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剣ノ杜学園戦記  作者: 新居浜一辛
第三章:イノチの、物差
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(6)

 鳴たちが外に出ると、すでにそこには歩夢の影はなかった。

 広がる景色はどことも知れぬうらさびれた廊下で、昼下がりだというのに夜闇の帳が余すところなく覆い、敷かれていた。

 そこで命を使い果たした霊魂がいまなお彷徨っていそうな様相で、どこまで続くかもわからず、どの階層から切り取られた異空間なのかもしれず、至近の者さえ顔が見えない。一寸先は闇とはよく言ったもので、すぐ眼下にあるはずのレンリの顔でさえ判別がつかない。


「――いや、お前は単純に黒いだけか」

「はい?」


 なんでもない。そう首を振りつつ不安げな波を打たせながら輝いている碧眼を、あらためて見返す。


「……怒るなら怒れよ。あたしの受け答えがまずかった」

「いや、むしろ逆に、いやな役目をさせちゃって悪かったな。――本当は、俺が言わなきゃいけなかった」


 つい感情に任せた自分の不手際を責めるかと思ったものの、カラスは、噛みしめるように呟き、自責した。


 『偵察』の鍵を自身のCYタイプ……牛型デバイスへと差し込む。それを暗視兼望遠ゴーグルがわりにして一帯を目で探り、歩夢の影や痕跡をたどる。


「けどこれで懲りたりしないでくれ。……あいつ、たぶんマトモに叱られたことなんてないんだ。身を案じて、叱ってくれた人間なんていなかったんだよ」

「……あたしだって、べつにあのバカがイラついたからキレただけだ」

「またまたぁ。……あでっ!」


 足下で茶化すカラスの腰を、爪先で蹴りつける。

 その球体は鞠のように転がって、適当な壁に激突して止まった。


「けどマジな話さ……歩夢を、ちゃんと見てやってくれると嬉しい」

「人に頼まれて仲良くしたって、意味ねーだろ」


 むしろ、こじらせた歩夢のことだ。自分の預かりしれないところでそういう根回しがあったと知れば、より強い反発と拒絶を抱くのではないのか。


 鳴自身にしたって、そういう、語弊がある言い回しだが女々しいやりとりの先に友情を構築するつもりは、まったくない。


「いや、気に留めておいてくれればそれで良い。あとはお前に任せるよ。なんの気兼ねなく見てくれる『人間』が、あいつには必要だ。」


 あらためて前に進め出たレンリは「頼む」と深々と頭を下げた。


「……お前は、なんでそこまで」


 鳴が言いかけた時、ゴーグルの片隅で反応が見えた。

 自分が知覚する限りマッピングされたこの異空間の見取り図において、動く点が見えた。色はグリーン。上帝剣の粒子を発していない。微量な生体パルスを汲み取った結果を、画面に豆粒のようなサイズと形状で反映されている。

 この反応は、人間のものだ。

 それはあてもなくうろつきまわった結果、ある一室に侵入し、そこで立ち往生した。


「さっそく見てやった結果が出たな」

 皮肉を交えて呟いた鳴に、レンリが食いついた。


「どこだ?」

「ここだ。旧職員室跡」


 自身の目元から鉄の牛を離し、表示された画面を披露する。それを見たカラスは、飛ぶようにして走り出した。


「おい!」

「この場所なら俺にも行き方がわかる! そっちは俺に任せて、鳴は士羽に連絡を!」


 呼び止めようとする彼女に一方的な指示を飛ばし、あっという間にレンリの黒いボディは闇の中へと溶けていった。

 ぺたぺたとタイルに叩きつけられる音は、ある一線を境に完全に消えた。


「あぁ待て、くそっ……!」


 鳴は毒づく。毒づきながらも、『偵察兵』の刺さったその牛を、通信モードへと切り替える。


 たしかに士羽とワタリをつけられるのは、このユニットキーを持つ自分が適役だろう。

 だがあのカラス、異形の敵と渡り合うより、生意気で複雑な下級生を追い回すより、厳格な雪女に不首尾を報告するほうがよっぽど気重だとわかっているのだろうか。


〈倒しましたか?〉

 つながった。そしていきなり、銀食器を鳴らすような声で成果を求められた。


 あー、と知らず声が漏れる。

 そうだった。思い出した。

 自分がここに来たのは青春ドラマごっこに興じるためではなく、モンスター退治のためだったことに。


 鳴は、前髪をつまみながら咳払いし、覚悟を決めて報告した。


「経緯はすっ飛ばして報告する。足利歩夢が旧校舎に飛び出した」

「…………」

「レギオンもまだ倒せてない」

「…………鳴」

「……なんだ」

「いつからそこは託児所となった!?」


 あからさまな沈黙の間があった。前置きもあった。ゆえに構えてもいた。だが、銀食器の鋭い音声は鳴の心の堅陣を突き崩し、鼓膜を響もした。


 というかそもそも、士羽が声を荒げるということ自体が、鳴の予測の範囲外だった。


「貴女ともあろう者が……!」


 そう息を巻く士羽だったが、そこから先は言葉を詰まらせた。自身が感情的になっていることに、ワンテンポ遅れて気がついたようだった。特殊電波越しに、必死に呼吸と気持ちを整えている気配を察知した。


「で、方針をお聞かせいただきたいんだが司令官殿」


 空気をあえて読まずに、鳴は切り込んだ。だが、その択一こそが最優先事項だった。


 すなわち、予定を変更して歩夢を救助するか。

 それとも埒もないことと彼女の存在を無視して、当初の予定に従い怪物退治に専念するか。


 士羽がことのほか揺らぐ今、個人的な感情をあえて排して鳴は選択肢を突きつけた。


 しばし、沈黙が続いた。

 このところ、維ノ里士羽の黙考というものを、鳴は通話越しに体感することが多くなった。

 いったい何が彼女をそうさせるのか。ただの一時的なスランプか。あるいは人間的な成長か、それとも手腕の劣化か。

 いずれにせよ、尋ねて直答する士羽でもない。


「貴女に、一任します」


 それが、長く時を費やしたうえでの、回答だった。


「もちろん、こちらから出来る限りのサポートはしますが、それまでの状況判断は貴女に委ねます」


 その相手の非を詰っておきながら、舌の根も乾かぬうちに信託するという。さすがに鳴も鼻白んだが、何も無責任や無思慮から来るものではないだろうとは思った。

 むしろ、「一任します」に込められた力強さや迷いのなさから、自分が出張って解決することを、士羽は極端に恐れているような気がした。


「リョーカイ。それじゃあ我が団体の存在意義にのっとって動きますよ」


 そう言って、彼女は通話を絶った。

 同時に、大儀そうな息が地面に落ちた。


「どいつもこいつも丸投げしやがって」

 ふたたび、毒づく。


 問題児と気難しい保護者の間に挟まれるおのれは、それこそ託児所の保母さんといったところだと、鳴は思った。

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