(19)
士羽が杖を大きく横に振るえば、再生した学舎の壁から、あるいは散らした残骸や地面から、円柱状のものが迫り上がる。
それはまるで聖堂を飾り支える宝塔であり、要塞に敷設された砲塔である。
その側面が回転を始める。と同時に内より浮かび上がった光の散弾が、絵草へと向けて放出される。
一度はそれを首の動きのみで避けた絵草ではあったが、避けたその弾が不自然なカーブを描いて彼女の背に狙いを定めると、さすがにその身を動かさざるを得なかったようだ。
地を蹴って駆け出した彼女を、左右後背より弾が並走、追走する。その裏手で鳴の身柄を引き取り安全な場所まで下がろうとする歩夢たちを、斜線から器用に外す。
顧みざまに剣光が閃いた。それが絵草が代用する駒の特性なのだろう。錯覚ではなく、明らかにその太刀筋は伸び上がっていた。
弾幕の内、自分に着弾するであろう幾つかを斬り落とし、絵草はさらに加速して士羽へと肉薄せんとした。
が、踊るが如く白衣の少女が杖を振るえば、その左右に砲塔が整列する。
次の瞬間、弾と砂塵の嵐の中に、絵草の姿は掻き消えた。
しかし内より膨れ上がった風の圧が、その暴風を突き破った。
肩を突き出すように迎撃網を噛み破ってきた絵草の切っ先は、すでに射程内。掬い上げるような円弧を描く。
自らの顎を撫で上げるような太刀筋に、士羽がやや大げさなほどに半身を仰け反らしてみせた。
直後、彼女の痩躯は消えた。否、背後に現れた光壁――虚空を切り取る窓口へと飛び込んだのだった。
確実に捕捉すると思われていた絵草の太刀筋は旧友が居たはずの空を切った。
当ての外れた衝撃波が、彼方の枯れ枝を断ったのみであった。
完全に、火力物量ごとに、形勢は逆転していた。
「ようやく、本気を出した、ってわけか……さすがの会長サマも開発者相手には形無しらしいな」
歩夢の腕の中で、ようやく意識を取り戻したらしい鳴が、やや毒のある苦笑を浮かべている。
だが、対してその傍らのレンリは、
「――いや」
と言葉を濁した。
「なるほど」
絵草は目線を持ち上げた。
「グレード3に到達した時点で、『ユニット・キー』は空間や自然現象に影響を出すだけのポテンシャルを得る。そしてグレード5に至れば、ある程度はこの『旧校舎』へ干渉も可能というわけだが」
中空に留めた眼差しの先に、維ノ里士羽は座している。
絵草らの頭上に展開させた城塔。氷の美少女はその天辺で冷ややかに旧友を見下している。
「その『クレリック』はそれに特化した鍵。まさに引きこもりのお前には似合いの能力だな」
「その引きこもりの能力を、天敵と号しながら何もできていないではありませんか。貴女の方こそ、『クルセイダー』が使えなければ棒振りしか能がないでしょう」
表情こそ変化はないものの、その言葉はあまりに挑発的なものであった。
だが、絵草の顔には怒りはない。それどころか敵意でも喪失したか、刃先を地に向けて傾けた。
「様子見をしていた」
と、視線は士羽を捉えたままにぞんざいに言い放った。
「が、正直のところ……失望したぞ、士羽」
嘲った士羽の側が、絵草の所感を聞いてむしろ柳眉を怪訝に歪めた。
「攻撃パターン、戦術、ホールダーの基本スペック……それらことごとく、訣別した時とまったく変わっていないじゃないか」
そう嘆いてから一瞬後、破裂音が周囲を震わせた。
気がつけば、絵草の影も形もなくなっていた。一時たりとも目を離していなかったはずの士羽も歩夢も、その姿を見失っていた。
次に彼女が現れたのは、士羽の真正面。大上段に振り上げた刀が、士羽の肩口に吸い込まれていく。
「くっ……っ!?」
咄嗟に得物でそれをいなした彼女ではあったが、『天上の玉座』からは退かざるをえなかった。
最寄りの屋上に飛び移った士羽は、すぐさま己の四方に砲台を敷き、絵草へ向けて斉射を仕掛けた。そして自身はすぐにでも転移できるよう、背後に窓を出現させる。
「しゃらくさい!!」
当たり前のように空中で加速し、絵草は再上昇して追撃を仕掛けた。凡その女子高生が口端に乗せることはまずないであろう一喝。一閃。
鞭のように、あるいは転ばすがごとく、縦横を駆け巡る銀の剣光が弾丸のことごとくを撃ち落とし、かつ背後のポータブルを両断する。
「莫迦な……っ、『剣豪』はグレード4相当のはず……!」
動揺を知れず口にする士羽は、崩されに崩され、押されに押され、体勢を立て直し切れずにふたたびの接近を許した。
「笑止! 最高位に至ればそこで力は打ち止めと信じて疑わぬことにこそ、お前の限界がある! 研鑽を積み、工夫を凝らし、功夫を練り、発勁を効かせれば、低グレードの駒でも十分にグレード5の『キー』への対抗が可能となる! 我々の置かれた状況は刻一刻と変化している、にも関わらず、その高みに胡坐をかいて己のみ安穏を求め、保留と維持にのみ終始しているのが……お前だ!」
絵草の大音声と凶猛な笑み、そして一呼吸も許さない猛攻は、自身の力や優勢を誇るというよりもむしろ、かつての同志の不甲斐なさを詰るような烈しさが滲む。
レンリは痛ましげに目を背けたが、歩夢は完全にその応酬を追えずとも、絶えず見守り続ける。
さっきから何かが、デジャヴめいたものが、頭の片隅をちらついている。この有様を、どこかで、見た気がする。それが何なのか、ロケーション的なものなのかシチュエーション的なものなのか、あるいは人物の構図なのか。確かめるために。
一度肉薄した相手を今度はみずから大きく弾き飛ばし、間合いを取るや、刀を鞘へと納めた。
〈ソードマスター・制圧斬撃〉
柄頭の鍵の回せば、終焉を告げる死神の音声。
足場にしている校舎そのものを踏み砕かんばかりに駆け出した絵草の、通り過ぎる軌道は、轍のごとくに地が割れる。
「キエェェェェ!!」
さながら、猿が叫ぶがごとく。
けたたましい気炎とともに、絵草が士羽と交錯する。通りすがりざま抜き放つ一太刀は、まるで重石でもくくりつけられたかのような重量と重圧を伴っていた。
解放されたのは、横薙ぎの一閃。
しかし士羽の身を襲ったのは、四筋の、明確な質量を持つ斬撃であった。
声もなく、音も立てずに崩れる士羽。その意思の剥奪により、凍結されていた『クルセイダー』が再起動を始めた。
飛び降りた絵草の意気に呼応したその鍵が、再びクレイモアへと形を変え、主人の左手に吸い付く空中に展開された十字架の編隊を率い、和洋の双刃を構え、学園の剣を自称する少女は歩夢たちの退路にあらためて立つ。
そしてこの時こそが、歩夢の脳裏のインスピレーションと、目の前の光景とが重なり合った瞬間だった。