(12)
歩夢はその日、特にすべきことも語るべき相手もなく家へと帰った。
レンリのいない、空っぽの部屋。
かつての 日常。空疎な人生の象徴。
だが、そこには彼の生きた証がしっかりとある。
かつて人の悪意と己の無気力に満たされていた部屋は片付けられ、代わりに怪獣のフィギュアが棚に並べられている。
ゲーム機も、漫画も、映画や海外ドラマのDVDも、まるで情操教育の絵本やオモチャのように種々部屋を彩っている。
それらを指先で触れて回る。
そしてPCのネット閲覧履歴は不自然に消されているが、表示される広告は全てエロ関連。よく見るサイトにはdとかFで始まる例のサイト。
目を閉じても、確かにそこには彼とのつながりを感じる。
まざまざと、彼がかけてくれた言葉の数々が脳裏に甦る。
『おいおい、そんなに肉まん買っても食い切れないだろ? それとも豊胸用か~?』
『おい歩夢……すごいことに気づいてしまったかもしれない! ……お前より俺の方が胸大きくないか!? 鳩胸だし!』
『歩夢、カップ数というのはただ最高値を測るだけじゃだめなんだ、アンダーバストを引いた差が……ごめん、お前には関係のない話だった』
『なに? ちょっとおっぱいが大きくなっただと? ……アブにでも刺されたのか……?』
『歩夢……お前の言い分はわかる! でも、スレンダーと幼児体型はまた違うんだ!』
――歩夢は薄く目を開いた。
茫洋と虚空に視線を浮かせ、物思いにふける。
「あのクズ、べつに見殺しても良いんと違うか」
そう自問する歩夢、心なしか関西弁のイントネーションを含んでいた。
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そのまま部屋に籠っていると、かえってろくな考えを抱けない気がしてきた。
なので出不精な少女ではあったが、仕方なしに街に繰り出した。
すでに夜と呼ぶに等しい様相の繁華街へと足を向けるも、これといって目的もない。
――あるいは、それでも。
誰ぞの影を、捜して目を追っている。それせずにはいられない。
だが会ってどうする? 何を望む? 何をさせる? 何を言う? 何を説く?
あの黒いものが彼女の視界から消えたのは、レンリ自身がそう望んだがゆえのことだろうに。
それでも、自分にとっては長くいる時間が長過ぎたようだ。
ふと顧みれば、そこにいる気がして……
――した。
――居た。
電飾を逆光とする影の形は鳥のものではなく人のもの。男のシルエットではなく少女のもの。
初めての邂逅の時は、溌剌とした少年だと思っていたが、こうして濃紺に白いラインが好対照の南洋の制服を翻るさまを見れば、可憐な少女そのものだ。
「おぉーい、あっしかっがサーン!」
そんな彼女が屈託なく、駄犬の尾のごとくせわしなく腕を振り回して急接近してくる。
歩夢の眉は逆八の字に、口はへの字に。しかむ目元は二の字のごとく。
とっさの構えは蟷螂拳。
「……いや、そこまで嫌がらんでも」
さしもの深潼汀も、ここまで露骨なアピールすれば、自身が拒否されていることに気が付いたようだ。
「なんだよー、オレたち相棒だろー? せめてスマイルの一つぐらい気前よくくれてもいいじゃんかー」
「断る。わたしが笑うのは、傷つき苦しむ誰かを助ける時だけ」
「オレは足利サンの塩対応に充分傷つけられた!」
ぷぅぷぅとあざとく唇と尖らせて抗議する汀はしかし、所在なさげに持ち上げたままの腕をかすかに上下左右に揺らしている。
危ないところだった。先に牽制をしておかなければ、あの手で顔周りを撫でられまくっていたかもしれなかった。
「つーか、なんでオレをそこまで嫌うのさ?」
「声がデカイ。距離感がおかしくて馴れ馴れしい。大勢いるだろう相棒呼ばわりがシャク。ナチュラルに煽ってくる。スタイルが良い。あと、拳を突き出してダッシュする姿がイラッとくる」
「…………うん? 最後のはやってないよね? ひょっとしたら一回ぐらいやったかもしんないと軽く悩んだけど、やってないよね!?」
まぁやっていようがやっていまいが、それ以外はおおむね事実で、率直な所感だ。
「で、なに? 用があって寄ってきたんでしょ」
「あぁ、えーとそれは」
らしくもなく、一転して少し言いよどんだ様子だった汀ではあったが、
「……あッ、そうそう! 飯! 偶然見かけて声かけただけなんだけどさっ、夕飯まだなら、一緒にどう?」
いかにも引き留める理由を今思いつきました、といった感じの間とともに、彼女は歩夢を誘ったが、それに乗じる理由は、歩夢の方にはない。
「断る。晩飯ならもう都合ついてるから」
「えっ、なに食べたの?」
どこか疑わしげな汀の問いかけに、ようやく構えを解いた歩夢は小脇からちょっとした袋を取り出した。内容物を手づかみで引き上げると、口いっぱいに放り込んだ。
「わたしには、このヒマワリの種がある。あと、ウチにはナンプラーが残ったまんまだし、隙はない」
「ナンプラー!? でも種頬張る姿は解釈一致!」
もぐもぐと咀嚼した後、頬が元の丸みへと戻るのを待ってから、呆れた汀は軽く怒った様子で、
「もー、園芸用だったら農薬に気を付けないと危ないよ?」
と叱った。
どこかピントがズレているツッコミはともかくとして、これ以上は付き合う義理はない。
正直言えば意地を張っただけで、当然これのみでは不足だった。だが、それでもプライドというものが、他はともかくことこの娘に対してのみは、ある。
それじゃと足早に立ち去らんと
「じゃあ回転寿司。すぐそこのお寿司屋さんで奢ったげるから」
「行く」
――立ち去らんととしたその身を急速回頭。汀のもとへと立ち返る。他人の金で寿司が食えるとなれば、プライドや相手への好悪などあえて秤にかけるまでもない。
莞爾と微笑んだ汀に、内心などと思われてでも、だ。
「うし、じゃあ行こうぜー!」
と、拳を突き出して先行しつつ汀はダッシュした。
「結局やってんじゃん」
「えへへ、足利サンの期待に応えてみました」
(こういうところもハラ立つ)