(7)
「で、その例の鳥のことだがな」
校門の前に至った時、ふと鳴が世間話のように渦中のカラスに言及した。
「逃げたそうだ。イノの目の前から消えて、行方知れずだとさ」
「カントクフユキトドキ」
慣れない語感の所感をぼやいた歩夢だったが、昨日一人で寝ていたことを鑑みればそのことに非難はあっても驚きはない。
むしろ、何食わぬ顔でのこのこと戻ってきていたら、顔面にキックを見舞っていたことだろう。
「まぁあんまし咎めてやんなよ。あたしだって、今朝がたまでなんで会長にボコられるハメになったのか、いまいち思い出せなかったんだからな」
とはいえ歩夢も、さすがに鳴のその告白には軽く瞳孔を開いた。
記憶をたどるようなわずかに険しく怪訝な目は、南洋での花火大会、レンリの所在を尋ねた時と被る。
まるであの時も、あの忘れようがない異形の球体が、記憶から抜け落ちていたかのような――
「察するに、あの大魔王サマにはあたしらには隠してた特殊能力があるんだろうさ。だからあんな妙チキリンなフォルムが違和感なくまかり公衆の場で咎められることなくまかり通ってたし、今副会長様が気を吐いて捜索を命じてるらしいのに空振りしてる」
冗談めかしく言ってのける鳴ではあったが、その口調はかなり手厳しい音を帯びている。
「……で、あんたはどう思うの? あいつのこと」
問われれば鳴はしばし押し黙った後、
「さぁな」
と答えた。レンリの失踪を知っている時点で、あらためて士羽と接触し、かつ治療を受けたのだろう。外傷は塞がっているものの、痛みは残っているらしく、二の腕の辺りを摩り上げた。
「ただ一つ言えるのは、次に会ったら確実にしばき倒すってことだけだ」
それには歩夢もおおむね同意である。
そういうお前は、と問われることはなかった。一朝一夕で答えや覚悟が決まるような命題ではないことを、鳴の方はよく弁えていた。
それでも、やはり考えてしまう。
もししばき倒してその後は? 世界を破壊したあの男を、今まで通り受け入れ、元の生活に戻ることが出来るのか、と。
唇を薄く噛む歩夢の横顔を、曰くありげに鳴は見つめていたが、ふと正面にその目線はスライドした。
眼前には、長短二つの影。取り合わせとしては少女二人と似たようなものだが、こちらは逆に男。そして身の丈の開きはもっとえぐい。
「もっとも、あいつらの答えの方は決まり切ってるけどな」
自分たちの登校を待ち構えていた少年、ライカの硝子の双眸には、容易には消すことのあたわぬ焔が閃いていた。
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あらためて彼らと話を交わすことになったのは、放課後の図書館でのことだった。
よく密談の場に利用しているらしい。慣れた様子でライカは四人分が不自由なく同居できるだけの、開けたスペースを確保した。
だが、その手際の良さとは裏腹に、彼自身の口は重い。
呼び出すだけ呼び出しつつ、むっつりと黙っている。
「……ほら、ライカさん」
見晴嶺児、という長身の上級生は、本人の口から切り出すように督促する。絵草との戦闘でだいぶダメージを負っていたはずだが、ピンピンとしている。代わり、有事の為予備を仕入れている鳴と異なり、制服は擦り切れたままだったが。
ぐいぐいと容赦なく背を押し出すその様は、男友達というよりかは身長差も相まって親子に見えた。
そのボディタッチを鬱陶しげに拒み、その反発の勢いそのままに、ライカは口を開いた。
「悪かったな」
……と、少女ふたりにしてみれば意外な詫びを。
「オマエらだって、あの鳥に良いように利用されてただけだってのに、いきなり仕掛けて」
「いや、別に利用とか」
そう言いかけた歩夢の口を、鳴は塞ぐ。
何か言いたげに睨み上げる歩夢をさておき、鳴は本題を切り出した。
「悪いが、あのカラスの行先はあたしらにも見当がつかない。なにしろずっと、このちんちくりんに付きっきりだったからな」
「そうか。呼び立ててすまなかった」
先回りした鳴の返答を疑る様子も見せなかった。またさほど期待もしていなかったようだった。
「で、訊くのもバカらしいが……あいつを見つけて、どうする気だ?」
「本当に分かり切った、バカらしい質問だな……ヤツの望みを、叶えてやるのさ」
つまりは、
――自分を殺せば、『上帝剣』を暴く鍵となるかもしれない
という、レンリの提案を実行に移すと言う、彼の意向。
「そいつはまた、穏やかじゃねーな……その意味が解ってんのか?」
掌の内で口をもごつかせる歩夢を解放してやり、鳴は眉を持ち上げた。
「あいつの言うコトをそっくりそのまま受け取るのなら、あいつが『世界破滅病』を再発させるのはまだ可能性でしかない。腹をかっさばいて、その時に何も出なかったら? そもそも誰からあたしらの吹き込まれたか知らねーけど、そいつに体よく利用されてるだけだったら?」
と揶揄を飛ばし、喋られるようになった歩夢もそれを同調した。
「あんたの求めたことは、真実とやらでしょ。いつからそれが、殺しに変わった?」
「先のことなんて知るかッ!」
激したライカが声を張る。その甲高さに周りの学生が驚き、戸惑い、あるいは煩わしげに目を向けたが、やがて無関心に戻った。
「すでに俺の答えは出た! この時点で、あいつは取り返しのつかないことをしている……! 奴を殺す理由は、それだけで十分だ!」
と荒ぶるも、論議の無意味さを悟ってか息を整えてから踵を返した。
「先の戦闘は誤解だった、と思っておく。だけど、オマエらがまだ愚直にアレを信じ守ろうとするのなら……その時こそ、オマエらは明確に俺の敵だ」
そんな捨て台詞を吐き落として足早に去っていく。
呼び止めようか追従しようか、迷う嶺児に鳴は尋ねた。
「なんで、あいつはそこまでレンリを憎む?」
嶺児は少し言いよどんだ様子を見せた。というよりも腕組みし、首をひねりうんうん唸りながら露骨に悩んでみせていたが、
「まぁ、良いか。どうせライカさん、死んでも自分から言わないだろうし。オレとしてもライカさんが誤解されんの、やだし」
少女たちの顔を覗き見ながら、ため息まじりに応じた。
「オレもある人から聞いただけなんだけどさ、ライカさん……コレの時、妹さんと一緒に居合わせたらしいんだよね」
と、嶺児が裏拳で小突いたのは、壁に貼り出されていたポスター。その内容は、『翔夜祭』の再開を嘆願する署名の呼びかけ。
「で、空から剣が降ってきて、例の惨劇が起きた。ライカさんは奇跡的に助かったんだけど、妹さんは帰ってこなかった。それからの二年間、あの人はずっとあの一件について調べ、準備を整えてきたってわけ」
なるほど、と鳴は相槌を打った。聞いてしまえば、実にシンプルな動機だ。
だがシンプルであるからこそ目的も手段も明瞭で、かつ何者にも覆しがたいほどに強固な意志を感じさせる。
だが根底にあるのが復讐心というのなら、なおさらレンリにすべての責任を負わせるのは酷なことではないのか、とも思う。
この世界に何をしたというのでもあるまいし、別に意図して、この学園に『剣』を落としたわけでもないだろうに。
「うわっ、物陰から超睨んでる」
かいつまんで経緯を話し終えた嶺児は、ふと棘のような眼差しを感じ取ったらしく後ろの本棚を顧みた。その裏から半分のぞくライカの顔は、冷たく険しいものだった。
「あぁなるとメンドーなんだよね、あの人。悪いね、じゃそゆことだから」
何が『そゆこと』なのかはさておき、ライカさーん、と情けない声音を室内にあまねく引き伸ばすように響かせて、嶺児は去っていく。
山に吹きすさぶ嵐のようなコンビの気配が消え、静寂と秩序を取り戻した図書館。その一隅で憮然とする歩夢に、鳴は少し躊躇ってから頭に手を置いた。