84節 闇の中の少年
暗黒空間に宣戦布告した杏助と、彼を包み込む暗黒空間。
攻撃が始まる前に、杏助はスリングショットでイデアを込めた弾を放った。
スリングショットの一撃がゴングとなったように、暗黒空間の中に太刀が降り注ぐ。
杏助はそれを防ごうとイデアを最大限にまで展開した。あわよくばこのイデアに当たった太刀が消えないか、などと考えながら。
そんな中で、消されなかった1振りの太刀が杏助の頭を貫いた。
――杏助の意識は薄れゆく。もはや、彼が打ち勝つこともできないというのだろうか。
杏助は、後悔にかられながら意識を手放した。
『もしも、力があれば』
♰
混沌とした空間。生きている者の魂などここには存在せず、死者の魂があちらこちらをさまよっている。
そんな空間の中。杏助は自分が冷たい床の上に座り込んでいることを自覚した。
耳をすませば死者たちの声が耳に入ってくる。その中には杏助がよく知っている者たちの声だって混じっていた。
キリオの。光太郎の。名も知らぬ巫女の。杏哉の。
彼らは思い思いの声で、思い思いの言葉を口にしていたようだった。清映への呪詛から、杏助に語り掛けるような言葉まで。
「死にそうになっているのか、杏助。杏奈があそこまでやってくれたというのにね」
杏助の耳に入る今は亡き兄の声。混沌とした叫びの中でそれだけはひときわはっきりと聞こえていた。その声を発している主である杏哉が死してなおその想いを杏助に受け継がせようとしているように。
「杏助。ここで死ぬことだけは許さない。生贄のはずの君が、まさか2つめの呪いまで解こうとしているのだからなおさらね」
杏哉の声に混じって、キリオの声も聞こえてきた。
――それはあまりにも忌まわしく、杏助は耳をふさぎたくなった。聞くも聞かないも杏哉の自由なのだから。
だが、杏助は耳をふさごうとしたその両手を下した。これは試練。憎い相手の声を受け入れるか否かで未来は変わる。
「強い意志を持て。俺や杏奈、清映のようにね。君に足りないのはそれだと思う」
再び杏哉が杏助に語り掛けた。
「強い意志……?俺はあいつを斃そうとしているのに……」
「まだ足りないんだよ。君は本当に清映の野郎を斃せる。やるんだよ」
耳元でささやかれる言葉。もはやそれは命令にも近い何かとなっていた。
杏助はこのとき、覚悟した。
――死地に飛び込む覚悟もあれば、自分の身を犠牲にする覚悟もある。それだけではなく、人を殺す覚悟、殺さない覚悟。自分が、最も重い責任を背負うという覚悟。
覚悟とは、自分が背負うものに全力に向き合うということ。
「やるよ、兄ちゃん。俺はここにいる悠平たちと、春月市の運命を背負う。最初はただの好奇心から始まったことだけど、もうそれだけですませられることではなくなったから」
暗闇の中、杏助は言った。
「それでこそ俺の弟だ。あの時から比べて成長している……。君の成長した姿を見られたんだ。俺ももう、あの世に行ける」
この見えない空間の中。姿は見えなくとも、杏助は杏哉の笑顔を見た気がしていた。きっと彼の顔は穏やかに笑っていた。杏哉の声は愛する者に語り掛けるように優しかった。
「待って、兄ちゃん!まだ……」
「おっと、君はまだこっちに来てはいけない。あと60年は早いだろう?それと、治ちゃんに伝えてくれ。『治ちゃん、1人になるだろうけど強く生きて』ってね」
その声を最後に、杏哉の魂は暗黒空間の中へ消えた。
「……そうだよ。やっぱり俺は行かないよ。まだやり残したことがある」
杏助は言った。
だが、杏助は思い出す。清映を斃すために必要な『歴代誌』の術をまだ習得できていないのに清映を完全に斃すことができるのだろうか。『巫女』である杏奈が魂まで斃すことができなかったというのに。
まだ、杏助の中には迷いがあった。
「迷イガアルノ? 」
今度、杏助に語り掛けたのは謎の女性だった。彼女が何者なのか、杏助の知ったところではなかった。が、杏助は直感的に彼女の正体へとたどり着く。
杏助に語り掛けてきた女性の魂は、霊皇神社の巫女の魂。蘇我清映が呪詛のために殺した人物の一人だった。
「私ガ力ヲ貸シテアゲル。私モヤツヲ殺シタイ……」
彼女は言った。
「俺とあなたで、斃すってことか?なんか賭けになりそうだけど面白いね」
「ソウデショウ?私ノ悪ノリニツキアッテミナイ? 」
彼女はどこか杏助を誘っているようだった。誘われた杏助は彼女の事情をよく知らないのだが好奇心ゆえに――
「いいよ。俺、あなたの悪ノリにつきあってみる。面白そうじゃないか」
杏助は言った。
「フフ……アリガトウ。アナタガ私ノ話ヲ信ジテ呪イヲ解イテクレテイルカラ」
――杏助はこの声を聞いて、自分がこの件にかかわるきっかけの一つの出来事を思い出した。
晴翔と2人で下校していたとき、晴翔の体が何かの幽霊に乗っ取られた。幽霊は晴翔の口を借りて、彼女自身の頼みを口にしていた。
そして彼女は今――
「一つ聞いてもいいかな。あなたは、以前俺と会ったことがある? 」
杏助は尋ねた。
「思イ出シテクレタ?ソウ、私ハアノ日、アナタニ声ヲカケタ」
その声とともに現れる幽霊の姿。首のないその幽霊は、杏助が見たことのある彼女で間違いはなかった。
「思い出したよ。そして繋がった。俺にはもう、怖いものなんてない」
杏助はそっと、意識が向かう先に身を任せ――
♰
闇の中。目を開いた杏助の傍らには首のない幽霊がいる。
杏助はそっと、イデアを展開した。
「俺はもう、迷わない」




