一
思い込み激しい主人公。三話程度で完結予定。
私は婚約者が好きじゃない。その顔も、その態度もはっきり言って嫌いである。
いや、私の婚約者であるアイロス様は世間一般で言うところの美男子だ。さらりとした黒い髪、黒い瞳、そして何よりも笑顔が素敵だと女性たちの視線を一人占め。加えて紳士的で気品あふれる物腰、そりゃあ女性たちが騒がないわけはない。
それなのに何故私はアイロス様の事が嫌いかって?それは、アイロス様は私の父に似すぎていたからだ。
私の父もかなり美形だ。当然女性にモテる。モテまくった。父はそれを分かっていた上で数々の女性と関係を持ち、沢山の恋人がいた。父はまるで巷で流行っている恋愛の物語に出てくるような、甘い台詞を軽やかに使って女性を口説く。
私からすれば、「君はまるで月の女神のようだ」とか「あなたの唇に私の唇を重ねてみたい」だとか言う台詞は陳腐で最悪、嘘臭さしかないが、言われた女性陣達は腰が砕けるくらい嬉しいらしい。それは父がとても美しい男性だからで、失礼だが不細工な男性が同じ台詞を言っても通用するとは思えない。その位、美醜って大切なのだと実感できるいい例だ。
確かに父は綺麗な顔をしているが、「浮気は趣味だから」と言ってのける、私からすれば最低でただのクズな男だ。
そうして浮気を繰り返していれば、子供ができても不思議はないだろう。つまり私生児と言うやつだ。
私と弟だけがブッフバルト子爵家の子供と世間では認識されていたが、腹違いの姉や兄や弟やら妹やらが五、六人はいる。そうなると、子供を認知して貴族にして欲しいだの、最初に生れた男の子がブッフバルト家の跡取りのはずだとか主張する女も出てくる。お金と後継ぎ問題で家の中はここ三年程ずっと荒れている状態だ。
それにブッフバルト子爵の醜聞として、父の浮気と諸々の問題は社交界で広まり、昔と比べて今現在の我が家はかなり評判が悪い。これも全部父のせいだ…。
父の浮気症に愛想を尽かした母は既に屋敷を出て、一人で優雅に暮らしている。実家近くの、緑豊かな場所に家を建てて一人で暮らす母は、どうやら穏やかで楽しい日々を送っており、私と弟はそれはそれは羨ましがった。私達もこんな家をとっとと出て、新しい人生を送りたいと切に願っている毎日だった。
まあそう遠くない未来で、私は他家に嫁ぎこの家を出る。弟も家を継ぐ気などは全くなく、騎士団に入ると心に決めているそうだ。あとは父と、腹違いの兄弟達で好きにしてくれと思っていた。社交界での評判が悪かろうと、家が没落しようと、もう私達には関係のないことだとうんざりしていたわけである。
そんな中で弟は騎士団へ入団を決め、私も同じ時期に婚約が決まった。
貴族令嬢としては遅すぎる婚約だった。もしかしたら一生結婚できずにこの屋敷で暮らすのだろうかと不安な日々もあったが、こんな家の娘を貰ってくれる人がいたと知り、心から感謝をした。私を選んで下さってありがとうと。
しかし婚約相手を知り絶望した。
相手はアイロス・ダンジェルマイア、二十二歳。ダンジェルマイア公爵家の長男であり、その美しさで社交界の女性たちの視線を集める男。麗しき顔と甘い台詞で女性たちに迫ると噂の男だった。
彼はホフマン侯爵令嬢を婚約者としていたが、色々あって昨年婚約解消となったらしい。では新たに婚約者を、という流れの中で私に白羽の矢が立ったのだが…。
なぜ私なの!?と叫ばずにはいられない。アイロス様程の美形であれば寄って来る女性は多いだろうし、いずれ公爵を継ぐ立場の人だから婚約者になりたいという人は大勢いることだろう。それなのにどうして評判の悪い子爵家の娘をわざわざ婚約者にしたのだろうか。
穏やかな生活を希望していたが、社交界一人気の男性と結婚するということで女性陣の嫉妬を集めることは容易に想像できる。おまけに公爵家だ…。王家とも繋がりのある、由緒正しい家に嫁ぐなんて。自分の家でも気が休まらなかったのに、別の意味で気が休まりそうにないなと溜息が出てくる。
そして私を絶望させた一番の理由は、ずばりアイロス様が父と似すぎていた点だ。
アイロス様の美しい顔、女性を惑わす甘い台詞、紳士的な態度。全てにおいて完璧な存在は、言わずもがな私の父を思い出させる。父から逃れられると思ったのに、まさか父と同じタイプの人が自分の夫となるなんて…。
婚約期間は一年間、その後結婚予定。半年以上はクズな父と面倒な腹違いの兄弟たちのいる屋敷に居なくてはならないが、その後はダンジェルマイア公爵家に移り住む。ああ、どちらも私にとって休まる日はないのだと弟に愚痴を言い、母には嘆きの手紙で近況を知らせた。
以上のことから、アイロス様に対して余所余所しい態度となってしまったのは仕方がないだろう。にっこり笑って、「今日からどうぞよろしく、私の美しい婚約者殿」とか言われれば気持ち悪いとしか感想が浮かんでこない。
不都合な事があれば「今日も可愛いよ、私の愛しい娘」とか言って誤魔化す父と全く同じ類の台詞。ああ最低だ。気持ち悪い。嘘ばかり言って。私の顔は平均的だし、美しいだの可愛いだの言われた事は一度だってない。だと言うのによくもまあ歯が浮くような台詞をさらりと言えたもんだわ。
私は本当に心底父を嫌いだったらしい。家族だから多少愛情があるでしょう…と言われるかもしれないが、父親らしいことをされたことはないので、正直父親として見ていない。だって私が幼い頃から、日々女性たちと浮気を繰り返していた。そのせいで家の中はゴタゴタ、母や弟ともバラバラになったんだから…。
故にアイロス様に対して、一言二言話せばもう十分でしょ?という態度を最初から取ってしまったがもう仕方がない。貴族令嬢として失格の態度だと言われても仕方がない。私を貰ってくれて感謝していると言いたくても言えないのは仕方がない。そう、全部全部仕方がないとするしかないでしょう!?
多くの女性が日々憧れているアイロス様だから、いずれ私以外にも女を囲うに決まっている。だってアイロス様はあまりにも父に似すぎているから。
であるからこそ、私は決めたのだ。アイロス様が外で女を作ろうが子供が出来ようが、私には全く関係のないこと。もしアイロス様との間に子供が出来ても、その子達が嫌な想いをしないように努めるのが私に与えられた使命だと思うようにしよう。そして子供が大きくなったら、母のように私もこの屋敷を出てどこかで一人楽しく暮らそう。アイロス様との顔合わせの時、そう心に誓ったのだった。
ある日のことだった。
「あなたの為に選びましたよ。美しいでしょう?まるで赤い花弁はあなたの真っ赤で艶やかな唇のようです。気に入って下さると嬉しいのですが」
「………」
微笑むと天使だと評判の顔で私に赤い薔薇をプレゼントしてくれるアイロス様。最初はそういう事に対して素直に礼を言っていたのが、心ない台詞を聞いたら鳥肌が立つというもの。だからだろう、ついぽろりと本音が出てしまった。
「もう台詞全てとその笑顔が嘘臭い…。第一私の唇は真っ赤じゃないですから。使った口紅の色は桃色ですから。はあ……もう私にそんな口説き文句いらないですから、気持ち悪い。父みたいで気持ち悪い、ああ嫌だわ!本当に嫌!」
はっと気付いた時は遅かった。いくら思っていても、言っていてはいけない言葉がある。優しくて紳士なアイロス様でも、流石に気分を害するだろう。一瞬のうちに猛省した私は即座にアイロス様に謝ろうとしたが、予想外にアイロス様は大笑いしていた。
「……あの……?」
はははは、と声を上げて笑うアイロス様は普段とは全く違う様子で、そんな彼に何と言ったらいいのか分からず硬直した。
アイロス様はその後、いつもの嘘臭い笑顔になり「それは失礼しました。あなたの気に入るものをもっと吟味しなくてはですね…愛しい婚約者殿」とか言って部屋を去っていく。何だ今のは、とぽかんとしてしまった私は悪くない。
アイロス様はそれからどうなったかと言うと…あまり変わらない。いや、もしかしたらわざと私を気持ち悪がらせているのではないかと思う時がある。
つい先日だ。王宮に招待された時、王太子のドミニク殿下にお会いする機会があった。アイロス様とドミニク殿下は親戚同士で年も近いから仲もいいとのことで、私はアイロス様の新たに選ばれた婚約者として紹介されたのだが…。
アイロス様ときたらドミニク殿下の前で
「私の婚約者となったロスヴィータです。美しい娘でしょう、殿下? まだ十七歳の麗しき乙女ですよ。彼女のような素晴らしくも、この世で最高の女性と結婚できることに喜びを感じております。私はこの国で一番の果報者ですね。今死んでも惜しくはないです。ああ、彼女は天から舞い降りた女神ですよ。神はロスヴィータをよく地上にお遣わしになられたと思っているのです。殿下もそう思わないですか?」
と思ってもいない事を堂々と嬉しそうに言ったわけである。
当然私とドミニク殿下は言葉に詰まる。いくらなんでも陳腐すぎるでしょう、何その台詞と突っ込まずにはいられない。
「…壮大すぎてちっとも心に響かないぞ」
殿下が無表情でそう答えると、アイロス様がまた声を上げて笑った。
「駄目ですか?私としては女神ってところがポイントですが」
「いや……女神と言われて嬉しい女が今の時代にいるのか?」
父も「月の女神」とか使っていたっけとふと思い出す。やっぱアイロス様は父と同じ思考回路だといつもならげんなりするはずだが…。
しかし笑ったアイロス様は子供のようで、心から楽しそうだった。いつも女性達の前でする顔ではない。その時だけは、父と似ているとは思わなかった。
「さてさて、私の口説き文句はどうだったかな?愛しい婚約者のロスヴィータ?」
「………殿下と同じ感想です。壮大すぎてよく分かりませんでした。あと女神は駄目です。父も同じ言葉を使っていましたが、女神なんてこの世におりませんから」
殿下の前ではあったが、感想を聞かれたから正直にそう答えればまたアイロス様は笑う。一体この人は何がしたいんだ?益々分からない。
ちらりと殿下を見れば、殿下は肩をすくめて苦笑しているが、どことなく殿下は嬉しそうだ…。なぜ?と首を傾げるも、その理由が私に分かろうはずもなかった。