(5)
「……別に隠していたわけでも、予言者を気取ってたわけでもない」
苦み走った目元を絞り、レンリは言った。
「ただ、言ったところで信じるわけも何かを変えられるわけでもない。お前が言ったとおり、世界違えば勝手もそれぞれに違うんだからな」
いよいよ外は暮色が濃くなってきたようだ。
窓から放たれる夕陽の輝きが失われ、電灯だけでは手元を見るにも多少心もとない。
「平成がまだ続いている。兄妹の順序が逆。性別が逆。死んだはずのやつが生きている。選んだ部活が違う……俺の知っている奴より三割増しで図太くて厚かましくて言動のパターンがかりあげ君みたいな奴。あと『ランボー』が単発映画で終わってたの、地味にダメージでかい」
ここに至るまでに見たもの。己の知るそれとの乖離。それを淡々と、だが奥歯で噛み締めるように紡ぐレンリは、
「……戦争も起こらなかったしな」
と締めくくった。
そこまで極力虚心で耳を傾けていた士羽は、そこで表情を変えた。
それでも顔なじみの鳴でさえ気取れるかどうかの変化だったはずだが、薄闇の向こうでカラスはその真情を読み取り、自嘲げに身を揺すった。
「そうだよ、俺たちの世界では『上帝剣』の利権を求めて学園の、国の内外で本物の戦争が行われた。多治比を通じて外部に流出したストロングホールダーと『ユニット・キー』はお遊びなしの軍事兵器に転用され、純正化せず戦場にバラまかれた因子はそのまま軍人民間人を問わずレギオン化させ、世界は異形が蔓延る地獄と化した」
……夢想するだに、恐ろしい。
権限を奪われて拗ねていた士羽の状況よりも、よほどひどい状況ではないか。自分がその場に居たら……という想像に行き着いた時、士羽は疑問を抱き、率直に口にした。
「維ノ里士羽は……」
「ん?」
「ストロングホールダーが存在する以上、そちらにも維ノ里士羽がいたでしょうに。『彼女』は、それを止めなかったのですか?」
一度、レンリは目を丸くした。
だが程なくその瞳も歪に歪み、撫で肩を揺すり総身の瘧へと転じ、やがて彼はけたたましく嗤う鳴禽と化した。
それこそ鳴き声は、生者を死へといざなう凶鳥のものだ。
時間をかけて嘲笑を己の内へと収めていったレンリは、険のある目付きを士羽へと向けた。
「あぁ、いたよ。もちろんな」
低い声で答える。
「けど、お前と同じさ。最初こそ止めようと動いたが、結局心折れて、奴は自分の生み出したものの恐ろしさに耐えられず、身を隠した。全部投げ出して耳を塞いで目を背けて引きこもりやがった! 世界が終わりを迎えようってその時でさえもな!」
先に自問しかけたことに対しての結末に、士羽は口の中に苦いものを覚えた。
今でさえ、そうなのだ。きっと、こちらの自分も、たとえ知っていたとしても同じ道を歩むのではないかという見立てがつく。
「だからそのことを思い出すたびに、俺は考えるんだよ」
蔑むような、憐れむような表情で直線的に、レンリは士羽を見上げた。
彼のその眼に彼女が映る。彼女のその眼に彼が浮かぶ。
「なぁ士羽……なんでお前が真っ先に死ななかった?」
自身の像を投影する士羽の瞳に、レンリは静かに語りかけた。
「お前が生み出したもののせいで、お前が投げ出したことのせいであぁなったんだ。みんな救いを求めていた。お前が協力していれば助けられたんだ。どうにかできたはずだった。お前が戻ってくると最期まで信じてた。なのにお前は、その伸ばされた手を振り払って、手前勝手な感傷に浸って見捨てたんだ。お前のせいで、みんな、みんな……」
それは、こちらの士羽にしてみれば謂れのない逆恨みだった。
だが、彼の呪詛は胸に重石となってのしかかる。
並行同位体として『彼女』の行動に相通じるところを感じるためか。あるいはレンリの独語の、あまりに鬼気迫る嫌悪感がためか。
「――なるほど」
ようやく絞り出した士羽の第一声が、これだった。
「貴方が私に常に向ける憎悪の理由がよく分かりました。ですが、見当違いもはなはだしいですね。恨みもぶつけるのなら、そちらの士羽の亡霊にでも向けるのが筋でしょうに。もっとも、『彼女』にしても世界を滅ぼした悪魔には言われたくもないことでしょうが」
そう皮肉を返す士羽に、
「……んなことは分かってるんだよ」
レンリは辛そうな声音で返した。
「そうさ、結局は全部、俺が悪いんだ」
それでも、世界を滅ぼしてしまったという大罪を前にしては、誰かを共犯者として肩代わりさせなければやっていられない。
その心境は理解できるし、同情もしないでもない。
「最後にひとつ……『上帝剣』を倒すには、その因子を抽出した『キー』が必要……先ほどの説明からすると、過日私に言ったその解決案は嘘ですか?」
「嘘じゃないさ」
底まで落ちて後戻り切らないトーンのまま、レンリは答えた。
「要は再選定のインターバル中に、未だ権限を持つユーザーとその鍵で『剣』に接触すれば良い。でもその場合、『上帝剣』と距離は至近になるから、当然候補者だったその対象は、鍵ごと取り込まれてそのまま『征服者』化する可能性が格段に高い……俺だったら絶対にしないし、させない」
断定、というか宣誓じみた物言いをした辺りで、レンリの周囲の闇が濃くなった。
意識を離したのは、瞬きにも満たない寸時。だが、闇が薄らいだ時には、レンリの姿はそこにはなかった。
「心配するな……自分の身の処し方ぐらい、考えてあるさ」
その短躯を目で追う士羽と、ようやく起きて寝ぼけ眼を擦る涼の合間に、何処からともなく声が落ちて、やがてその気配は完全にかき消えたのだった。