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剣ノ杜学園戦記  作者: 新居浜一辛
第八章:カラの、玉座(後編)
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(9)

 生徒会室に付随する会長室。そこから覗く学校は、すでに暮色に包まれていた。

 まさしく誰そ彼と互いの影に問い合い、魔と出逢う時分である。

 しかしてそうした趣に反して、件の魔物は昨日の衝突以来姿を消したままだ。


「で、では……学内外に関わらず捜索範囲を拡げ、南洋にも問い合わせます」


 先に手酷く折檻を受けた賀来久詠はおっかなびっくりと言った塩梅でそう会長の背に告げた。

 『衛生兵』による治癒を受けてもなお、身体に刻まれた真新しい痛みの記憶は、副会長を必要以上に萎縮させる。

 もっとも、自身からそれを持ち出すことはしなかったが。


「あぁ、成果に期待している」

 心無く宣うとともに鷹揚に見送った絵草はしかし、それほどあの怪物を意識してはいない。敵の術理はだいたい感覚で理解した。細かい内容まではわからずとも、それを形作る『筺』を破壊できることを把握した以上、もはや二度は通じない。


「……いくら上手く潜り込んだとて、いずれは息継ぎのために浮上しなければならないはず。もしそれが我が眼前であれば、一太刀に斬り捨てるまでのこと」


 そう呟き、薄く笑んだ絵草ではあったが、ふと自らのデスクを見遣った時、そこに立てかけられた写真に目が留まる。

 そこには数年前の彼女自身と、その時の相棒であり、今は訣別したままの少女。身の丈に余る白衣をまとい、貴人要人たちに囲まれて居心地が悪そうに肩をすくませている。


「……お前は、いつも考えに考え抜いた挙句、思い切って悪手に出るな」

 内心ではその才を惜しみつつも、口からついて出たのは、致命的な欠点。

 だが頭の裏、その片隅に気配がちらついた刹那、その感傷をすぐさま退かせた。

 そろりと壁に手を這わせ、そこに立てかけられていた槍を掴み取るや、


「曲者!」

 と鋭く声と穂先を天井へと叩きつけた。

 ぎゃあっ、と甲高い悲鳴とともに、天板から逃げ出るように、黒い球体が転がり落ちてきた。

 言わずもがな、渦中のあのカラスである。


「――お前だけさぁっ、なんかさ! 生きてる世界観が違うんだよなぁ!? つか、なんで学校にモノホンの大身槍があるんだよ! 法律はどうなってんだ法律は!?」

「……自分でもちょっぴり生まれる時代を間違えちゃったと思わんことはないが、人語を話す鳥に言われたくないわ」


 上下逆さまにひっくり返って恨み言をぼやくレンリなる鳥獣に、それとなく写真を前倒しにしながら尋ねた。


「で、何しに来た。夜討ちにも夜這いにも、まだ早かろう」

「よば……お前にオンナを感じたことなんぞただの一度もないわ! まして襲う気ならとっくに不意打ち仕掛けてる!」

「では、何の用だ? まさか大人しく斬られにのこのこ敵前に現れたなど」


 言いさして後、絵草は押し黙ってまっすぐにカラスを見下した。

 皮肉を飛ばしたつもりだったが、それ以外に理由が見当たらないことに気が付いた


「まさか……そうなのか?」

「……あぁ、逃げきれないと観念したのさ。他の連中をお咎めなしにしてくれるなら、煮るなり焼くなり好きにしてくれ」


 自らの体勢を正常なものへと戻し、両翼を揃えて突き出すポーズをするレンリに、絵草は鼻白んだ。

(今の今まで消息が欠片も掴めなかった輩が、何をぬけぬけと観念などと)

 と思わないでもないが、その提案に策謀の臭いは感じない。本心からの投降と見た。それを拒む理由もない。何かしらの作為があったとしても、常のように真正面から封殺すれば良いだけの話だ。


「……元より、責任を追及することなどしない。逆らえば叩き伏せる。意志を衝突させようとも相手を否定せず遺恨は持ち越さない。それが私の、剣ノ杜の信条」


 である、と締めくくろうとしたのを待ちきれなかったかのように、レンリの身体から異音が轟いた。

 どこからどこまでが、人体のどの部位に相当するのかは判別しかねるものの、恥じたように胴体の前部を撫でさすり、

「いや、昨日からなんも食ってなかったから」

 と言い訳する辺り、どうやらそれは腹の虫であるらしかった。


 思わず肩から脱力をした絵草は、ため息交じりに槍を元の位置に戻し、デスクに立てかけてあった学校指定のカバンを担ぎ直した。

 そして何となしに倒した写真のフレームに指を這わせつつ、きょとんと碧眼を丸くするカラスに横顔を傾けた。


「ついてこい。その覚悟を賞し、飯ぐらいは奢ってやる」


 ~~~


 征地絵草、行きつけの中華飯店『天仁房』。

 その片隅で人目を避けるように向かい合った彼女と、黒い球体。レンリは彼の身の丈ではやや持て余す椅子の上から足を投げ出し、初めて見るような――否、懐かしむような眼差しを閃かせ、店内を目で探っていた。


「案じるには及ばん。ここの店主の娘、劉藍蘭は『新北棟』の学生でおおよその事情も把握している。異形を客として受け入れる程度の融通は利く」

「……知ってる」

「最後の晩餐だ。せいぜい好きなものを頼め」

 と気前の良さを見せつつも絵草自身は先に、天津飯と餃子をセットで頼んでいる。

「ちなみにオススメはAセットだ。ここの小籠包は絶品だぞ」

「俺、小籠包苦手なんだよ。嫌いじゃないんだけど」

「――ほう? そうなのか」

 とぼやきつつも彼は、担々麺と麻婆飯をオーダーした。


「実のところ、私は店の空気も含めて中華料理屋が好きだ。中国語で飛び交う店員同士の私語。やたら水滴まみれの水のピッチャー。暴力的に振るわれる鍋の音」

「……それ、褒めてんのか?」


 持論を展開していると、先に頼んだ絵草の分が先に卓上へと運ばれてきた。

 何故か付け合わせについているナムルの小皿を一口で平らげてから、メインの天津飯を崩しにかかる。

 紅ショウガと飯と餡とをレンゲでかき混ぜて一口、混然としたその味に舌鼓を打つ。


「そしてやはりここは天津飯もいけるな。特にこの餡の優しい味付けは、本場天津の酷寒を優しく包み込む情景を秘めている」

「……いや、日本発祥だから。多分その思い起こさせる本場の情景って浅草かどっかの大衆食堂だから」


 などと小言をこぼしていたレンリのテーブルにも、件の劉藍蘭が手ずから配膳し、チャーミングなウインクをついでに送った。


「貴様とその世界にまつわる事情は途上に説明されたが」

 士羽たちに伝え聞かせたという身の上話を聞いても、絵草に特に驚きはなかった。

 所謂並行世界(パラレルワールド)など、未だどこに繋がっているかも知れたものではない『旧校舎』のことを想えば受け入れることは容易であり、多少見立てに齟齬があったとしても、この化生が『征服者』となったという大部分においては正解していた。


「だとしてもなお、疑問はある」

 と絵草は前置きした。

「まず第一に、何故貴様、あの時私の前に立った? みずからの正体を晒すリスクを承知で、この私に挑みかかった? あれではまるで」

「勝てると思った」


 レンリはこの時ばかりは即答した。

 しかし即答して後、麺をすすり(タン)を飲み、それからまた水を自ら注いで飲む。


「超然としたこの力でお前だろうとねじ伏せる自信があった。まぁそれは間違いだったけどな」

「……そうか。ならば次の質問に移ろう」

 自身も食を健啖に進めながら、絵草は問いを重ねた。


「では何故、その私の前に再び現れた?」

 小皿に酢を注いで正体がわからなくほどその表面に胡椒を振りかけ、それに焼き餃子を浸して二個、三個とまとめて口の中へと放り込んでいく。

「諦めて命を絶つというのであれば、海に身投げでもすれば良かろうよ」

 その一部始終の過程においても絵草は、この黒き異形に視線を注ぐことを惜しまなかったし欠かさなかった。


 レンリはその短い体躯(アバター)を手際よく駆使して、今度は麻婆飯をかき混ぜて胃の中へと収めていく。

 また水を飲んだ。


「俺はお前……いや、お前に似た奴に借りがある」

「ほう?」

「そいつだけじゃなく、数えきれないほどの多くの人間に対して、償いようのない罪を負った。だから、せめてお前にその借りを、この愚かな命をもって返したい。俺のこの身が『上帝剣』の解体に役立つのなら、使ってくれ」

「殊勝な物言い、と言いたいところだが……勝手なことだ」

「じゃあ勝手ついでにそいつの代わりに言わせてほしい」

「何を?」

 また、レンリの右翼がコップに伸びた。だが、躊躇いがちに引っ込められ、強く握りしめてテーブルの上へと置かれた。


「――悪かった。お前たちに、全てを背負わせて」

 告解するが如くに低く呟き、深々と頭を下げる。


「特にお前はめっちゃ頭悪いのに、分不相応な無理をさせた」

「……私も、そいつに代わってブン殴って良いか?」


 誰の、何に対しての謝罪かさておくとして、本当に謝る気があるのかはともかくとして。

 あらためて絵草は相手の食卓を眺めた。

 確かに辛いものをずらりと揃えたが、その辛さに比しても水の減りが早過ぎる。それを認めつつ、絵草は


「成程」


 と、独り合点して呟いた。

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