(26)
「あいつらも引き上げたみたいだな……にしても、なんでココ、こんなビチョビチョなんだ?」
三人と一羽は、今にも沈みそうでさえあるほどに破壊された湾岸から出立した。
負傷こそ治癒したものの、全員ともに疲労困憊なのは言うまでもなく、その帰途の会話はあまりに少ない。
まだ体力に余裕がある方の元スポーツマン、的場鳴が気を利かせたらしく話題を振るが、引きこもりや陰の者たる二人が、反応を返すことはなかった。
もっとも、レンリが黙秘しているのはまた別の理由だろうが。
いったい何を考えているのか。どういう素性なのかは不透明なままだと。むしろ、あの強敵との一戦以降、沈思黙考の具合はさらに深刻なもののようになった気がする。
最後尾で俯きがちだったレンリだったが、その目線が何かを決したかのように持ち上げた瞬間、姿が揺らめいた気がした。
頭から、その存在が抜け落ちていく。たしかに今振り返った先にいるはずなのに、その存在が希釈になっていく。
そして消える間際、伸ばした手の向こうで、レンリは淡く微笑み、その姿は朝日の中へと溶けて、消えて
「そこかぁっ!!」
……などということを、ここまでこの鳥のために骨折りしてきた歩夢が許すはずもなかった。
軌道、角度、タイミング全てが完璧なキックであった。
「ぶエェッ!?」
その一撃はステルス状態にあったレンリの黒い球体の真芯を捉え、鉄柱に飛ばして激突させた。
「なに、満足げに消えようとしてんの」
「いや……俺にも事情とか覚悟とか色々ありましてですね……」
レンリは倒れて軽く痙攣を起こしつつ、クチバシをモゴモゴと動かした。ここまで兄を気取って無遠慮に踏み込んできた畜生が何を世迷言を吐かすのか。
「……本当に、良いのか?」
少し息を整えながら、レンリは言った。
「いつ世界を滅ぼす爆弾に変わるかもしれないヤツを、野放しにしていても」
彼女からは頑なに目を背けたままに身を起こし、
「俺はかつて、許されないことをした。それと同じことをくり返すことになったとしても、俺は、お前の近くにいて、良いのか」
と、独語めいた問いを投げかける。
「お前は強くなった。能力も心も、俺なんて必要ないほどに……ここから先、自分が生きて何をどうすべきか……正直俺にはもう分からない」
瞳の中の緑が、揺れながら黒い闇の中に堕ちていく。
彼が何を言わんとしているのか、よく分からない。たとえ真実が分かったとしても、きっとその苦しみは彼がずっと胸に抱いていくものなのだろう。
「……今更だけど」
歩夢は彼を見下ろしながら口を開いた。
「わたしは世界の行く末なんか知ったこっちゃない。その時にならないと、その時のわたししか判断できないことだもの」
そもそも、と歩夢は膝を彼の前で折って言った。
真っ直ぐに、ゆっくりと顔を上げた彼に目線を合わせた。
「始めてもいないことを、わたしは諦めたくない」
そして一つだけ、この時点で確かなことがある。見た夢がある。
眠りと覚醒に狭間で、刹那的に見た光景。煉獄の悪夢の続き。
それを、あの筐に、剣に触れ何者かと接続したことをきっかけに思い出した。
あの時カラスの怪物が突き出した腕はしかし、斃れ伏す少女を貫かなかった。貫けなかった。
代わり、人のそれへと戻った二本の腕は、彼女の身柄を狂おしいほどに掻き抱く。
泣いた、などという生優しいものではなかった。
絶望の魂から搾り出された、悲痛な慟哭。自身の心も体も押し潰す痛みに、耐えかねて発する絶叫。
それ以外の全てを砂として取りこぼした。
最後に残った一握さえも、今指の中から抜け落ちていく。
その痛ましさがあまりに見ていられなくて。
その献身があまりに報われなくて。
その生涯にあまりに救いがなくて。
だから――
その彼女と同じように――見下ろし、見上げる立場は逆でも――その手を差し伸ばし、掌で頭を包む。
「レンリは、それでも最後には、わたしの側に居てくれるでしょでしょ」
たとえ何も出来ることが無くても。
たとえそれが燃え盛る煉獄の中でも。
たとえお互いに身を滅ぼし合ってでも。
そして、数年のブランクがあるのも感じさせない自然な感じで、歩夢は歯を見せて笑った。
その直後のレンリの心境は、推し量るべくもない。
ただその感情の激動は、彼の閉じ篭もる偽りの身体を突き抜けて、歪む目元から伝わってくる。
「あぁ……あぁ!」
声は掠れて上ずり瞳揺れ、万感の思いを込めてレンリは頷いた。
彼の震えが、手を通じて伝わってくる。
その間際、視界の片隅で士羽が物凄い、らしくない表情をした気がした。
しかしすぐに白衣を翻して足を速めたので、確かめようがなかった。
〜〜〜
「……わかった。俺も覚悟を決めたよ、歩夢」
歩夢が自身の下から離れた後、レンリはひっそりと立ち上がって、静かに呟いた。
「この先にどんな運命が待っていたとしても、俺はお前の味方でいる……今度こそ」