74節 長と巫女と神主
鳥亡村の中心部。放棄された住居の中でもひときわ大きな建物――神守邸。
その前にたたずむ杏哉はいつになく穏やかな顔をしていた。
「兄さん。どうしてあなたはそんな穏やかな顔をしていられるんですか」
杏哉の顔を見て、杏助は言った。
「この緊張した状態でも平常心が大事だろう? 」
杏哉ははぐらかすように言って手招きした。彼の後に続いて杏助と杏奈も進む。
無言で進む4人。17年も放置されて老朽化した廊下はギシギシと音を立てる。が、4人は一切気にすることもなく歩くだけだ。
そして、たどり着いた書庫。杏奈にとっては幼少期に入り浸った懐かしい場所でもある。だが、杏奈が懐かしいと思ってもここはかつての鳥亡村ではない。
「……17年、か」
杏奈は思わず声を漏らしていた。
この変わり果てた書庫。白骨死体の転がっていた村とは打って変わり、ゴキブリや鼠の死体以外には埃と本しかなかった。
本棚や木箱は以前のように本を守り続けているようだった。
なつかしさを覚えた杏奈をよそに、杏哉は本棚から強引に置かれていた1冊の本を取った。布で装丁がなされた本には金色の文字で『神守歴代誌』と書かれている。
杏哉はそれを開いて杏奈に渡す。
「今、開いたところが歴代『巫女』と長の記録だ。もし滅びなければ、という形で書かれていたところもあるがね」
杏哉は言った。
杏奈は本のページを見て絶句する。
――そこに書かれていたのは『巫女』の系譜。その92代目となっていた場所に書かれていたのは、杏奈の名前だった。その右側、91代目に当たる場所に書かれていたのは小梅の名前。
「どうして私の名前が?それに91代目は小梅お姉ちゃんが……」
「蘇我清映が君を殺そうとしなかった理由だよ。君の性格であれば簡単に生贄にできただろうが、あいつはそうしなかった。なぜなら、鳥亡村を再生すれば君を巫女にするつもりだったからね。もっとも、今となってはそうもできないようだが」
杏哉は言った。
蘇我清映の当初の目的。それは杏哉だって知っている。それが適切かどうか、最も考えていたのは杏哉だろう。
だからこそ、清映に鳥亡村の再生をあきらめさせることもできたが。
「気持ち悪いことを。それで、この『巫女』という地位には何か意味でもあるのか? 」
杏奈は吐き捨てるように言った。
「ある。何が優れているのかはわからないが、優れた血統であること。それと、支配者としての地位だ。『巫女』という地位があったからこそ鳥亡村は1000年近く続いたと言っても過言ではない」
「そうか……」
杏奈は視線を落とす。
もしも鳥亡村が滅びなかったら。もしも杏哉が裏切ることなく清映の目的が達成されていたら。杏奈はきっと『巫女』となっていたのだろう。
――巫女となった自分自身は何をしていたのだろう?
杏奈はほんの少しだけ考えたが、すぐに脳内から仮定を捨て去った。自身が『巫女』となるということは、世界と運命に選ばれなかっただけの、ただの夢物語でしかないのだから。
「で、杏助。君も無関係ではない」
杏哉は再び口を開く。今度は杏助に対して。
「君はこの村が滅びなければ長となるべき人間だった」
「え……」
声を漏らすだけの杏助。
杏哉の一言は杏助の理解を超えていた。
自分がこの村の民であったことはわかっていたが、生贄にされそうになっていた自分が長となるべきだったとは。杏助にとってはにわかに信じられないことだった。
「兄さん。どうして今ここで長や『巫女』のことを言うんですか」
「この村は完全に終わるのになぜ伝えた、だろう?簡単だ。君に呪詛を解いてもらうためだ。あの日、長が殺されてから誰一人として使えなかった呪詛。俺もどうやら無理だったようでな。使えるのはきっと君だけだ。杏奈、歴代誌の最後のページを見てくれ」
杏奈は杏哉に言われたとおり、本の最後のページを開いた。
すると、杏奈は絶句する。そのページだけがなぜか、異様だった。
「これは……」
ページに書かれていたものは、異界の文字。それ自体は鳥亡村において珍しいものでもないと、杏奈は知っている。が、問題はそれから発せられる金色のガス。
杏奈は杏助に本を手渡した。
「杏助は呪いを解けるだろう。その能力を完成させるのがこいつだ。歴代誌に書かれている呪詛は、長たる者のイデアを成長させるもの。蘇我清映が人を殺してイデアを進化させたようにね」
杏哉は言う。
「使い方は……」
「俺にも杏奈にもわからない。せいぜい治ちゃんに調査でもしてもらってくれ。そろそろ俺は神主と戦いに行ってくるよ」
杏哉はそれだけを言い残して書庫を出て行った。
彼の背中にあったものは、死相。最後に彼を見た3人は、もはや杏哉が生きて戻ってくることなどできないだろうと直感した。
そんな中でも――
「絶対に生きていてくださいね、兄さん」
杏哉に向けて杏助はその言葉を発するのだった。
そして、杏哉は屋敷を出て『神主』の元へと向かう。刀をその手に持って、殺意を明らかにしながら。




