(16)
ライカは、件の場所。埠頭へと足を踏み入れた。
おそらくは、このコンテナ群を越えた先に、件の会長とカラスはいる。
もう間もなく、処刑が始まるのだろう。
ならば、あえて手を下すこともなく復讐は終わる。それに異議を唱えて殴り込んでも、返り討ちになるのがオチだ。
だったら、ただ何もせずこの場で立っていれば良い。
何も見届けることなく、事が成就する。あるいは失敗する。その成否を聞かないまま、結果がどう出たか思いを馳せないままに、仇の影を追う。
「……シュレディンガーの猫かよ」
自嘲とともに、ライカは呟いた。
今更ながらに、なんて不毛な自己満足。
残されたのは、空っぽの自分だけ。そんなザマになった自覚を得て、ようやくに気づく。
「ライカさん」
存在自体が空気を読まない。それとも彼なりに必死に読んだうえで、これなのか。
妙に耳に馴染む声が背後に掛かる。
顧みれば、見晴嶺児があどけなく笑みを浮かべて手を振っていた。
「なんで、ここにいる?」
どうせ、5W1Hを履き違えて「バスで」だとな頓珍漢な答えを言うんだろうな、という予感のもと、あえて問う。
「だってライカさん、ほっとけないからさ。せめて一緒に戦うよ」
それが、自身の問いの的を射ていたのか。それはもはや判別つかない。
其れでも、心がぐらりと揺さぶられる。
ここまでくり返されると、ここまで馬鹿を貫かれると。
「余計なお世話なんだよ! 俺は……っ」
「良いよ。オレが勝手にしてることだから」
さっぱりと笑って、彼が言う。
「オレは勝手にライカさんが好きで、一方的に何かしてあげたくて来たんだからさ。だから、ライカさんはそんなオレを都合よく捨て駒にしても、毛嫌いしたり、憎んでくれても良いよ」
後光も相まって、屈託のなさが、己には勿体ないほどに眩くライカには思えた。
「憎む、憎むだと……っ」
誰かを憎む資格などなかった。恨むことなど出来ようはずもなかった。
あぁ、そうだ。レンリがどうか、なのではない。
妹をあんな目に遭わせたのは。
認めたくなかった真実は……
「ライカさん」
名を呼ばれて、顔を上げる。表情には、相当に苦渋が浮かんでいたのだろう。それを気遣うように目を細めた嶺児は、
「何かに思い至ったみたいだけど、今は優先すべきことがある。だろ? ……彼女たちも、来てることだしね」
そう促されて振り向いた先には、件の三人娘プラスのっぽがいる。
揃って無造作に、大豆のバーをもそもそと朝食として食べながら。
「……空気読めよ」
「いや、読んでるだろ。黙って見守ってやったんだから」
と、事もなげに的場鳴が返し、
「ていうか、そこ通るのに邪魔なんだけど」
と足利歩夢が言う。あの怪物どもの間に割り入ると、明確に示唆して。
「本当に、色々と、正気を疑いたくなる連中だ……」
顔を袖口で拭ったライカは、冷たく取り澄まして言った。
「化け物と対してでも、助けに行くのか、化け物を」
と言いながらもライカは、心のどこかで彼女らが来ることを予感していた。いや、期待と言って良かった。止めて欲しかった。
「何故だ」
本音が、疑問となって口からこぼれる。
「何故、そこまでしてヤツを救う? 世界を滅ぼすような怪物を信じられる?」
と。
すでに、問われることは読んでいたらしい。その煩悶は、彼女たちの間でとうに通り過ぎたものらしい。
「その信じられない珍獣が言うことこそ、眉唾もんなんだよ。ここまで来たら、
揺らぐことのない眼光とともに、吠える。
「真実如何はともかく、絵草の増長は止めるべきだ。その責任は私が負います」
淀みない口ぶりで答える。
「なんとなく」
なんとなく……なんとなく?
「……ちょっと待った、お前待った」
茫洋とした表情と舌っ足らずな口調で答えた歩夢の肩を抱いて、顔を寄せた鳴はひそひそと囁く。
「お前さ……一晩考えてそれか? もう一声なんとかならなかったのかよ」
「じゃあ、愛でいいよ。愛で」
「そんな妥協の愛があってたまるか」
声を立てて苦笑する嶺児の臑を蹴り、自身の前髪をかき回す。
「緊張感のないヤツらだな毎度毎度……!」
そのたびに脱力する。自分の悩みなんか馬鹿らしいもののように思えてくる。
「……正直、あんたの言うところの真実なんかどうでも良い」
と、鳴に揉まれながら歩夢は言った。
「あいつが世界の滅ぼす怪物かもどうでも良い。そもそも、世界そのものに未練も執着もない。滅びるなら勝手に滅びれば良い。あいつの都合や思惑もどうでも良い。」
一転して過激なことを言い出すや、鳴の身体をすり抜けて前へと進みだした。
「だからそれは、わたしが足踏みする理由になんて、ならない。わたしは理解よりも納得がしたいから先へと進む。立ち止まったあんたを突っ切って」
と、ライカ自身ではなく、その背の先にある道を指で示しながら。
「……そういうそれっぽいことは、最初に言っとけっての」
悪態をつきながら、鳴もそれに並ぶ。複雑そうな表情を浮かべつつも、士羽もまた。
「オマエらの行動こそ、理解はできない。が、どうしても先へ進みたいっていうことは承知した」
もはや自分には見届ける気概さえ残されてもいない。それでも、
「昨日言ったばかりのことを、撤回するつもりはない」
あらためてただずまいを直したライカは、得物を構えた。
だが対峙するべく進み出たのは、白景涼だ。
「この連中は自分が相手をしておく。君たちは絵草と決着をつけるといい」
「あ、喋った」
「……元より望外な助力であったといえ、ここで抜けられると絵草戦が厳しいものとなるのですがね」
「いいや、そいつの判断は正しいさ」
そう嘆く士羽の声に応えたのは彼女の頭上、気づけばコンテナの上に腰掛けていた影だった。
いかにも無頼然とした出で立ちの男子が、士羽の至近に降り立つや、周遊する鮫のごとく少女たちの前をゆったりとうろつく。
「この間の貰い事故的な遭遇戦じゃなく、意図して征地の大将に敵対するとなりゃあそりゃ明確な謀反だ。加勢するにしてもここらがボーダーってェ、そういう処世だろう? 白景の」
彼の乱入にわずかながらに目を見開いた歩夢は、硬い声をあげた。
「そのDr.Stickの広告に出てきそうなビジュアルは……南洋の縞宮」
「いや、その一言はわざわざ要らねぇよな? つか、つい二日前会ったばっかだし紹介自体要らねぇよな?」
呆れる縞宮舵渡に、そもそも話を振られた涼が答えた。
「そんな賢しいことは考えていませんでした。ただ、絵草にも彼女たちにも情も恩義もある。ならばこの決着、彼女たちの間でつけるべきだ」
「そしてお前さんは、容易に翻す旗を持っちゃいないってわけか。征地の大将と直接闘り合うことは出来ずとも、援護はしてやるためにわざわざ居残ったと。はッ、意固地なことだな!」
「そういう縞宮さんは、絵草の私刑に賛同をする、と」
舵渡は不敵な哄笑とともに、ライカの横へと身をつけた。
「まさか卑怯とは言わんよな? 新兵ふたりだけにお前さんの相手をさせるわけにもいかねぇだろうよ」
「いえ、勢力間を自在に入れ替えながら自身の信念を貫く柔軟さ、同じ指導者として見習いたいものです」
「はッ、嫌味なんだが誉めてるんだか。いや、お前さんに腹芸なんぞ出来やしねぇから純粋に後者なんだろうな……まぁ、正直白景のは指導者ってぇより球団マスコットみたいなもんだが」
それこそ返された苦笑と皮肉に小首を傾げた白景涼だったが、その構えには隙がない。
水平に伸ばした腕に呼応するかのごとく、彼の後方を自走するバイク型のデバイスが彼と少女たちの間に盾代わりとして割り込んだ。
しかし、数の上では三体一を受け持つという。質においても相手がグレード5持ちだとしても、容易に遅れを取る訳がない。おそらくは的場鳴あたりも残って、その援護をするつもりだと彼女自身の所作を通して予測した。
……その時だった。
「待った待った待ったァ!」
元気よく、小柄な影が別のコンテナからヒーロー着地。勢い余ってスリップする少女とも少年ともつかぬ所作で、足利歩夢の前に立った。
「さすがに一対三はルール違反でしょ! オレらもこっちに加勢するよ!」
多治比和矢から渡された資料に、見覚えがある。
深潼汀。多治比に比肩しうる旧家の令嬢。そんな彼女が自身の眼前に現れた歩夢は、口をへの字に眉を逆八の字に、そしていからせた双眸の形が二の字となった。
「助けてあげるんだからその顔やめて!?」
という抗議を無視して歩夢は、
「『オレら』?」
と訊き返す。
「――まぁ、というわけで」
と、汀に遅れながらも追従するかたちで、コンテナの隙間から憶えのある眼鏡の少年……澤城灘が現れた。
「僕らはこの人たちにつきます」
「これで頭数はプラマイゼーロってコトで!」
部外者のライカたちにさえあえて言うまでもなく、彼らと縞宮舵渡の所属先は同じ。自然、彼の
「お前ら……こないだとはワケが違うんだぞ」
「……わかってます。先輩なりに、僕らや南洋のことを考えたうえでレンリさんは会長に預け……そしておそらく処分させた方が良い、と判断したって」
そのうえで、灘は舵渡の前に立った。
「でも僕らは、レンリさんが元の世界を滅ぼしたからって、そのことを後悔する彼を断罪する資格はその世界の人間にしかないはずですよ」
「……カタブツめ」
「今度、僕から飯を奢りますから」
そう言って灘が苦笑するのに、舵渡もまた野暮ったくもどこかほろ苦い面持ちで笑い返した。
――つまりは。
あるいは理屈を曲げられないため、あるいは正しいと信じることのため、あるいは仲間とも言えぬ相手のため。友情でさえないエゴのために。
自分には直接的な利得など何もないことのために、彼らはふたたび戦うという。
乱戦の苦痛は、いやというほどに知っているだろうに、性懲りもなく。
「ふふ、ははッ」
「ライカさん……?」
「ははは、ハハハハ!」
ライカは笑った。極度の緊張ゆえか。いや、そのあまりに連中が、荒唐無稽であるがゆえに。
「バカばっかだな! 剣ノ杜ってところは!」
「だからあんたも、ここにいる」
当てつけんばかりのライカの独語に、歩夢が辛辣に返す。
今更にそれを否定する気はない。
「――そうだな」
嶺児に指摘されるまでもなく。
和矢に揶揄されるまでもなく。
「俺もまた、ブチ当たってみないと前に進めないような大馬鹿だからな!」
ライカは吼えた。吼えて、鍵とデバイスとを手に取った。
〈リベリオン〉
〈ダガー〉
〈ジャンダルム〉
〈ドラグーン〉
〈バルバロイ〉
〈キャプテン〉
〈アドミラル〉
装填し、起動させた各々の『ユニット・キー』が、狂騒し共鳴する。
その音と光の奔流の中を、三人の少女が突っ切っていく。
せめてポーズなりともその突破を食い止めんとするライカの銃撃を、涼の重装が食い止める。
その金音を合図として、この乱痴気騒ぎの最終戦が始まった。