(9)
凡人の一生分にも相当する濃密な入学式から、三日が経過していた。
足利歩夢は、それから毎日、昼休みや放課後を利用して例の保健室へと通っていた。
「検査入院みたいなものだ」とは士羽や鳴の弁。
その間血液を採取されたりMRIのような何かをくぐらされたり、糖尿病患者の人間ドックもかくやという苦行のすえ、ようやくレギオン化再発の恐れなし。『陰性』のお墨付きをもらえた。
その検査をしているのは、花見とかいう士羽の息のかかった保険医で、付き添いは鳴とレンリだった。
というよりも鳴は番をするために余暇には保健室に詰めなければならず、レンリは情報交換のためにここに泊まり込み、士羽にいたっては滅多に顔を見せない。
「で、わたしはどうなるの」
ベッドの上、足を無意味にバタつかせながら、歩夢は問う。その手には、がんばったご褒美にリンゴジュースのパックが受け渡されていた。ますます健康診断か、輸血の趣が強い。
「……ま、一度関わっちまった以上はな」
涼やかな目をそらしながら缶コーヒーを飲んで、鳴は答えた。
「経過観察も兼ねて、あたしらの手伝いをしてもらうことになると思う。何しろホールダーも足りない、その動力源たる因子結晶『ユニットキー』も足りない。とくれば次は人手不足だわな。まぁ華の学生生活をぜんぶ切った張ったに費やせってんじゃないんだ。多少の融通は利かせるし、支援金も出す。ちょっとしたバイトと思ってくれ」
冗談めいた口調で言ったが、そこには一抹の、だが心底からの申し訳なさと憐憫がにじみ出ていた。
取り澄ました物言いをするが、根は善良な人間なのかもしれない。それを歩夢が好くかどうかは別として。
歩夢は、ストローをくわえ、ジュースを飲んでいた。何も言わなかった。
「……で、どうなんだ?」
それまで沈黙を守っていたレンリが、痺れを切らして問う。まるで我が事のように、あるいは世間一般で言うところの親兄弟のように、彼は歩夢の様子を窺っていた。
「べつに。好きにすりゃ良いんじゃない」
歩夢は答えた。そうとだけ、答えた。
「歩夢」
レンリは初めて彼女の名を呼んだ。
「俺たちは、いまお前のことを話してるんだぞ」
まるでゾンビか幽霊にでもなったような友人と相対するホラー映画の主人公のような悲嘆入り混じるその声が、ふざけた外見も相まって歩夢の失笑を招いた。
「なに? わたしに拒否権なんてあったの?」
歩夢が見せた笑みに、カラスと上級生はたじろいだ。
この状況で笑えることに対してか。それとも歩夢にそんな機能が備わっていること自体へか。
当惑する彼らの言わんとしていることはわかる。
たしかに傷を負うかもしれない。命の危機だってある。自分だって、できることなら死にたくない。
だが彼女は、自分を含めた世界のことごとくに、個人の意思などどうしようもない流れがあることを知っていた。
運命と呼ぶのは口はばったいが、まぁ要するに世界だろうと誰だろうとそれぞれの目標があって、勝手があって、都合がある。
一方で自分は願望とか執着とか、そういうものが薄い。だから他人に食い物にされることは承知しているが、感情の持ちようなんだからしょうがないだろう。
だから、足利歩夢は妥協する。
もちろん降りかかる火の粉を回避するため、一定の努力はする。だが、見積もって手に余るような大火であれば、あぁそういう流れかと割り切って、受け入れる。そうしたほうが世の中は多少住みやすく、分かりやすく、気持ちも楽だ。
それが十五年の人生で得た哲学だった。
「そうかい」
鳴は缶を手元のトレーに置いた。強い金属音が医療器具の間で反響した。かなりの力強さを感じさせるが、攻撃的な意思は感じない。ただ、自身の中でくすぶる、やり場のない感情をぶつけたように思えた。
「それじゃ、最初の仕事だ」
抑揚なくそう前置きすると、椅子に座るカラスの襟首……と思しき部位を、ひょいとつまみ上げ、歩夢の目線の高さへと吊るした。
「こいつ、いつまでも置いてけないから持って帰れってさ」
「よろしくなー」
「は?」




