(13)
「『ハイレギオン』」
関係者の目の集まる中、多治比和矢はおもむろにその言葉を口にした。
その前後に何かしらの前置きがあったような気もするが、憶えのあるようで微妙に聞き慣れないワードを、皆飲み込めずにいた。
「ん、なに。自我を持った高等のレギオンだから、ハイレギオン。シンプルが一番だよ」
つまりは、今の次妹の状態を便宜上そう呼ぶことにしたらしい。
「とは言っても、おれもそんなに多くを知ってるわけじゃない。彼女や澤城灘と接触した時に断片的な情報を掴んだってだけでね」
と、真実にもっとも近いであろう少年は謙遜を交えて言った。
「そこまでは察してると思うけど、そもそもの原因は、体内の『上帝剣』由来の因子の暴走。でも、彼らは発狂したとか、全くの別人格に取り憑かれたってわけじゃない」
「……じゃあ、何だって言うんだ」
ライカの問いに、掌を首筋に沿わせつつ、和也は答える。
「強いて言うなら、外付のHD。本来の人格はそのままに、記憶が付与される。彼らは、その記憶をもとに行動しているに過ぎないよ」
「記憶って、誰の」
「さぁ、それはまちまちじゃない? 自分の中の因子にもよるんだから」
嘘は言ってないだろうが重要なことから話を逸らしてもいる。
「どうすれば戻せる?」
それを言及する前に、まるで示し合わせたかのようにレンリが前に進み出て尋ねた。
「君らも見ただろ? あのドッグタグみたいな鍵。あれがそのHD本体だ。あれに過剰な負荷をかけるか、もしくは時間経過と共に摩滅すれば、いずれは元に戻る……それと同時に、外付けの記憶も消滅するけどね」
そのカラスを無視して、その頭越しに和矢は答えた。
士羽は、そこについて彼が嘘を言っていないことを知っている。
澤城灘戦の後、触れようとしたあの鍵が自壊した結果、灘は正気に戻った。そして自らの行い自体は記憶していても、何故、どうやってあの南洋の秘密に行き着いたのかは覚えていなかった。
もっとも、何故灘は衣更のように変身しなかったのかは謎だ。
すでに時間経過で限界に来ていたのか、あるいは付与された記憶そのものが、彼に化け物にすることを拒ませたのか。
「だったら、事は単純じゃない」
と歩夢は言った。
「妹さんと戦って、ブッ飛ばせば良い。汀が澤城君にそうしたみたく」
「さすがァ、理解が早くて助かるね」
さすが、と褒めつつどことなく棘がある言い回しだった。
「……良いんだな、和矢? それをしても」
レンリは奇妙な念押しを旧友に向かって投げた。
「……問題は、その戦う場だ」
またもレンリを無視して、和矢は話を振る。
「彼女は一度襲撃に失敗している。まして、今こうしておれが君らと接触していることにも気づいているはずだ。ただ追跡や待ち伏せをしていても、気取られ、さらなる警戒を招くだけだ」
「あの娘、昔から人見知りだから」
「いや。姉さん、そういうハナシじゃないんで」
ズレたことを言ってお茶を濁す朔をさておいて、
「どのみち元には戻るんだろ? ほっといて時間切れを待つってのはどうなんだ」
そう鳴が意見した。
「あの状態の衣更姉さんを長々と放置してるわけにはいかないでしょ。多治比の沽券に係る。ましてや、学祭前だってのに」
「彼女は多分、その学祭で確実に仕掛けてくるよ」
おもむろにそう言った和矢に、また視線が集まった。
「根拠は?」
士羽が問う。
「それは彼女にとって……と言うより、この学園にとっての始まりが学祭、と言うより『翔夜祭』にあるからさ」
と、具体性には欠ける返しをした。
「その夜の前に、彼女は足利さんやそのカラスを狙ってくる。時と場所がある程度定まっているなら、確保はカンタンでしょ」
「いやいや、和兄さん、いやいや」
そこに待ったをかけたのは、三竹だった。
「ヒトもカネも大量に動くんですよ? そんな中で、あのキサ姉さん相手の戦闘スペースを確保するのは」
「大丈夫だよ。ライカの報告信じるなら、戦闘になればあっちが空間切り離してくるらしいし。それに多少のアクシデントもエンターテイメントに換えるのが、一流のプロモーターってもんでしょうよ」
「もうちょっと良い作戦立てられないんですか」
「ムリ。だって凡人だもの。無い知恵絞って必死に考えたのが、それ。嫌なら対案出して頂戴よ」
そんな身勝手な物言いとともに、和矢は皆の合間をすり抜けて去っていく。
「じゃあまぁ、あとは細かい打ち合わせをみんなでしておいてね」
などと手を振る彼の背に、維ノ里士羽は尖らせた目を向け続けていた。
〜〜〜
多治比和矢はエレベーターを使わず、非常用の階段を足を使って降りていく。
頃合いを見て、踊り場で足を止めた。
「怖いなァ」
声を伸ばして頭上を顧みる。
「そんな睨まれると、ビビり切って君が訊きたいことも訊けなくなっちゃうよ? ……維ノ里さん」
名を挙げられた彼女は、死角にて様子を窺っていた無意味さを悟り、身を彼の視線の前に晒した。
「っていうか、盗聴器とか仕込んでないよね? うわ、怖」
などとわざとらしくフードをまさぐる彼を無視して、少女は冷視を続けた。
「まるで追ってくることが分かってたかのような口ぶりですね」
「君には質問がわんさかあるだろうからね。今のことも、これからのことも」
「貴方が、徹底して私を避けていましたからね」
「……負い目があるからね、君には一応」
「負い目?」
ピエロじみた所作を停めた和矢は、だが士羽の方角へ身体を向けないままに言った。
「ストロングホールダーの技術を多治比に流出させたのは、おれだよ。と言っても、君からパクったわけじゃなく、おれの世界の技術をリークしただけだけど」
そのカミングアウトは、士羽にとっては思いがけない方面から殴りつけられたに等しかっただろう。目を見開き、靴底で激しく床を叩いた彼女は、
「なぜ……っ」
と声を震わせた。
「何故も何も、早い段階からそうしないと生産が追いつかないからさ。その一点については征地絵草は正しいよ」
「だがそのせいで格差が生まれた。学園が貴方がた多治比の都合の良い、搾取の場となった」
「いや、いずれはバレてたよ。もっと酷く、多くのことが手遅れになった状態でね。それにおれが主導したからこそ、色々と融通も利かせられた」
「見てきたようなことを……と言いたいところですが、見てきたのでしょうね。実際に」
士羽はため息とともに、自分が引き篭もるきっかけとなった事案に対して色々と飲み下したようだった。
「多治比和矢。それでも貴方は自分の出自を含め、多くのことを秘匿してきた」
「言ったところで信じてもらえないし、受け入れられるはずがない。真の敵にも、おれの存在が気取られる」
「混乱を承知で、打ち明けられたこともあったでしょうに。……それこそ、あのカラスの正体も知っていたはずだ」
和矢は笑い声を軽く漏らして、手の甲で口元を押さえた。
その仕草が、女隠者のプライドをいたく害したようだった。
「……どうやら、私の疑問や探究心というのは多くの人間にとって滑稽なのでしょうね……絵草にも笑われた」
それは、笑うだろう。絵草が事実に気づいたが故に消息を絶ったのであれば、士羽がレンリの素性を探るという行為など、笑わざるを得なかっただろう。
「だって君は、アレの正体に気づいているはずでしょ」
目をすがめ、少年は言った。
「君は意固地で気難しく、エゴイズムの権化であることを除けば聡明な娘だ。にも関わらず君はアレに対してだけは魯鈍に足踏みをしている。自分でもおかしいと思わない?」
「……何を、言っている」
「そして君は恐れているのは目先の真実じゃない。それが明らかになった時、そこに連なるもう一つの結論だ。だから君はさもそれに執着しているようにポーズを取りつつ、そこから先に進むことを無意識のうちに拒んでいる」
それこそ『知った風な口を』と言いたげに士羽は睨みつけてくる。その碧眼を和矢は静かに、だが烈しく悪む。
「――本当に、そっくりだよ。あんたらは」
彼女の足下に伸びる黒い影を見つめつつ、嘆息をこぼす。
「けどまぁ良いだろう。そんなに真実とやらが気になるってんならさ、明確に答えてやろうじゃないの。ただし、衣更の件を片付けた後だけど」
そう言いながら、和矢はある金属片を投げつけた。
無言のうちに士羽が受けとったのは、ストロングホールダーも『ユニット・キー』も関係ない、盗聴器。ただし、盗み取る側ではなく、傍受する側の機材だった。
「せいぜい覚悟を決めなよ。ここまで自分が築き上げてきた全てを否定する覚悟をさ」
それに揺らぐ視線を落とす少女に、まるで毒林檎を勧める魔女の如き表情と声音で、異邦人は宣告したのだった。