に、そのキーを投げ渡す。
「さっき見てのとおり、こいつは治療スキル持ちだ。鳥に効くかどうかは知らねーけど」
使え、と投げ渡す。
無言かつノールックでそれを受け取った歩夢は、それをホールダーへとセットした。
背後に生まれた医刀や注射器のヴィジョンがカラスの胴回りの傷口を切開して広げたそこから薬液を注入する。
……などというグロテスクな光景も覚悟したが、そんなことはなく、歩夢の掌の触れた先から生じた光の波濤が、軟膏やゼリーのように傷口を保護して、出血を止めて塞いでいく。
だが眠るカラスを撫でる手つきには、他に別の意図を持っているかのようなニュアンスがあった。
触れるか触れないかという微妙なタッチには、彼女のものとは思えない柔らかさがあった。まるで前に誰かにそうされたのを、模倣するかのような……
そしてその中には、彼女らの間でのみ通じ合う符号のようなものがあるのだろう。
この異空間に長居することはあまり得策ではないが、せめてレンリが持ち直すまでは、逗留を許してやることにしようと、ひとりと一羽を見て鳴は腹をくくった。
「さん、だつの、おう」
声がしたのは、その瞬間だった。
鳴が抱えている少女の口から、覚えのある響きに少し泥を混ぜたような声音で、様々な感情を練り込んだような音調で。
鳴の腕の中で、その下級生の双眸は薄く開いていた。だがそこに正気と生気の輝きはない。濁り曇った水晶体は、ただそれでも前にいる彼女たちに向けられていた。腕を伸ばしていた。
その状態が続いたのは、数秒のことだった。
口にしたのは、ただ一言だけだった。
何者かによって張られていた操り糸が切断されたかのように、少女は一瞬で脱力した。その分重みが増して、鳴の胸部圧迫した。
彼女の異変に、歩夢たちが気づいた気配はない。
「…………」
冷水を浴びせかけられたような心地で、鳴は手元と正面の少女たちへ交互に視線を配る。
目の前の静かな交流を尊べば良いのか。
それとも足下にじりじりと暗雲が迫り来るような不安に、人知れずと向き合えば良いのか。
鳴は、自分の感情や決心さえ定かでないままに、いたずらに時ばかりが流れていくのを感じた。




