(13)
「トロづくし」
「ウニ」
「アワビ」
「茶碗蒸し」
「海鮮三種盛り」
「伊勢海老ラーメン」
「シーフードカレー」
「クリームブリュレ」
etc……
矢継ぎ早に注文していき、レーンからテーブル席を埋めていく黒い寿司皿とサイドメニュー。自分でオーダーしたそれらを憮然と見下ろしながら、歩夢は呟いた。
「そういやわたし、そんなにちゃんとご飯食べる方でもなかった」
「だろうね!?」
これだけ山のように高級品を頼んでも、まだ三千円足らず。
大手チェーンの回転寿司屋のコストパフォーマンスに、歩夢は素直に感心した。
「しゃーない、二人で分け合いっこして食べよっか」
「入口のガチャ全制覇してくるからお金貸して」
「足利サンはそんなにオレに経済的打撃を与えたいのかい」
というか、最早それが主目的になっている。
ところがその深潼汀、なおも余裕げで、含み笑いとともに黒いカードを取り出して見せびらかす。
「ところがどっこい、『トレーディング』はオレの十八番でね! 多少の出費なんて怖くはない!」
「『世界を破滅させる怪物の居場所や素性とかに探りを入れるためなら』?」
歩夢は本題を切り出し、その余裕はたちまちに消し飛んだ。
偶然。そんな訳がないだろう。南洋に通う生徒の生活圏内にはない。
そしてそういう風に奇遇を装う以上、その邂逅には意図があり思い当たるフシはただ一つしかない。その情報の漏れどころも。
「あのメガネ、存外に口が軽いな……」
「ごめんッ、でもあいつを責めないでやってくれ!」
誤魔化すことを観念したのか、申し訳なさげに汀は下げた頭の前で手を打った。
「夜フラフラになりながら寮に戻ってきたアイツをとっ捕まえて、正直に何があったか話すかオレにカードゲームで勝ったら解放してやるって迫ってわざとやらんでも良いデッキ切れとか狙って一プレイに二時間以上かけてからずっと負かし続けたのはオレなんだ! アイツは朝日が上り切って挙句には泡吹いて白目剥きながら『かごめかごめ』を口ずさむまでは義理堅く口を割らなかったんだ、信じてやってくれ!」
「本当に責めらんないヤツじゃん……」
少し背筋をぞっとさせた歩夢は、いかにも神妙げに詫びるクレイジーサイコデュエリストから距離を置くのだった。
もっとも、彼にしてみれば義理を立てたわけでもなく、ただひとえにこの少女を世界がどうのこうのという事態から離したかったのだろうが。
「で、まぁそれはともかく、鳥チャンのことも勿論重要なんだけど、足利サンが心配でさ。だからこないだの礼も兼ねて、元気づけにメシに誘ったってワケ」
「……別に、あんたに心配されるようなことでもない。あんあろくでもないヤツのことで」
本当に、ろくでもないヤツだった。
世界を破壊した。あれだけの力を隠し持っていた。それを伏せて、いつも弱者のフリをして自分の膝で傍観者を気取り、自分たちがどれだけ傷つこうとも苦しもうともくれたのは声援と、大したダメージなんて無いだろう自己犠牲だけ。
そのうえできっと、まだその秘密には――先がある。
もう、そのことで振り回されるのはたくさんだ。
「だけど」
テーブルの一皿を歩夢の目の前から攫いながら、汀は微笑んで言った。
「それでも君は、彼を助けたいんだよね」
と。
「その理由を探している。だから、こんな時間にわざわざ街を彷徨いて、彼の影を追ってる」
知った風な口を、とは思うものの、当たらずとも遠からずなところは認める。
「……理由なんかないよ。本当に」
考えれば考えるほどに、知れば知るほどに、あのカラスを助けるだけに大義名分はなくなっていく。
少なくとも、世界に叛いてまたあの怪物たちの戦いに挑むまでには。
そのことを、どうしようもなく歯痒く思う自分がいたとしても。
「良いんじゃないかな、理由なんてなくたって」
マグロの二貫を容易く平らげてから、汀はまた一皿を奪っていった。
「理由なんてなくたって、適当に動けるのが足利サンの良いところだと思うんだけどなー」
「テキトーなのは、あんたでしょ」
「ん? あぁ違う違う。適当ってのは、雑な感じとかじゃなくて、適切ってニュアンスで」
旺盛に食べていく彼女に釣られて、歩夢もまた自然に茶碗蒸しへと手が伸びた。
「ほら、南洋の時そうだったけど、足利サンはオレのこととか顔に出るぐらい嫌いで、助けてくれる理由なんてなかったのに助けてくれたじゃんか」
「あんなもん、それこそ『テキトー』だよ」
「そう。でも物事の本質がそのテキトーで分かっちゃう足利サンは、正解をなんとなくで選んじゃうんだよ。なんだかんだ、灘とのこともお陰で丸く収まったしね。そんな足利サンだから、オレはファンなんだよ」
「……やっぱあんたの発言の方が、よっぽど無責任だと思うけど」
「どのみち、生きてりゃ誰かが灰を被る。大いなる力には云々ってのも、どれだけのしくじりをやらかそうとも結局はその大いなる力分の責任しか持てないし、頼みすぎた寿司も自分の食欲と胃袋の分しか入らないんだよ、手に余る分はみんなで補えば良いのさ」
あまりに身も蓋もないその開き直りは、果たして彼女自身のことを言っているのか、歩夢への後押しなのか。
(だけど、そうか)
と、歩夢は静かに納得した。手早く食事を済ませるべく、スプーンで茶碗蒸しの残りを口の中に流し込むと、ウニの軍艦とトロを掴み取って頬張った。
頬張って、青い顔をしながら固まった。変な悪寒も伴う震えも起こった。
「……いや、ホントーに食細いな! 間食ばっかしてっからだよ!」
などと茶々を入れられつつも、最低限の義務としてなんとか喉の奥へと飲み込んだ。
「いーよ、無理しなくたって、こっちで美味しくいただくから。オレの名演説で、ついギア上がっちゃった?」
「アホか。んなワケないでしょ」
即座にそう斬り捨てた歩夢は、息を整え胸を反らすようにして立ち上がった。
「でも、おかげで気づけた。あんた相手にこんなところでクダ巻いたって、自分のことは何も変わりなんてしないって」
「……そっか。それなら良かった」
「だから、これだけは言っとく」
テーブルに手を突いたまま、まっすぐに視線を外さずきらめく少女の双眸を見据えて言った。
「ありがとう。あと、ごちそうさま」
我ながら、到底謝礼を述べる態度ではないとは思うが、性分だから仕方がない。
――そう、性分は変わらない。変わってなんていなかった。
本質も、感情も、最初から自分の中にあった。
父親だと思っていた男の放棄も、母親の服役も、それに伴う周囲の眼差しも。
友人の欺瞞も、レンリの欺瞞も。ままならない自分自身も。
すべてを受け入れ、前へと進む。
~~~
「助けるだけの理由がない、ねぇ」
残された汀はそう呟きながら、寿司を頬張った。
「オレの見るところ、そんな理由、分かり切ったもんだと思うんだけどな」
そう、それはこの世でたった一つ、あらゆる社会正義に勝る理由。
とてもシンプルで、だからこそ世界に叛けるほどに、力強い。
「ま、千里眼めいた洞察力の足利サンでも、自分にはそのレンズを向けられないってことか」
とぼやいてカレーをスプーンでかき混ぜる汀は、傍らで複雑そうな表情を浮かべて眼鏡の少年が立っていることに気が付いていた。実は、後ろの座席で聞き耳を立てていたことも知っている。
「なんだよ、盗み聞きかよ。趣味悪ぃ」
「悪かったよ。心配だったし足利さんに申し訳なかったからから来てみたんだ」
と呆れる汀の対面に、澤城灘は居心地悪そうに腰を滑らせた。
「けど、いくらなんでも話盛り過ぎじゃない? 白目剥いただの泡吹いただの……」
「そう? 割と見たまんまを語ったけどな」
「だいたい、時間をかけたってことはそれぐらい接戦を繰り広げたってことじゃないか。それをワンサイドゲームみたいに言うのは、ちょっとフェアじゃないなァ」
そううそぶく幼馴染だったが、その震え声からなけなしのプライドからくる虚勢であることは丸わかりだった。
「……やー、言って良い?」
「なにを」
フェアを求めるのならあくまで本人のため、あえて心を鬼として、汀は言った。
「ことカードゲームに関してのことなんだけどさ……ぶっちゃけお前へったくそなんだもの」
ゴン、と快音を立てて灘はテーブルに額を打ち落とした。
「まともにやると果てるの早いし」
ゴン。
「世界観とかコンセプトを大事にするくせに、そっからのムード作りはへったくそだし」
ゴン。
「テクニックへの自信の無さがモロ出てるし」
ゴン。
「だから力任せにするにしても、攻め方もただただ単調でつまんないんだよなぁ」
ゴン、ゴン、ゴン。
「あんなプレイで、オレを満足させられるはずもないだろ」
汀が所感をぶっちゃける都度、重石を積載されたかのように沈み込んでいった灘だったが、これがトドメの一言となった。
「……おーい、いつまでもダウンしてないで、こいつら食べるの手伝ってくれよー」
本当に泡を食って喪心しかけている彼の頬を叩きながら、汀は無邪気にそう促したのだった。