(3)
剛剣一撃によって溢れ出た力と光の洪水を、切り返した一閃とともに絵草は振り払った。
その眩い帷が裂かれた先にはしかし、すでに一同の姿はない。
あのレンリとやらとか副会長賀来久詠以下、居合わせた全員の影もなかった。
「諸共に消し飛ばしたか? いや、直撃をくれてやったのはあの怪物のみだ」
地上に立つ覇王はそう独りごちつつ、左右を見渡していた。
「とは言え奴にこの場の全員を救出する義理も余力も無かろう。となれば、第三者が間際に介入した、と考えられるが、まぁ良い。私にしてみれば手傷を負わせたカラスを追って駆除すれば良い話だ」
あれほどの異形、あれほどの暴威に曝されてもなお、前進と攻勢を諦めてはいない。内情はどうあれ余裕と強硬を示す。
これこそが、征地絵草。
文字通り、地を征する覇者の姿。
「ん」
だが、そこで絵草の足が止まった。いや、元々縫い止められていた。自分自身の手により、その愛刀で。
「あいたたた、ついテンションがブチ上がってやってしまった。太い血管は避けたはずなんだが」
……こむら返りでも、もう少しはリアクションを見せるだろう、という調子でその柄から鍵を抜くと、刀身が霧散消滅して、傷口から溢れ出た血が靴下やローファーを濡らす。
いそいそとその止血を行いつつ絵草は、
「――それで、貴方は高みの見物か。多治比和矢」
手を止めないままに、屋上に陣する上級生へと言った。
「そもそも我々を個別に招き寄せ居合わせるよう仕向けたのは、先輩でしょうに」
場所を変え潜伏先を転じ、それでもこの場に居残って事の始終を観察していた和矢は、しかし応答は避けた。確実に存在自体には気が付いているだろうが、今いる場所までの特定には至っていないはずだった。こちらに背を向けて屈み、ハンカチで足を縛っているのが何よりの証拠だ。
「あるいは、寸前であのカラスを助けたのは貴方かとも考えましたが、どうやら違うようですね」
それは絵草の推測通りである。そんな死地にみずから赴けるはずもない。あのレンリのために。
せめてもの義理立てとして、久詠はそのどさくさに救出して、今足下に転がせている。
生まれたてのバンビのごとく、四肢をびくびくとさせて横たわった彼女以外は皆、第三者が『輸送兵』の駒を使い転移させたのだろう。
「まぁ良いでしょう。先輩の意図も、あれの正体も、いずれすべて明るみに出る……私が剣を振るえば、真実を隠す障害などすべて破壊されるのだからな」
そううそぶく絵草には何も返さず和矢は、誰にも見せることのない冷厳な面持ちのまま、その場を後にしたのだった。
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ある者は言葉のごとく這う這うの体で。また立つことさえままならない者はそうでない者に引きずられて。
征地絵草という生きた暴風雨から逃れてきた避難者たちが転がり込んだのは、打ちっ放しのコンクリートの壁に囲まれた部屋だった。
生活感、というものが何もなく、ただ生きていくのに最低限必要な物資だけが積み上げられている。
実は核戦争に備えて造られたシェルター、と言われても、なるほどなどと納得するだろう。
「よう、剣ノ杜ナンバーワン令嬢。ご無事で何より」
訝しむ鳴に、先導してきた少年は軽やかに声をかけてきた。
見憶えのある顔、というよりもふてぶてしい表情で、手をひらひらとさせて。
「桂騎……て、なんだそのナンバーワンってのは」
「オレも居るぜ、ミス剣ノ杜」
そう名乗りを挙げて自身の顔を指さしたのは、東棟の運び屋、楼灯一であった。
「……いや、だからなんだよそれ。つか何処だここ?」
気が付けば、全員この空間にいた。おそらくは転移させたのはこの二人だろうが、それにしても全員まとめてとは……『キー』とホールダー、桂騎か灯一か。いずれが優秀だったのか。
一番絵草と競り合っていたがために、まだ意識の戻らない涼の長躯を相方とともに引きずってベッドに寝かせながら、桂騎は答えた。
「維ノ里士羽のねぐらの一つ。一度旧校舎のポータルを介してからじゃないと通過できないようになってる学外の地下倉庫さ。これはマサ……会長殿でも知らん」
その言葉を証明するかのように、慣れた手つきで電灯のスイッチをオンにした士羽はしかし、その白熱灯の下で怪訝な表情を隠さなかった。
「何故、その会長の知らないここを貴方が知ってるのです?」
「さぁてな。もしもの時は使って良いって、カラスのダンナが」
手の塞がった桂騎が顎でしゃくった先、いつもの球体のフォルムに戻ったレンリがいる。
壁と向かい合いながら寝かせられた彼は、内部には相当なダメージを負っているらしい。その矮躯が呼吸のたびに弾むがごとく大きく揺れる。
「お前ら、どういう関係だ?」
「ついこないだから、色々事情があって雇われてるんだよ」
「楼、お前もか?」
鳴の視線が別の少年に向けられるが、桂騎とはまた別種のふてぶてしさで灯一は、涼を寝かせたその両腕を掲げてみせた。
「オレは面白い仕事があるってんで、『運び屋』としてかっちゃんに誘われただけだ……そしたら怪物と会長が戦ってるわ、全員ズタボロだわ……見たこともねぇ連中はいるわで」
灯一は鳴に視線を投げ返さず、代わり一同から距離を置いて固まっている二人に目を向けた。
ライカと、そして見晴嶺児なる少年がへたり込んで、鳴たちを睨み返していた。
「聞いてないんだけど、色々と」
「そいつは悪かった……何しろ、こっちもこっちで今日だけで聞いたこともないようなハナシが目白押しでな」
鳴はあえて大きく靴音を叩き鳴らしながら、レンリの前に立った。
「お前のことだよ、レンリ。意識あんだろ、鳥のクセに狸寝入りしてんじゃねぇよ」
ストレートにそう踏み込んで問えば、レンリは気の抜けたような調子で寝返りを打った。
「だったら、今はこのままそっとしといてくれ。俺がこれ以上何か言えば、いよいよ頭パンクしちゃうだろ?」
なお遁辞をかまして誤魔化そうとするその態度に、ついに鳴は切れた。
胸倉に当たる部位を掴み上げて、吊し上げ、互いに引き吊った顔を寄せる。
「お前がそうやって秘密を抱え込むからこんなふざけた事態になったんだろうが。あたしらはともかくとしても、せめて歩夢には何か打ち明ける責任と義務が、お前にはあったんじゃねぇのか……あ?」
「――やめてよ」
そこで歩夢が重く口を開いた。カラスや鳴から距離を置き、膝を抱えたまま蹲る少女の身体は、いつもよりも一層こぢんまりとしたものに感じられた。
「下手な同情で、分かったような調子で代弁しないで」
「お前もお前で、いつまで自分の気持ちから逃げてるつもりだよ?」
歩夢への不満は、そのままレンリを締め上げる腕力へと転じられる。
「知りたくない訳ねーだろ……自分が足の上に載せている相手が、どんな存在なのか」
そう吐き捨てた鳴は、灰色の壁にレンリを叩きつけた。
いつものじゃれ合いとはわけが違う。本気で負傷者相手に痛めつけ、尋問するための暴力。
彼女がやらずとも、片隅で腰を浮かせて臨戦態勢に入っている転校生がそうしただろう。
だから、彼女がやった。聞きたくないことを、今までずっと踏み入ることを躊躇ってきたことを、せめて関わってきても逃げ続けてもいた側の人間の責任として。
力なく地に伏して咽こみ、そしてゆっくりと物憂げな顔を持ち上げた。
「――そうだな」
とレンリは自嘲気味に呟いた。士羽や歩夢を見て、碧眼を歪ませた。
「あの頃から俺は、何も変わっちゃいない。クソどうしようもないほどにな」
彼のみが解しうる納得ともに短い両脚を投げ出し、壁にもたれかかりつつカラスは、静かに息を整えていく。
やがて瞳の動揺が収まって荒い呼気も止んだ後、レンリは正面を見据えてそのクチバシを開いた。
「お察しの通りだよ。俺は、自分の世界を破壊し、そこに住まう人類を全滅させて此処へと流れ着いた……『征服者』だ」