(8)
その日の放課後、歩夢と鳴と、そしてレンリは正規の手順を踏んで、旧校舎へと足を踏み入れていた。
どこかひりつく空気が、どこか郷愁じみた懐かしささえ感じさせる。
「……こちら鳴。なんか、ここにちゃんと来るのずいぶん久しぶりな気がするな。メイド喫茶帰りに雪国に放り出されたり、南洋のゴタゴタに巻き込まれたり、ロクに行けてなかったから」
校舎屋上にて鳴がそう語る相手は、歩夢たちではない。
相も変わらず椅子の人気取りの不動の令嬢、維ノ里士羽に、『偵察兵』越しにぼやいている。
「けど、一通りぐるっと見回ったけど、人っ気もレギオンの影もねーよ? ホントのネタなんだろーな? 新北棟の留学生がここに紛れ込んだって」
〈たしかに一人踏み入ったところまでは確認できていますし、捜索依頼自体も生徒会自体から出ています……が、何故それを自身で実行せず、こちらにわざわざ話を寄越すのか〉
士羽はそう訊いてきたが、鳴へ意見を求めたわけではなく、自問の独語に近い。
「まーたナワバリ争いのゴタゴタじゃねーの?」
しかし聞いた以上は返さざるを得ない、という律儀さのもとに、鳴は私見を述べた。が、無言である。
聞いてはいるだろうが、彼女の凡庸な答えはわざわざ取り上げるほどの価値はなかった、もしくはとうに思いつく程度のものだったのだろう。
誰に見せるでもない苦笑を称える鳴に、士羽はさらに問うた。
〈で、そちらに動きは?〉
「だから無いって」
〈留学生の件じゃありません。あの鳥のことですよ。歩夢にも言いましたが、ここのところ行動に不審な点が多い。今に始まったことではないにせよ、警戒は解かないように〉
「……そんなに気になるなら、自分から寄って、聞いて、確かめれば良いだろうが。『事態の現状を知るには、現地調査が一番』なんだろ?」
軽い沈黙の時間のあと、トーンの低い、士羽の確認が飛んできた。
〈……その言葉、どこで?〉
「ん、言ったのお前じゃなかったっけか? 悪い、つい最近どっかで聞いた気がしてな。でも、それがどうかしたか?」
〈別に。とにかく内外への警戒を怠らないでください〉
そう口早に念押しされて後、通信は絶えた。
「……他人の詮索には熱心なくせに、自分のことは言わねーのな」
口に中で酸く苦く呟いたが、言われた通りに歩夢らの方へと何となしに視線を注ぐ。
「どーしたもんかね」
鳴の眼下の一区画。
校舎の中心地、『黒き園』。
そこに士羽がご執心のペアが歩哨に立っている。
〜〜〜
その巨剣は、久々に見ても衰えることのない力を奔流を発揮していた。
全容が見えないからこそ、至近で見ればこそ、大地に食い込む強さと深さが解ってしまう。
その妖光は、寄れば肌が炙られるような熱さではなく、内の芯より焼かれる類のものだ。
一個人との圧倒的なエネルギーの出力差、否物体としての格差に打ちのめされる。
だが、この力だ。
この光輝が、この熱が、今の自分には必要なのだ。
「――危ないっ!!」
『上帝剣』へと差し伸ばされた歩夢の腕に、レンリが飛びついた。必死に引き戻そうとするその力は尋常ならざるもので、バランスを軽く崩すかたちで、少女は魔巨剣と距離を取った。その拍子に、カラスもまた地面に尻もちをついた。
「だから、それに触れるなって言ってるだろ! 本当は、接近することさえも危険なんだ! いくら……っ」
そう言いさしたレンリは、緩慢に自身を振り返った歩夢の手に握られた棒を認め、ハッと息を呑んだ。碧眼を瞠った。
「お……お前!」
否……棒と言うよりかは、そこらで拾ったと思しき、小枝であった。
その先端で刺し貫いたのは、紫色の外皮に包まれた、小ぶりながら長細い物体。サツマイモであった。
「……『上帝剣』で焼き芋するんじゃありません!!」
レンリはそう叱りつけた。
「いや、なんかお腹空いちゃったしイケるかなって、秋だし」
「季節関係あるかァ! というか学校に芋持ち込みってどういうシチュエーション想定しての備えなんだよ!?」
歩夢に鋭くツッコミを入れて後、カラスはゼーハーと息を整える。それでもなお言い足りないらしく、
「だいたい、そんなんで焼けるわけないだろ。よしんば焚き火でも直火で熱が通るかよ」
と、掠れた声で付け足した。
「でも、色変わったよ」
「え?」
枝から引き抜いた芋を、歩夢は披露した。
「虹色に」
「Gaming sweet potato!?」
歩夢の誇張ない表現通り、燦然と色彩豊かに煌めく芋を前に、レンリは愕然として声を張った。
やたらねっとりしたイントネーションで。
「ウッソだろ……こんなことがあっていいのか……」
「焼け頃なのかな」
「口にするなよ、絶対!」
釘を刺される歩夢は、
「で?」
と、レインボーポテトを片手に尋ねた。
「触れたら、やっぱなんかあるの? アレ」
「……なんでって、見るからに触れちゃいけないもんだろ、あれ」
レンリは返した。だが、答えも視線も、どこかはぐらかされている感触がある。
そのことを多分に自覚しているのか、気まずそうにクチバシの先をかち鳴らし、ややあってから声を低めて言った。
「お前から見ても、俺のことをウソつきだと思うか? その正体が気になるのか?」
「……正直」
歩夢はそれこそ焚火を前にするかのように、膝を抱えて放置していた学生カバンを手繰り寄せた。
「あんたの正体について考えたことは、一度や二度ならず、あるよ。私なりに」
そう言って、おもむろにカバンの中から授業に用いるリーフレットを取り出した。
【レンリ、実はペンギン説濃厚! ~北棟や冷蔵庫に入れても平気な理由~】
【レンリ、亡霊説 ~アピールしてください~】
【レンリ、Vtuberで決定! ~同情するならスパチャくれ!~】
【レンリ、手塚作品の倒錯したファンだった! ~奇子で抜いた~】
【レンリ、自動追跡型スタンドだった!? ~スタンド名はビッグティトチェイサー~】
【レンリ、上弦の零で確定か ~劇場版で待ってるぜ!~】
【レンリ、ほら、あのマイクラの……なんか緑の、爆発するヤツ】
【レンリ、そもそも存在しない! ~それは貴方の勘違いじゃないでしょうか~】
「とか」
「すごい数の俺のクソコラが量産されている!」
ページごとに張り出された種子様々なコラージュ。それらを閉じて再びしまい直しながら、歩夢は息を溜めて吐いた。
「一生懸命、思いつく限りは考察した。けど、納得いく答えは出なかった」
「いや、割と最初から飽きてたよな!? というか、確定翻り過ぎだし、そもそもその案の時点でアヤフヤなのあるしっ!?」
「だから別に良いよ、言いたくないなら。聞いたって、教えてくれないだろうし」
「……っ、そんなことは」
じゃれあいのようなおふざけムードからシームレスに一転。言いさして、レンリは再びクチバシをつぐむ。目線を歩夢から外す。それを打ち明けることは、彼にとってよほどの蛮行なのだろう。ともすれば互いに傷つき、この関わりが破綻するほどの。
どこぞの引きこもりのように、それを無神経に暴くことは、さすがの歩夢にもためらわれた。
(そもそも、知りたい訳ない)
知りたい訳ではない。しかし、己の内に問いかける。
士羽が勘繰ったように、本当は知っているんじゃないか? 知ってたんじゃないのか?
我ながら的外れでしかないような考察ばかり思いつくのは、己の内にすでにある答えに、無意識下にセーフティをかけているためではないか……と。
「いつか」
顔を上げて
「ちゃんとそういう時が来たら、ハナシをするから」
あぁ、これは知ってる。
その『いつか』というのは、自発的には決してやって来ない。
父親……を演じていた男もそうだった。母が『いつか』誤解が歩夢を迎えに来ると言い含めておいて、自分自身がついには逃げ出した。
そういう老獪な、『いつか』だ。
「――いや、今聞いておきたいんだがな」
声がした。
歩夢自身の心の声が漏れてきたわけではない。
少女とも少年とも取れる麗しい侵入者が、地面の木の葉を踏み鳴らして寄ってくる。
白銀の髪を沈み切らない陽光に照らし、颯爽と新風を孕ませ、靡かせて。
華奢な体躯が足早に進む姿は、ケーキか何かにナイフを切り込ませるのに似ている。
「どうせ、お前らにその『いつか』は訪れないんだからな」
その異邦人は、レンリに指を突きつけて冷ややかに宣告した。