(17)
「それって……」
「グレード5だ」
「うわっ、すげぇ。初めて見ましたよ、オレ」
まじまじと黒い鍵を注視する鳴と嶺児に、生真面目に答えた。
「どっからくすねて来たんすか」
「そう容易に盗難できるものでもないだろう」
と、鳴の悪態に対しても、天然かついたって真摯である。
「手から、生み出された」
「毎度のことながら、もっとマシなギャグかましてくださいよ」
「厳密に言えば、握りしめた『龍騎兵』の駒から生成された」
「あぁ、はいはい」
それならば、分かる。
あくまで士羽からの又聞きだが、『ユニット・キー』は思考する。ユーザーの思考や行動のパターン、あるいは体質にに合わせて変容し、成長する。
苛烈な戦闘経験と過酷なサバイバル環境が情報として『キー』に入力され、その結果としてグレード5の駒が出力されるのは不思議ではなかった。
何も持たざる手に、本来の自分のそれとはまったく別系統の『ユニット・キー』が派生することなど、まずありえるはずもないのだから。
「……というわけで、単純な出力であれば、同グレードである『クルセイダー』への拮抗は可能だろう」
と、涼は言った。
「ただ、それにはまずあの弾幕をどうにかしなければならない。射程にあの女を収めるまで肉薄する必要がある」
今更に言うまでもないことではあるが、涼の言葉はそれほどに多くはない。表情にも乏しい。だからその眼光に言外の意図を乗せる。
この場合、誰に何を求めているかは、鳴にも分かった。
彼の視線に先にいる長身に、彼女もまた目を向けた。
「……オレに、盾になれと」
「頼めるか」
「良いっすよ」
二つ返事で、嶺児は笑って答えた。
「最初っからあんたらのことは嫌いじゃないし、ライカさんもそろそろ無茶やらかしそーだし、この場はさっさと状況を打開しないと」
「良いんすか?」
と、今度は鳴が問いただす番だった。
「そいつをぶっ放せば、完全に先輩はあの女を、学園中央を敵にすることになる。南部がまたキレ出しますよ」
そう言われて、少し困ったように涼は眉尻を下げた。
(……まさか、そこまで考えてなかったわけじゃないよな?)
と軽く疑ったのも束の間のこと。
「認めて欲しければ自分に力を示せ、とは奴自身が言ったことだ。それを反故にする卑劣さを、彼女が持っているとも思えない……賀来を野放しにしておいてこう言う時にばかり暴力を行使する今の姿勢が、正しいとも思えない」
やはり、無感情のようでいて、『旧北棟』の今の処遇については虚心でいられない部分も多いのだろう。
(まぁ、本人が納得と覚悟の上で決めたことなら)
と思い直した鳴は、その背でぼんやりと光熱が膨れ上がるのを感じ取って振り返った。
〜〜〜
このデタラメな状況のせいで、どこかに『ユニオン・ユニット』がパージされていた。
それでも拾い直したホールダーを握る腕を引き摺りながら息をひそめ、ライカ・ステイレットは状況を静観している。
彼がいるのは、未だ中庭。早々に離脱したと見せかけて、巧みに爆撃をやり過ごしつつ喪神している久詠を回収して手近な窓へと落とし込む。
そして自身は壁に影に移り、あるいは留まり、機を窺っていた。
(あいつをどうにかしないことには、あのレギオンどころじゃない……俺はまだ、諦めてはいない)
見たところ、あの生徒会長の直接的な武器は、剣の一振りのみ。そして加えて言うならば、あれこそがあの無数の爆撃機を統率する本体なのだろう。
つまり『電撃戦』の駒をもって奇襲を仕掛ければ、いかに最高位グレード言えども勝機はある。
余裕か熟慮のためか、征地絵草は中央に陣したまま。
剣を提げて直立する姿は、女神像のごとく見える。
距離にして八十メートル足らず。彼の能力をもってすれば踏み込めば勝てるが、迂闊に仕掛ければあの南洋の乱入者と同じ憂き目に遭わせられる。
狙うのは動き始めた時。自分に楯突き、かつ建物の中に逃げ込んだ誰ぞのいずれかを、狙って追いかけ出してこちらに背を晒した、そのタイミングだ。
「まったく、ぴいちくぱあちくと、不満要望を好き好きに口にする割には、仕掛けてくる気骨もないと見える。まぁ民草とは所詮そういったものか」
挑発か、聞こえよがしにそう嘯く少女はしかし、ライカの予想に反し、その場を動こうとしない。
代わりに、その手のクレイモアの切っ先をつい、と中空へ浮かばせた。
外部に展開していた十字たちが、大きく二方向に分かれて整列する。一陣は彼女と東棟の間に。もう二陣は、その棟の上空に砲口を向けて。
さながら魚を掛けた竿のように、あるいは大楽章を始める間際の指揮棒のように。
少女の剣はふたたび軽く上下した。
転瞬、砲火が棟へと集中的に叩きつけられた。
爆火爆風が校舎が見えなくなるほどに覆う。離れていても鼓膜が破られんばかりの轟音が包む。
唖然とするライカの前で、天地よりの十字砲火が、それに呼応した内側の誘爆が、少年少女と、おそらく彼らの中で交わされていたであろう回天の密儀もろともに学舎を打ち壊していく。コンクリートの壁も、それを支えていた鉄骨も、粉砕されてみるみるうちに崩落していった。
後に残ったのは、瓦礫の山である。
――否、濛々と立ち込める土煙の奥に、見慣れた長細いシルエットが伸びあがる。
依然、彼の手には長柄物が握りしめられている。
だが、光弾と砂塵の幕が薄れていくに従い、その惨状が露わとなる。
雲はその許容を超越する猛攻を浴びせられて千々に乱れ、本来であればその内に在って防壁を形成する蜘蛛型のレギオンは散々に破壊されて転がっている。
かろうじて守り切ったであろう的場鳴なる少女はその近くで力なく倒れ伏し、瓦礫の下敷きとなっている。
唯一屹立している少年、見晴嶺児もまた、武器こそ手にしているが信じられないという茫洋とした目つきで絵草を見返したまま、血を口端より吹き零して、どうと音と立てて斃れ伏した。
「…………レイジィィィィッ!」
その一連の流れを目撃したライカは、潜伏も方策もかなぐり捨てて、電光石火の速攻で絵草の背に向けて飛び出した。
「気づいていない、とでも思ったのか?」
しかしその攻撃の瞬間、嶺児たちを見据えていた絵草の横顔は、ライカへと向きを転じた。
伸びる少女の手が撃ち出さんとしていたホールダーの持ち手を握りしめ、
「そのまま何も仕掛けて来なければ、見逃してやったものを、な!」
少年の身柄を背負い投げた。その落下の間際、きっちりと膝蹴りを鳩尾に叩き込んで。
取り繕うこともできないか細く情けない悲鳴とともに、ライカは吹き飛ばされて嶺児に折り重なるかたちとなった。
その後の追い討ちはなかった。それは温情からではなく青黒い火焔が、彼女の脇で立ち上がったからだった。
「――ほう?」
傲慢さがはじめて絵草の表情から薄れた。火焔を孕むは鋼龍の口。それを肩と上腕にかけて一体化させた男を、ライカは資料で知っている。
白景涼。かつての北棟からこの異界に取り残された生存者グループのリーダーだ。
おそらくは乱入者として足利歩夢たちの援助していた彼をも、全力で嶺児は庇い切ったのだろう。大小の負傷は見受けられるが、表情も足取りも、しっかりとしている。
「素晴らしい。先輩もようやくにしてグレード5に達しましたか」
「あぁ、そして彼らのおかげで、こうして君の間合いに入ることができた」
年長者に一定の敬意を払った物言いをするも、絵草の調子はやはり相手を下に見ていた。
涼はそれに対し不快感を見せることなく、ライカの拙劣な攻めも勘定に入れたうえで、素朴だが淡麗な声調と眼差しで少年たちに謝意を示した。
「ただ惜しむらくは、先輩はその力を、全身全霊の不意打ちに行使すべきでした。そうすればその事実を知らない私を、打倒することも可能でしたでしょうに」
薄笑いをしつつ客観的な見解を述べる絵草に、涼の返答はなかった。
「もしやフェアではない、と甘いお考えをお持ちでしたか?」
「そしてお互いに無事では済まなくなる」
「それは今とて同じことだ」
「だから手を引け。もう充分だろう」
「それは私が決めることだ。従わせたくば、私に勝ってからにしていただきたい」
不毛な問答が続いた。
その後に、荒涼とした無言の時間が過ぎ去った。
だがその間に、両者はもはや回避あたわぬ衝突に備え、着々と準備を推し進めていく。
〈クルセイダー・制圧爆撃〉
剣の基となる鍵が絵草の指さきによって回されるや、空中の十字が光の帯となって解けていく。水平に向けられた刃身に吸い寄せられて燦然たる輝きを放ち、肥大化させていく。
〈ドラゴンライダー・ヘルファイア〉
涼はそれとなく自分たちを守るポジションを確保しながら、その飛竜の首元に手を遣った。
龍の劫火はより一層の昏く、深く、そして矛盾しているようだが冷ややかな色味とともに膨張する。
仕掛けたのは、絵草が先だった。涼はそれに対応する形式となった。
絵草の黄金の一閃と、涼の劫火の放射は、今までに見たこともないような規模の力の激突を引き起こした。
温度差で蜃気楼が生じた、などという生半な余波ではなかった。実際に、その衝突点では磁場が歪んでいた。空間が引き裂かれ、聴いたこともないような宇宙言語のごとき異音を発していた。
初めて絵草の顔から余裕が消えた。涼はそこで歯を食いしばって眉間に皺を刻み、ここまでの誰もが見たこともないであろう表情を浮かべていた。
傍から見れば、その様相は暴虐の邪龍を撃ち破らんとする女聖騎士の健闘にも見えただろう。だが実像はまるで逆だ。正道は龍の側にあり、そしてむしろ圧されているのは彼の方だ。
あるいは、全力を出し切れていれば拮抗し切れていたのかもしれない。
だが、これ以上『ドラゴンライダー』とやらの出力を上げれば、その反動は計り知れないものとなる……足下にいる、ライカたちを焦がしかねないほどに。
よって彼はセーブする必要に駆られ、かつその目的は征地絵草の打破ではなく、彼女の断撃をいかにしていなすかということに主眼が置かれていた。
対して絵草はまるで容赦というものをしない。彼もライカたちももろともに、殺す気で攻撃を仕掛けてきている。
それでも涼は、渾身の膂力と火力を用いて、自分たちに押し迫る一斬を、弾き返した。
「チェストォォォォア!!」
――だが、それは刹那の時を稼いだに過ぎなかった。一瞬の無意味な安堵でしかなかった。
奇声とともに絵草は再び光の剛剣を袈裟懸けに振り下ろした。
校舎の残骸を溶断する。炎を引き裂き、その奥にいた涼はその余波を避け損ねてかすめた。
余波を、かすめた、だけ。
にも関わらず涼の身体は吹き飛び瓦礫の海まで吹き飛ばされ、沈んだ。
「最後まで彼らを庇い切る、その心意気や見事。だが如何せん清くこそあれ、スケールが卑小だ。いかに力を得ようとも、その力に信念が見合わなければ半端に終わる。それでは私は倒せない」
そう説教じみた絵草は額の汗を制服の袖口で拭い、そして苦笑とともにおもむろに視線を持ち上げた。
「しかし、最高グレード同士の衝撃であればあるいは……とも思ったのだがな」
その苦々しい眼差しの先には、あれほどのエネルギーの放出を浴びてもなお、焦土に無傷で突き立つ『上帝剣』があった。
「この旧校舎にしても、な」
と独白するに合わせてか、破壊された校舎の破片が浮かび上がる。まるで映像の巻き戻し、あるいはSFXのごとく、基礎から積み上がって、修復されていく。
――もっとも、修復といっても元の建造物としてではない。破損箇所も、焦げた草木も、あの惨劇の夜の直後と同じ。そこで時が留められたかのように。
浮上する破片を避けつつ、絵草はライカたちに歩み寄った。
「まぁ、お前の攻撃それ自体はまったく無意味で無価値で浅はかだったが、良いヒントにはなったよ。ライカ・ステイレット」
一瞥もくれずにそう声を落としつつ、トドメを完全に刺すべくでもなく素通り。
「私とて、いくら再生するといっても愛する学び舎を無暗やたらに破壊することは本意ではないし、生徒に無用の負傷者を出すことも望まない。叶うならば最短の手順で事を収めたいのだよ」
代わりに、その先にいた少女……的場鳴の前で屈みそのブレザーの襟を掴み上げ、引きずり出した。
「まだ離脱していないのだろう? 足利歩夢」
と、校舎の内外に声を朗々と響き渡らせ、そして爪先で剥き出しになった鳴の股を小突いた。
「出てきてそのカラスを引き渡せ。さもなくば」
しばしその美しい脚線に這わせていた絵草の靴先が、にわかに力を込めて足首を圧迫しながら言った。
「的場鳴の脚を、叩き折る」