64節 神主の凶行
「ありがとうございました」
店主に見送られ、杏哉と零はカレー屋の外に出た。
日も落ちて暗くなった町。2人は声をかけることもなく、それぞれの思う方向へと向かう。
零が向かったのは春月川近くのアパートだった。
杏奈と彰との戦いで敗れ、川に流された後に死に掛けながら命の恩人の助けもあって借りたアパート。零はそこで何日も清映を待ち続けていた。が、お互いに事情を知らなかった清映と零は会うこともなかった。
零は煙草に火をつけてアパートの壁に寄りかかり、物思いにふける。確固たる意志を持つ零も、杏哉の言葉でさすがに精神が参っていた。そもそも彼自身は清映がこれからやろうとしていたことを知らされず、今となっては――
(本当に見捨てられてはいないよな。もし見捨てられていたら俺……)
零はこれ以上考えることをやめた。
待っていても仕方がない。零は自分から清映に会いに行くことにした。向かう場所は霊皇神社近くの隠れ家。春月川に流されてからは一度たりとも立ち入っておらず、零としても行くことには気が引けた。
零はアパートに置いていたロードバイクに乗ってその場を去る。
霊皇神社。破壊され、金色の霧に包まれたその場所で腐りかけた死体がぴくりと動いた。近くにはその死体をついばもうとした鳥や、野生動物の死体が転がっている。
死体は泥のように溶けたかと思えば再び人の形となる。
泥の中から復活したのは筑紫光太郎だった。何があったのか、野生動物にかじられた痕跡もなく再生し、彼は立ち上がる。
光太郎は立ち上がったのちに辺りを見回し、彼のよく知る人物を目にした。
その人物は蘇我清映だった。
「生きて……いや、何があった」
困惑した顔で清映は言った。
「清映よ。今はそれをときではない」
光太郎は答えた。
彼の言葉に違和感を覚えた清映。彼はすかさず手に妖刀を握り、光太郎に詰め寄り、彼を叩き切った。
跳ね上がる泥。そこに血は一切なかった。
さらに清映は表情を曇らせた。
――手に残った感覚は生きた人間のそれではなかった。以前の光太郎のような人間ではなく、人間の姿をした人外の存在。近いものは泥の塊だ。
「先代よ。何があった」
清映はここで声を荒げた。
怒りではない。ただ、清映は光太郎に何があったのか、それだけを知りたかった。
「儂は……杏哉と戦って、負けて。それからは眠っていたようだったが……」
ここで、光太郎は言葉を止めた。彼が気付いたとき、霊皇神社は変わり果てていた。本殿は破壊され、死んだ野生動物が転がっていた。
それまで。光太郎はいわゆる臨死体験と同じ体験をしたうえで、春月市を俯瞰で見ていたという感覚が残っていた。彼は死んだのか、それとも。
「待て。一体何が起きたのだ。今日は、何日だ?」
光太郎は尋ねた。
「1月の12日。引き渡しのはずだった日からすでに2週間は経っているのだが」
清映が言うと、光太郎は絶句した。
そう。彼がここで気を失ってから経った日数は17日。そして、光太郎はこのとき自分の中にある違和感を覚えた。
口の中に存在する泥の味。自分の体温はいつしか失われており、命も無いに等しい。光太郎は今、自身の死を認識した。
「あなたはここで17日も寝ていたということになるのか」
「違う。儂は……おそらく死んでいる」
と、光太郎は言う。口に出すことをためらいながら。
「ありえん。なぜ死体が動く。寝ぼけているのか?」
「いつぞやの異世界の人間が言っていたが、沼男というものがあるという。沼に落ちた男が雷に打たれて沼と融合するという話だ。儂の能力はそれを再現したようなもの。これは……一度ここで死んで分かった」
「沼男か。異世界にはそのようなものもあったな雷に打たれたかどうかは私の知ったところではないが」
清映は言う。
「先代。私はもはや鳥亡村の再生など望まぬ。代わりに残り4人を殺し、この東レムリア……いや、レムリア大陸から脱出して外の大陸へ向かうことにする。私の呪詛でこの春月の民も全員死ぬ。我々の最後の反撃だ」
「儂にはお前を止める権利などない。できることがあるならば、最後に1人くらいは殺しておこう。お前はレムリアの脱出を考えればよい」
光太郎は言った。
「そのつもりだ。感謝する、先代」
清映はそう言うと、雑木林の中に姿を消した。
その姿を確認し、光太郎は清映と反対側、隠れ家のある方向へと向かっていった。
――そして。
光太郎は1人目のターゲットを思うより早く発見していた。
「先代、生きていたんですか」
1人目のターゲット、零は光太郎の姿を見るなり声を上げた。
「心配しましたよ。神主はどこですか?俺、探しているんです」
「すまんな。清映はお前には会えないそうだ。もはやお前は用済みだ、零」
光太郎は刀を抜いた。刀身が満月の光を受けて銀色に輝く。
自身に向けて放たれた言葉で、零は混乱した。それもそのはず、目の前にいるのはかつて彼自身が慕っていた人物の1人だ。それだけではない。もう1人の慕うべき人物からも『用済み』と判断され、零は命を狙われることとなる。
この状況において、零は腹をくくるしかなかった。
「……そうかい。だから杏哉は早々に距離を取ったのか。俺ってば、本当に馬鹿だなあ」
と、零は言う。
その声にはある種のあきらめと、光太郎に対する敵意が込められていた。
(先代の戦い方はある程度わかる。俺が相手にならないってわけじゃないな)
零は一瞬にしてイデアを展開し、氷の塊を光太郎に叩き込んだ。
――触れれば凍り付く氷の弾丸。あの日は使うこともできなかったが、零は17日で成長を遂げたのだった。




