(4)
絵草は、ことのほか上機嫌である。
というか、浮かれてさえいる。
制服は未だ夏の装い。その上にカーディガン、というか浅葱のだんだら模様の羽織を纏っている。
「いやぁ、夏休み中に修学旅行の下見に行ってね。ついその気分を持ち越してしまった」
と、土産物らしきその上衣の裾をくるり回って翻して見せる。
苦笑を引き攣らせる久詠に対しては、
「プライベートの時だけだ。許せ、時として私も年相応にはしゃいで見たくなる。第一お前だって、あの『園』では和の小物を好んで用いているじゃないか」
などと言ってのけるが、それこそ女子生徒のセリフではあるまい。
はぁ、と生返事を吐く補佐役に、表情を締め直して絵草は尋ねた。
「時に、私の留守中に何か変事はあったかな」
久詠の顔に、緊張が奔る。だが、予想された質問ではあるので、一瞬で体面を繕った彼女は、すらりと情感を交えて答えた。
「南洋の巌ノ王京分校長の騒ぎ以降は大人しいわね、平穏無事」
「あぁ、御仁にも困ったものだ」
絵草は苦笑とともに相槌を打った。
「その分校長殿だが、晴れて来週には復職されるそうだ」
無造作にもたらされた情報に、「は?」と久詠は思わず問い返した。
「征地の方で手を回しておいた。問題の多い男ではあるが、喧騒はより大きな喧騒により、怒りはより荒ぶる怒りによってこそ鎮まる。南洋の躁病はあの人でなければ治まらん」
「だけども……ッ」
「復帰して、何か気にかかることでもあるのか?」
絞られた絵草の目元が久詠へと向けられ、彼女はぐっと言葉を詰まらせた。
絵草の言葉には遵法精神や倫理観はともかくとして、一応の道理はある。事実、猛のいなくなった南洋では灘の件も含めて騒動が多発した。
それでも久詠が難色を示したのは、あくまで個人的な事情……彼女が会長を飛び越して自分の目的によって分校長に接触していたからに他ならない。
「……ただ、少し心外だわ。あんな男なんて頼みにしなくとも、私でも征地さんの役に立てると思ってるから」
ややあって彼女は情に訴えて話をはぐらかす方針に切り替えたようだった。
(よくもまぁ、寄せてもいない親愛を情感たっぷりに演出してみせるものだ)
大悟は呆れながらも、空気となって成り行きを見守っていた。
まぁ職業柄というものだろうが。
絵草はまんざらでもなさそうにフッと唇を綻ばせた。そして浅葱の羽織を脱ぎ、久詠に打ち掛けた。
「その気持ちはありがたい。だが、自身の分限をきちんと把握することだ。私と違い、お前たちに出来ることはそう多くはないのだから」
……大悟は、思わず失笑しかけた。そう言い放たれた久詠の真情、如何ばかりか。
だが、それを笑い飛ばすことは出来なかった。
嫌味でも奢りでもなく、自然とそう言わせるだけの力量の開きが、年齢や人生経験を超えてこの一女子高生と自分たちの間にはあるのだから。
「では、久々に生徒会の務めを果たすか。報告書は後で持ってきてくれ」
そう言って絵草が出て行くのを、二人はややぎこちなく見送った。
「……修学旅行先って、沖縄だったよな。なんで新撰組?」
などと久詠に譲られた土産物を見つつぼやいているうちに、その足音と気配は室外から完全に絶えた。
「……図に乗るんじゃないわよ『裸の王様』がァ!」
その瞬間、久詠は羽織を地面に叩きつけた。
(その『裸の女王様』を図に乗らせたのは、お前らだけどな)
士羽を引きずり下ろさず適当に宥めて手元に置いて絵草の対抗馬として擁していれば、彼女の一強化は防げただろうに。
冷ややかに彼女を見つめながら、
「だいたい言いたいことがあるなら、背後に戻ってきた会長殿に言えよ」
と、言い添える。
「ぅえっ!? い、今のはですね征地さん! つい思わず衝いて出たデタラメというかそういうアレでしてねッ!?」
などと狼狽えながら慌てて向き直る久詠。だが翻した視線の先にあるのは、彼女の去ったきりの扉だった。
「嘘だよ」
あまりにも知れ切ったベタな反応に、仕掛けた大悟も呆れ半分である。
「…………死ねっ!」
怒りと羞恥で真っ赤になりながら久詠はその背を蹴りつけた。
「ふわーぁ」
……直後、間延びした欠伸が後方から聞こえた。
今度こそ久詠は、そして大悟は、四肢を凍りつかせて固まった。
部屋の片隅。
用意されたテーブルの末席の向こう。椅子を並べて寝台に。
その上から起き上がって伸びをした少年は、被っていたフードを剥ぎ取って、瞼を猫のように手の甲で摩る。
「あれ、漫才はもう終わった?」
西棟管理区長、多治比和矢が、いつの間にやら生徒会室に忍び込んでいた。




