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剣ノ杜学園戦記  作者: 新居浜一辛
第二章:上帝の、ツルギ
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(10)

 その日、学生をやって以来はじめて歩夢は下校時に寄り道というものをした。

 放課後、保健室を出たあとに図書館に立ち寄って鳥類の生態やインコの飼い方の本などをコピーし、さらに本屋で同種のものやカラスの生態について立ち読みしてみた。

 だが、どれもこの珍妙な鳥について明快な解を示すものはなかった。


 そこで今度はアホ面ダブルピース(羽根で)をさらす鳥をスマホで撮影し、その写真を画像検索にかけてみた。だが検索結果は〈Cartoon〉。Google先生は何も答えてくれない。


 そこに至って歩夢は、この珍獣について知ろうとすることがこのうえない徒労であることを悟った。

 このまま士羽に突き返すなり保健所に蹴り転がすなりいろいろ引きはがす方法も考えたが、それさえも面倒になって、無視して帰ることにした。

 拒むことをしなかったが、ついてこいとも言わなかった。だが、馬鹿正直にレンリはぺたぺたとついてくる。雛か何かのように。


 自称異世界人は車を鉄の馬だと驚嘆することも、商店街のテレビモニターを動く絵画と仰天することもなかった。交通ルールを守って律儀に信号を待ち、「一緒に生活するんだからせめて歯磨きぐらいは新調しないとな」などとふざけたことを大真面目にぬかす。

 ただ、唯一反応らしい反応を示したものがあった。それは剥がし損ねたとおぼしき去年の夏まつりのポスターで、「平成三十四年七月末」云々という日付を見て、なぜだか異常に動揺を見せて挙動不審になっていた。だがそれでも数秒後には落ち着きを取り戻していた。


 そんな彼を見て不審に思う通行人ぐらいいてもいいものだと思ったが、まるで喋る鴉など元から存在しないかのように、当たり前のように通り過ぎていく。もしこれが何らかの幻術によるものだとしたら……念動力で動く剣よりもよっぽど欲しい力だと思った。


 そうこうとりとめのない黙考をしているうちに、陽が沈む前には家へとたどり着いた。

 そこは駅の裏手にあるニュータウンで、一軒家が多く立ち並ぶ中、ぽつんとひとつ頭抜けて建つマンションだった。


 一般家庭が賃貸するにはややためらわれ、高級というには少々格不足、といった感じの白亜の城。部屋番号を入力してロビーを抜け、エレベーターに乗る。


 四階でドアが開くと、レンリが真っ先に降りた。

 405番の、名札のない部屋の前に立つ彼の尻を、爪先で小突く。


「違う。その隣」

「ん、あぁ」


 生返事。


「あっちには誰が住んでるんだ?」

「ネクラな女。最近帰って来ないけど」

「……お前が言うのか」

「わたしをして言わせるの」


 短く答える。扉の前に立つと、テープの剥がし忘れが目についた。だが、今朝に紙を剥がしてから追加で貼りなおされた形跡がないから、今日はまだおとなしい方だった。

 多少の安堵とともに、我が家の鍵を開けた。


「どうぞ。ただし入りたければだけど」

 そう断った。怪訝そうなカラスだったが、扉を開けた瞬間に理解と衝撃とを顔に表した。

 本来であれば暖かな家庭の場だとか乙女の花園を想像するだろうが、中に広がっていたのは足の踏み場が片足分ほどしかないゴミ屋敷だった。


(いや、それはさすがに卑屈になりすぎか)


 いくらなんでも直近の可燃ゴミぐらいは定期的に片づけているから、ビニールや紙袋の中身はすべてプラスチックや雑誌類の資源ゴミだ。

 特に紙資源などは、日常的に、飽きもせずポストに投函されていたりドアに張り付けられていたりするから、いちいち始末することがわずらわしくなっていた。

 その文面は、きわめて攻撃的かつ感情的に退去を促すものであったり、彼女自身ではなくその身内を糾弾するものであったりするが、以前は扉に直接書かれていたりした。枚数も、以前よりは少なくなった。多少は騒ぎも収まりを見せていたということか。


 玄関から、リビングのフローリングにまで達していた。最終防衛ラインはキッチンと私室のベッドくらいなものか。もはや不要な両親の部屋は、とうに物置兼不用品置き場と化していた。


「あ、ちょうど良いや。ここ寝床にしたら?」


 レンリをリビングに招き入れ、その紙類が敷き詰められた段ボールを指さし、促す。


「……なんだよコレ……どういうことだよ、親御さんはどうした!?」

 レンリは、ここに到るまでで最大級に、困惑していた。


「ママはパパ刺して塀の中。パパは……あ、違うか。父親だと思ってた人は、別の恋に生きることに決めたみたい。まぁお金だけはなんか定期的にくれるから別段不自由はないけど」


 碧眼が、大きく見開かれている。そのクチバシは小刻みにカチカチと鳴るだけで、受けたショックを言語化することができずにいる。

 しばらく呆然と立ち尽くしたあと、


「――知らなかった」

 ぽつりと、重々しく、砂を噛みしめるように彼は呟いた。


「……悪かった。本当に、気づかなかったんだ。お前が、こんなことになってるなんて」

「当たり前でしょ。いつ言うヒマがあったっての」


 自身の発言を恥じて詫びるカラスに、こともなげに歩夢は返した。

 別段フォローするつもりはなかった。もう全部が終わったことだった。周囲がどうあれ、自分の中では踏ん切りがついていると思っている。


 たしかに事故の際には泣いて母を止めようとした。「お互いのためだ」と言い訳をつけて家を出ていこうとする父を、涙とともに見送った。孤独や謂れのない匿名の無数の悪意にさらされ、幾夜も枕を濡らした。

 だが、慣れとともに頬も心もとうに乾いた。


 なお気が収まらないらしく、やや過剰なほどに身体をすくませ、消沈している。

 トボトボとそのままパッシング入り段ボール箱の中に身を投げ入れる。来る時とは打って変わって暗い面持ちで、その中で丸まった。


(いや、半分冗談だったんだけど)

 歩夢は内心でそう突っ込みを入れたが、現実に指摘することはしなかった。

 本人、いや本鳥が納得しているのなら、あえて自分から面倒を増やすこともなかろうと思った。


「……すまなかった」

 最後にもう一度だけ、レンリは静かに謝罪した。

 それが、完全に陽が沈むまでに放った最後の言葉となった。

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