(2)
早朝の陽が差し込む、図書館。
その地下書庫にのさらに下層に維ノ里士羽の一拠点があることを、一般生徒、教師のみならず『委員会』においても知る者はほとんどいない。
そこには水道、ガス、電気といったライフラインが開通されており、その予備エネルギーや備蓄はたとえそれらが断絶したとしても数年は持ちこたえられるようになっている。
維ノ里士羽はそういった拠点を学園内、それこそ旧校舎内部にさえいくつも持っていた。
(――かつては、それほどの数は必要ではなかった……)
維ノ里士羽は胸中で述懐する。LEDライトに照らし出された中等部時代の彼女と絵草のツーショット写真を見て、追憶する。
事のはじまりはやはり『翔夜祭』。自分も征地絵草も、そこにいた。白景涼も、輪王寺九音も。
わけもわからないままに際限なく広がる炎から逃れ出た自分たち。絵草は遠くにあって生き残りを避難誘導し、涼は当時の北棟とともに飲み込まれ、九音の影が怪物となった。自分は、その業火の中央に在った。
――あれは夢だった。
惨劇から脱した自分は、そう結論づけた。
炎の中、何かの指向性によって組み替えられていく校舎だとか、そんな高熱の中で異常な生長を遂げていく見たこともない植物など、現実逃避の願望が生んだ幻だと。
だが、幻は事故現場の中央になお存在していた。絵草もまた、それを視たという。
そこから、闇の中を手探りをするかのごとき探究が始まった。
まず、体調不良を訴える絵草たちの体内に因子を発見した。
十数年前に死んだ若き天才の遺品から発掘されたものの、冷笑とともに葬られた『トキグニルイ・レポート』。その中に記されていたアンノウンエネルギーの物質化技術の理論を応用し、その因子を濃度やエネルギーの方向性から最適の形状、能力に変換する装置、『ストロングホールダー』を開発した。
そして九音らレギオン化した被害者を救出したことでその有用性を実証し、また『旧北棟』とともに行方不明となっていた白景涼とコンタクトをとることに成功し、異界と化した旧校舎を探索する術を得た。
――本当は、海外の工科大学に内定をもらっていた。先祖代々の母校とはいえ、こんな学校でくすぶっていられるほどに暇ではないと。
だがようやく自分の才能が、目に見える形で人々の役に立つ。必要とされている。認めてもらえる。自分の考えや適性に理解を示してくれる友人たちとともに。それが嬉しかった。
だがそれは、一瞬のことだった。
秘中の秘であったはずの、ホールダーの基本システムおよび上帝剣のデータが何者かによって外部へと流出し、拡散した。
よりにもよって、多治比一族に。この学園、この土地のみに留まらない多大な影響力を持つ、総合商社グループに。
彼らを始めとした大人たちは、事故直後、自分たちが助けを求めても事故と切り捨てて何も手を下さなかった。いや、そのスタンスは今なお変わっていない。あれは事故。巨大な剣など植わっているわけはなく、人から変異した怪物などいるはずもなく、また維ノ里士羽が作ったのはノイローゼのせいで適当に作ってしまった、役に立たない計測器だと。
あくまで、表向きは。
彼らにとって上帝剣、因子、ユニットキー、そしてそれらがもたらす効果は害毒ではなかった。
異次元から飛来したそれは、扱いようによっては間違いなく医薬学、流通運搬、エネルギー問題、そして何より軍事技術を次のステップへと進行させる、黄金の核弾頭だった。
だがそれを公に認めてしまえば、国家として対応せざるをえなくなる。諸外国の介入が始まる。政治の問題になる。
だから彼らは信じようとは決して表明しない。しないままに、ありとあらゆる国内外の勢力がこの学園に蚕食を始めた。
むろん、寄付金という名目の投資によって資金が確保され、異例の早さで学園は復興し再開ができた。絵草の言う通り量産体制が整った。
だが、あくまで彼らが動いたのはそれぞれの利益のためだ。
息のかかった生徒や教員を送り込み、彼らをモルモットとして実地で殺し合いをさせ、あるいは彼らにそうと自覚させないままに扇動し、ゲーム感覚で戦わせている。
だから彼らにとって都合の良い場所にホールダーやキーが集中し、本当に必要な場所へは行き届かない。
むろん、士羽とて抗議はした。改善案を提出した。
だが、大人たちは一笑に付した。酸いも甘いも知らぬ小娘の戯言と、システムのデータある以上もはや用無しと突っぱねた。
もっともらしい道理を説きながら恫喝し、正論をもって頭ごなしに押さえつけながら利己的に振る舞い、親身になるそぶりを見せながら自分からすべてを奪っていった。
自分だって無私の使命感だけで動いたわけではなく、動機に承認欲求が入っていたことは認める。
だが大人たちの欲望はよりドス黒く、奸悪であった。
絵草を頼ったこともあった。だが彼女は言った。
「むしろ自分は賛成だ。彼らに利得を取らせつつ、自分たちが彼らを利用すれば良い」
と。
だからこそ情報を流したのは彼女だと疑った。あれほど熱意に赤く輝いていた鉄塊のごとき信念と友情は、その熱を保てなくなり、冷えて固まるのを待つのみとなった。すべてに嫌気がさした自分は、ほどなくして『委員会』を去った。
救うべき人間や社会に裏切られ、技術を奪われ矜持を踏みにじられた維ノ里士羽に残ったのは、真理の探究のみであった。
隠者として各地の拠点を移動して引きこもり、中立の立場をとりながら、非効率的なちまちまとしたやり方でサンプルを確保し、到達できぬとなかば諦めながらも、上帝剣への探りを入れる。それが主な活動となった。
(まるで始皇帝のようだ)
維ノ里士羽はそう言って自嘲した。
曰く、秦の始皇帝は人間不信のあまり、宮中においても所在を臣下にさえ知らせなかったという。
そして帝国の崩壊は、そうした孤独な帝王による、健全ならざる体制も原因の一端を担っているというのが通説だ。
(ここも、いずれはそうなるのかな)
維ノ里士羽は自嘲する。
そして写真を伏せ、あらためてこのちょっとしたコンビニ程度の広さしかない、閉ざされた空間を見まわしたのだった。




