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剣ノ杜学園戦記  作者: 新居浜一辛
第八章:カラの、玉座(後編)
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(27)

 今、流血はそのままに港を悠々と巡る。

 これは果たして敗走なのだろうか。

 その通り。この満身創痍の姿が、一歩ごとに砂粒のごとく噛み締める苦味が負け犬のそれでなくて何なのか。


 端から見ればそんな征地絵草の姿は、虚しい孤影であっただろう。

 慢心があった。馴れがなかったかと言えば嘘になる。だが後悔はない。それらを含めてのこの敗退であり、納得の代償だ。

 そして常勝の武を布いて他者を制圧してきた女がひとたびその力を剥奪されれば、後に残されたのは徒手空拳の己と、積もり積もった周囲の恨み、といったところか。


 だがそれもまた小気味良い。

 力が足りねば努めて積み上げる。不明があれば智を研ぐ。命を磨く。

 その信念だけはまだ彼女自身の中に生き続けている。己で実践し得ないことを他人に強制してきたつもりはない。


 それに、と先を思い返して蒼天を仰ぐ。

 風向きは、それほど悪くはないのかもしれない。


 感覚的にそう思った絵草は、何故かそれに連なるように、あのカラスと、彼の言葉が浮き上がる。


 ――悪かった。お前たちに、全てを背負わせて


「……謝るな。そんなザマになってから」

 ふと、言葉が自身の口からこぼれてから、ハッと噤む。唇をなぞり上げれば、苦笑めいた形が作られていた。

 今の言葉は自分のものではない。何者かの思念が、一瞬挟まれた。

 果たしてそれは、誰の感情だったのか。

 自己の内部を探究せんとする絵草だったが、それはついに中途に終わる。




「お前だけが、邪魔だった」




 という、背後からの声によって。

 わずかな思考のブレ、注意力の欠如。それが決定的だった。そうでなければ、例え装備を失っていても遅れを取ることはなかったはずだ。


 だが現実はそれを許さなかった。

 彼女の背から腹は、異形の繰り出した貫手に突き抉られた。

 血反吐を口からこぼす少女は、残る生命力を搾り出して、背後を顧みた。


 彼女を貫いたのは異形の怪人。

 管楽器のごとく、あるいは太陽を象るかのように、獅子の鬣にも似た、無数のパイプが頭部から隆起し、あるいは肩まで流れ、黄金の攻殻を紫紺の狩衣が覆う。


「お前さえ始末できれば、あとはどうとでもなる。そう、『アレ』は思し召しだ」


 顔面の、V字を刻む赤いバイザー越しに、くぐもった声が漏れる。

 金属質の装甲によるハウリング、そしておそらくは意図的な変声とノイズによって、本来の声質こそ分からないが――何処かで、聞いた覚えがあるものだった。


「きさ、ま……何……者……っ!?」


 だが誰何を唱える絵草にはもはや応えることない。元より、殺害対象であること以上の関心がないのかもしれないが。

 血濡れた腕を彼女から引き抜くと、無情に海へと向けて蹴りつける。四肢をもがれるような衝撃……いや、実際そうだったのかもしれない。二の腕から下の感覚(いたみ)がない。


 己の状態を顧みる余力ももはや無く、その心身は海の闇へと深く、深く沈んでいく。


 〜〜〜


 それより、その現場、少し経って後。

 そこに立っていたのは、一人の少年だった。

 彼……多治比和矢は、海へと直線的に伸びる血の軌跡を、忌々しげに見下ろし、舌を打ち鳴らした。

 そしてそれを踏みにじると、踵を返してそこを後にしたのだった。


 〜〜〜


 剣ノ杜学園東棟。生徒会。

 本棟から分離し、独自の組織体系を確立するその構成員たちは、エリアの異形(レギオン)対策の中心人物でもある。


「……ってな感じのことを、レンリとかいうそのレギオンが語ってたが」

 そんな彼らが一堂に会する暮色の生徒会室。

 望まずしてその一員となっている楼灯一は、みずからが伝聞した『真実』とやらを発表した。


「まァ、あのカラスは存在自体が不審の塊だからな。どこまで信じていいか分からねーけど、真実に一歩前進ってことで良いだろうから、一応伝えておく」


 そう断った灯一だったが、影となって潜む生徒たちは無言のまま反応を返しもしない。その様子を、彼は訝しんだ。

 外部の下賎者には不干渉……という名目を陰ながら破って、秘密クラブを結成し、ピントの外れたレンズでもって俗世のあれやこれやに興味を抱く連中。こちらから乞うまでもなく首を突っ込みたがり、大した家柄でもないからと、ある程度自由の利く灯一を連れまわしたりアゴでこき使っては奔走させる紳士淑女たちが、ここまでリアクションを示さないなどとは、いつもならあり得ないことだった。

 こと、そのリーダーである管理区長兼東棟生徒会長、輪王寺九音などは、不必要なまでの義侠心をたぎらせて真っ先に飛びついても良さそうなものだが。


「っておい、お前ら体調でも悪いのか? たしかに突拍子もないハナシだが」

「――あぁ、聞いてるよ。きちんとね」

 案じる灯一に、九音は答えた。だがその横顔は、どことなく虚ろげだ。

 たしかに九音の体調は、あの春先の会合以降から低空飛行の状態が続いているが、今日は特に顕著だ。そしてそれが伝染したかのように、うるさ方の他のメンバーも。


「……とにかく、伝えたからな。対応はそっちで考えてくれよ」

 心配よりも、薄気味悪さの方が上回り、灯一は話を打ち切って部屋から出ようとした。

 だが、触れたドアノブはぴくりとも動かない。

 施錠された、訳ではない。内側から出ることを拒むシステムなど、聞いた試しがない。そもそも掌に返ってくる抵抗は――人の力や技術によるものを感じさせない。


「灯一」

 反射的に扉を背にした灯一の眼前で、音も立てず九音は俯いたまま立ち上がった。

「ボクも、ボクたちも分かったんだ……真実というものが」

「は? お前、なに言って」

 灯一の開きかけた口が止まる。その三方を、影が囲む。

「自分が、何をすべきかも」

 伸びるシルエットはやがて人型の範疇を越えて肥大化していく。

 後ずさりをしようとするも退路はない。迎え撃つにも、この所有物への検査が厳しい東棟でホールダーも『ユニット』も常備しているわけがない。

 ――それは、今相対する彼らとて同じはずなのに。


「そしてそのベクトルは、今までと何ら変わるところがない」


 そう言い切った幼馴染の影は止まることなく少年の知らない形態へと歪められていく。

 部屋の中を黒く塗りつぶしていく。

 やがて、灯一の実体さえもその抵抗も空しくして呑み込んでいった。




 ――まるで時の砂が満ちるのを待っていたかのように。

 征地絵草という不抜の楔が抜け落ち、タガが外れるのを見計らったかのごとく。


 異変は続く。

 変異は拡がる。

 剣は、より一層に強い妖光を放ちつつ、なお学園の中枢に鎮座していた。

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