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剣ノ杜学園戦記  作者: 新居浜一辛
第六章:灘と、ナギサ
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(24)

(うお、オ)

 縞宮梶渡は、ふたたび水に呑まれた。

 人工的に作られた潮流は、彼を否応となしに、施設外へと押し出さんとしていた。

 彼の『バルバロイ』は固形物を破壊してその残骸を武装化させる。

 よって今この状況、流動物の只中に在っては、その特性は無用の長物と言って良い。


 だが先に彼自身が実践してのけた通り、肉体のみを駆使しての遡上が不可能な程の勢いではない。

 『足利サン』なる闖入者など無視して、このまま戻れば良い。

 巌ノ王京猛の秘匿物が何なのか、彼には知るべくも無い。だがそれを存在ごと守ることが、警察病院にあって身動きの取れない分校長から直々の任務だ。

 そして一度受けた務めは必ず果たすからこそ、この無法の世界にて信を勝ち取れるのだ。

 そのことを、荒くれどもが真に理解していなくとも、彼らの楽園を維持するためにやったことを判っていなくとも、彼らを守るためにやる。


(だから、この程度で俺様を止められるものかよ!)

 そう大音声で気炎を吐きたいところだが、代わりに出るとすれば肺の中の酸素であろう。なので胸中で吼える。


 ――足利。

 そう言えば、自分を引きずり込んだ娘はどうした?

 着水の直前、泡にまみれて沈んでからか、いつの間にか彼女の姿と感触は消えている。

(さては不意打ちでも狙ってんのか、このナカで)

 かっと目を見開き、覚悟を決めて四方を見渡す。


 目視できた。

 だが、その有様は彼の期していた状態ではなかった。

 あの球体の黒鳥を腹の内に抱え込んだまま、ぐったりとうなだれて、抵抗もせず流されるままになっている。

 そしてその口は、息をしていないかのようであった。


(あの、ヤロ……ッ)

 舌打ち。これも心中での表現のみに留める。

 水を蹴って方向を変え、勢いをつけて少女の身柄へと迫る。水圧に揉まれ、全身を揺さぶられながらも流れを我が物とし、距離を詰めていく。


 捕捉した。

 伸ばした片腕でカラスもろともに少女の身体を抱きすくめる。

 しかし確保した段階で、もはや引き返すだけの距離ではない。我が身を躍らせ二人と一羽分の質量をどうにか制動しつつ、出口へと急いだ。


 一気に沖合に出た時が、衝撃がもっとも大きかったがそれでもホールダーの恩恵に保護された肉体に痛打を与えるほどではない。まして水泳の達者である縞宮のバランスを崩すほどでは。

 海面へと一気に浮上した縞宮は「おいッ」と呼吸を整える時さえも惜しみ、荒げた声をあげて少女の意識を確かめる。反応がないので慌てて浜まで引きずり泳ぎつき、砂の上に寝かせてあらためて呼吸を確かめようとした。


 が、カラスを抱えたまま離さなかった足利は、うっすらと目を開けた。

 ぼんやりとした表情といい行動といい、元より尋常とは思えなかった小娘だが、それでも縞宮に向けた澄んだ瞳は、明確に自我を保っている。程なくして、自力で身を起こした。

 相手が無事だと知れるや、むかむかと怒りが沸き立った。

「正気かテメェー!?」

 などと一喝して、肉付きの薄い肩を掴む。


「やっぱりか」

 対して少女は、何やら得心のいったような調子で、

「だと思った」

 などと独り合点している。

 だが、目はしっかり縞宮の側へとまっすぐに向けたままに、言い放った。


「あんた、バカだけどクソマジメでしょ」


 虚を突かれた。ふと、余計な分も含めた力が縞宮の上肢より抜けた。

 その隙に彼の握力から脱した少女は、淡々と続けた。


「壁を壊せば良いのにそれをしなかった。あんたはあの施設が崩壊するのをできる限り回避しようとしてたし、わたしらがしょーもないやりとりしててもそれを律儀に待ってた。だから、溺れてるフリ(・・)してりゃ助けにくると思った」

「……そのために、俺様を」

「そのために、俺は浮袋になったわけですか」


 足利の腕の中から、呻くような怨嗟が聞こえて来た。

 見ればカラスの方も意識を取り戻し、半目で飼い主を睨んでいた。


「うんまぁ、それについては素直にゴメン。説明の時間がなかった」

「にしてももうちょっと段取りとかですね」

「だって……考えはしたけど、不安だった。だからせめて、レンリに側にいて欲しかった」

「歩夢……あぁ、そうか。だったらしょうがない、な!」

「こいつチョッロいわぁ」

「せめて一秒でも夢見させてくれませんかねっ!」


 足利歩夢は適当な感じでお茶を濁したが、その相棒を締める腕にかすかな震えがあったのが傍からも見て取れた。

 おそらく、不安は少なからず本心なのだろう。

 やはり、自分から求めたこととは言え、不意の着水と奔流に揉まれるということは、虚心ではいられないはずだ。


 だがそれでも、躊躇なく実行に移した。

 心身を賭した。嫌いな相手の楽しみのために。一時の気まぐれのために。


「どうして、そこまで」

 あえて問うような無粋は侵したくなかったが、それでも不意に疑問と当惑が()いて出た。

 歩夢の視線がふと縞宮から外れた。思案していた風な沈黙が続き、やがて平素と変わらない調子で答えた。


「一度、あんたをあそこに落としたし」

「は?」

「だからまぁ、自分も一回落ちとくのが筋かなって、なんとなく」


 ――それが、決定打であった。

 まったく答弁になっていない。理屈ではない。そもそもそれで二度その相手を水中に落としては世話がない。

 だが、その間抜けさが、抗しがたく笑いを誘った。

「ふっふふふ」

 最初は含み笑いだったが、やがて肩が震えるようになり、

「ぶわっはははは! なんだそりゃ、ワケわからんぞ!!」

 耐えきれずに吹き出し、一気によく分からない感情のすべてを大笑いに換えて決壊させた。


 彼が豪放に笑い飛ばすのは珍しからぬこと。

 だが、今回はいつに増して、欺かれたはずにも関わらず痛快であり、笑い終えたあとには四クォーター分の試合を終えた後のような気持ち良い疲れだけが残った。

 その疲弊を、敗北感として受け入れねばなるまい。


 だがせめてもの、南洋の守護者としての矜持として、肉体を叱咤して立ち上がる。

「……しゃーない、ヤツらの仕合が終わるまでは、手出しは控えておいてやる。どのみち、ここまで流れ着いちゃあ戻るまでに決着ついてらぁ」

 明確な取り決めがあったわけではないが、敗者として、一時身を退く決意をする。


 そう宣いつつ、砂浜を踏みしめて

「オイ鳥ィ!」

 と歩夢本人ではなく、その腕のレンリを呼ばわる。


「そのお嬢のこと、ちゃんと見てやれ。そいつは他人や物事に興味がないくせして、本質(モノ)だけはしっかり眼が届いてやがる。ヘタ打ちゃ、どう転がるか知れたもんじゃねぇ」

「……言われるまでもない」


 返ってきたのは、重みがある男の決意であった。

 一応はそれに納得しつつ、足を止めて今度はその目利きの歩夢に

「お前さんから見て、深潼汀は澤城灘に勝てるのかい」

 と、問いを投げかけた。


「勝つよ」

 これもまた予言者じみた、断定的な即答だった。

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