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剣ノ杜学園戦記  作者: 新居浜一辛
第三章:イノチの、物差
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(3)

 維ノ里士羽のアジトに、シャワーの水音が響く。

 ユニットキーから還元された自家発電によって温められた湯水が、華奢なボディを濡らしていく。

 刀を研ぐようにほっそりとした脚や、反して肉付きの良い腕を磨き、豊満な胴を柔らかなタッチで手洗いし、その身にこびりついたついた液体を落としてきれいにしていく。


「……っ!」


 痛めつけられた肌が、熱に触れて疼く。低く掠れた呼気が、喘ぐように口端からこぼれ落ちた。ふだんは露出が多いから、せめて痣となって残らないと良いが。


 魚を燻したような、独特の生々しい臭いが、最後の残り香となって鼻腔をすり抜けていった。


 だがこれでようやく救われた心地となった。

 理不尽な暴力もみずからを侵す異臭も洗い流して、今この一瞬に賭ける活力が整っていく。

 それを実感してタオルで我が身をぬぐい、バスルームを出た。




「あーさっぱりした!」


 バスルームから、タオルを頭に巻いたカラスが出てきた。

 出入り口で固まる部屋の主人、維ノ里士羽をよそに慣れたような気軽さで冷蔵庫のドアを開け秘蔵のフルーツ牛乳を、腰に羽を添えて一気飲み。


 そのまま、傍らの戸棚を物色し始めた。

 堂々たるまでの傍若無人っぷりにしばし言葉を失っていた士羽だったが、ややあって問いを投げかけた。


「何故、ここにいる?」

「いやー、なんか歩夢にタコ殴りされた挙句、ダシ汁ぶっかけられてさ。急いでお風呂入りたくて」

「……彼女が鳥料理をたしなむとは知りませんでした」


 士羽は皮肉を返した。だが追及すべきはそこではない。

 生体認証や暗証番号など何重にもかかっていたロックをパスして、誰かがこの場所に侵入したこと自体が、彼女にとって危機的な状況だった。

 それも、よりにもよって未だ素性定かならぬ、この鳥に。


「そりゃ、いつか秘密は露見する」

 まるで押し隠したこちらの動揺を見抜くように、そのカラス……レンリなる怪物は言った。

「お前はそれをよく知っているはずじゃないか」

「……では次は、貴方の番でしょうね」

「覚悟の上さ。……おい、そう睨むな。ただ、せめて缶詰が欲しいだけだよ。お前の大事なもんには何にも触れちゃいない」


 レンリの言うとおり、他に物の配置が、少なくとも重要な資料やシステムに、そして飾られていた特撮の変身セット、あるいはガメラやギャオスのフィギュアや、ガンプラのシナンジュに手が加えられた形跡はない。

 士羽はそれ以上、その方面からの追及を諦めた。ため息をこぼし、デスクと対になるデザインの椅子へと腰掛けた。


「そろそろ、知っていることを全部打ち明けてもらえませんかね」


 回りくどい言い方で駆け引きを仕掛ければ、この鳥はこれ幸いと適当に韜晦してケムに巻く。

 いい加減そのことを理解した士羽は、ダイレクトに言った。


「全部を知れば、俺はただの不信感と可愛さだけしかない無用の長物だろ? となれば、お前は俺を排除しにかかる。つまりは俺の持つ情報はそのまま俺の命綱ってわけだ」


 自分の立場と利用価値、そして士羽の合理主義を正確に把握したかのように、レンリは答えた。


「と言って、むやみに出し惜しみしてもお前は切り捨てるだろうな。……まぁ、こっちの要望通り俺を歩夢に近くに置かせてくれた借りもある。ひとつだけ答えてやるよ」


 士羽はちらりとデスクの上、CWタイプのストロングホールダーを脇目で見た。

 まだまだ、軽く見積もってもこの鳥に確かめたいことは山ほどある。だが、最重要事、早急に答えが求められるのは、この一事のみだ。


「この騒動を根本から断つ方法を」

「……」

「上帝剣を取り除く手段を」

「言っただろ、俺は手遅れだった」

「だが、『征服者』を止める方法は知っていた。そして仮に世界が滅んでいたとしても、貴方は生きている。――手遅れでさえなければ、世界は救えるのでしょう?」


 カラスは苦ばしった目つきで、そっぽを向いた。約束だろう、借りがあるのだろう。そう脅しをかけようとした矢先に、丸い嘴が貝の口のごとく開かれた。


「上帝剣それ自体に、自我はない。ただ選ぶだけだ。だが同時に選ばれた『征服者』と密接にリンクする。つまりはそのまま新たに誕生した星喰らいの剣となるわけだ」

「つまり、『征服者』を倒せばそのまま剣は立ち枯れると」

「いいや。上帝剣はあくまで世界終末装置であり、鋳型だ。『征服者』はそれによって造られたコマンドキーと言っても良い。仮に『征服者』を殺しても、上帝剣は異次元にあって新たな鍵を鋳造するだけだ」

「では、そのまま益体もないイタチごっこをくり返せ、と?」


 カラスはすぐには答えなかった。だが、あくまでそれは正攻法で言った場合の話だと、そこまでは士羽にも分かっている。このレンリが取らんとしたのは、その法則の間隙、搦め手から攻略法だったはずだ。


「……要するに、『征服者』の持つ高位の因子こそが、上帝剣にアクセスできる鍵だ。通常なら宿主の死亡と同時に消滅するが、それをもしそれを物資化させ汎用性を持たせる手段があるとすれば、上帝剣に主と誤認させられ、そして」


 レンリは低い声で言った。彼が答えを言い切る前に、士羽の脳裏には閃くものがあった。自身の白衣に収められていたユニットキーと、部屋にあるホールダーの完成品や試作モデルを見渡した。


 ――図らずも、自分は最適解に近い場所に、大手をかけていたと言うわけだ。


「あとは、候補者さえ見つければ」

 かすかに上ずった声でそう呟いた横を、カラスが通り抜けていく。コンビーフ缶などを抱え、干していたストールと解いたタオルを重ねて二重の風呂敷とし、そこに容れられるかぎりの缶詰を担いで背負ったりして。ますます泥棒じみているが、その程度は世界の救済方法に比して安い情報料だ。

 だが、「あ」と声を漏らしたかと思えば扉口で立ち止まり、士羽を顧みた。


「サービスで、もうひとつだけ耳寄りな話をしてやるよ」

「それは?」


 デスクと向かい合ってさっそく打開策を描いていく士羽は、カラスの方向を見向きもせずに問い返す。


「足利歩夢の周囲の環境は、崩壊していたぞ」


 何気なく放たれたその一言が、PCを立ち上げかけたその手を、止めた。


「――何故、私にそれを言う?」

「いやぁ、少なくとも部下の身の上ぐらい把握しておくのが、上司だろうと思ってな。それとも余計なお世話だったか? 何しろお前なら、ちょっと調ようとすればわかる事だったもんな」


 レンリの目と語気には、咎めるような険しさがあった。

 それじゃ、と右翼を振り振り、カラスは去っていく。

 そのちっぽけな球体が見えなくなるまで睨んでいた士羽は、冷水でも浴びせかけられたような心地とともに、額や目元を両手で覆った。

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