6節 損な男とおっかない女 (挿絵あり)
あーあ……。
こんなんでも彼は準主人公なのですよねえ。
絵の中から飛び出す損な男、鶴田悠平。彼が絵の外で最初に見た人物は不幸にも「おっかない」と言われているクラスメイトだった。
白水帆乃花。それが彼女の名前だった。顔は整っているものの、わざと髪を染め、スタッズを着けた制服を着ることで人を遠ざけている。
おっかない女、白水帆乃花は旧美術室の油絵具で汚れた床に倒れた悠平を見下ろしていた。生ごみにたかるゴキブリを見るかのような、冷ややかで慈悲のかけらもない目で。
30秒ほどで悠平はその視界の中に帆乃花の姿を確認した。彼女は笑っているはずもなく、殺意をむき出しにしていた。
「鶴田くん。地面に寝転んでスカートの中身でも見られると思ったわけ?」
帆乃花の第一声はこれだった。ドスのきいた声は悠平にとって、恐怖でしかない。
このときの悠平は殺虫剤をかけられそうなゴキブリと同じだった。少なくとも帆乃花から見れば。
「違う、おれはその……」
「黙りな!」
帆乃花のピリピリとした声が悠平の言葉を遮った。さらに彼女は続ける。
「ちょっと顔がいいからって許されると思うなよ!この××!お前の青い××に××を××して××してやるっ!!!お前には焼身××××が丁度いいのっ!!!あーあ!その勢いで死んでくれない!?」
帆乃花はできる限り、彼女が知る限りの汚い言葉で悠平を罵った。10代の女子にあるまじき発言だ。
「誤解です!白水さん!俺はその絵の中で……」
「うるさい!」
帆乃花は怒鳴り、自分自身の髪を掴んでライターで火をつけた。すると、髪が燃え上がることはなく彼女の周囲に炎のビジョンが現れた。
その炎から散った火の粉が悠平の制服を焦がす。
「あの……」
「文句あるなら後でいいなよ。あたしは今機嫌が……」
彼女が言いかけたときに絵の中から手が現れる。彼女は手に掴まれて絵の中に引きずり込まれた。何が起きたのか悠平も帆乃花もわからなかったが、悠平にはこれだけが言える。
助かった、と。
だが、損な男の災難は終わらなかった。
「何かすごい声が聞こえたな。大丈夫か?」
旧美術室の反対側から杏助の声が聞こえてきた。どうやら彼も絵から外に出られたらしい。
イーゼルにかけられた画の影から姿を現した杏助は悠平の表情と、何かで焦げた服を見て不審に思った。
「大丈夫だよ。というか、なんだその目は」
悠平は言った。
「いや、その……そんなこともある。な、兄弟」
杏助とともに絵から出て来た晴翔は言った。晴翔としては慰めのつもりでかけた言葉だったが悠平にはその意図が一切伝わらなかった。損な男は晴翔の言葉の真意も理解できなかったのだ。兄弟という言われ方に対していい気分はしない。
「俺とお前を一緒にするな」
と、悠平は言う。
やれやれ、と言わんばかりの悠平はあからさまに目の前の画から目をそらした。そう、帆乃花が引きずり込まれたその絵だ。
帆乃花が引きずり込まれた絵は動いたり、手が出てくることもない。
「まあまあ。それで、さっき女子の声がしたよな。相当汚い言葉を喋っていたような気もするけど」
今度は杏助が言った。それにともなって悠平の体に寒気が走る。どうしても忘れたかったできごと、よりによって一番会いたくない人物と鉢合わせになってしまったこと、これ以上ないくらいの汚い言葉でののしられたこと。これだけは自分だけの秘密にして墓場まで持っていきたかった、
「やめてくれ!それ以上聞くな!あの女、前から怖いと思っていたけど想像以上にヤバいやつで……とにかくヤバい!方向転換のできない爆弾戦車みたいだ!本当に殺されるかと思ったんだよ!」
悠平は顔色を変えて言った。
彼はやはり報われない男、損な男だった。
「ポジティブに考えろよ。殺されなかっただけましだろ?」
杏助は言う。彼も意図的ではあるが慰めきれていない。
「それより今から新しくできたカフェに行かないか?俺、悠平くんと仲良くしたいし」
杏助に続けて晴翔も言った。
彼の言うことにはどうも裏がありそうだったが、悠平は一緒に行くことに決めた。杏助と晴翔は変な人に見えるが、悪い人ではない。
「そうだな。あんたたちは白水さんよりはまともだと思う。あの人、髪燃やそうとしたら本当に炎を出しているんだよなあ」
怯えたような顔で悠平は言った。
「じゃ、早く行こうぜ」
3人の男子高校生はこの後の行動を決めていた。3人それぞれの思惑を抱えて。
堤咲という生徒の作品は旧美術室にいくつか残されていた。3人は紙袋を拝借し、作品を一つずつ袋に入れて持ち出すことにした。咲は疎まれていた生徒であったが、美術の教師は彼女の作品を捨てるようなことをしなかった。
美術室で用事を済ませた3人は旧美術室を後にして新しくできたカフェに向かった。
杏助と晴翔と悠平が向かったカフェは春月市の閑静な住宅街にあった。
それは隠れ家的なカフェ。解放感はないが、本棚がおかれ、様々な種類の本があった。そして、メニューも豊富。
真っ先にカフェに入った杏助はメニューを見て注文していた。