60節 神主、復活する
燃える河川敷。炎の激しさはほんの少しおさまったものの、ススキの枯草は依然として燃えている。
それを鎮火せんと春月川の河川敷にかけつける消防隊員たち。そのうちの一部には水の魔法の使い手も含まれていた。
そんな彼らが目撃したのは、火の中から現れる青年だった。彼には一切引火せず、平然とした様子で炎をかき分けて土手を上ってきたのだった。
「俺は大丈夫だ。そんなことより、ここで焼身自殺した人がいるので後で身元の調査をお願いします」
彼――彰は言った。
「えっ……まあいいですけど」
彰は困惑する消防隊員に笑いかけ、野次馬たちの方へと向かっていった。
――野次馬の中には彰の見知った顔があった。彰が春月川へ向かっていたことを知っていた人物、晴翔と杏奈の顔だ。2人は彰の姿を見るなり、安堵したような表情となった。
「ごめんね、杏奈。俺は大丈夫だ」
「春月川近くに向かったって聞いたから心配になって。でも、無事でよかった」
と、杏奈は言った。
晴翔も含めた3人は鮮血の夜明団春月支部に向かうことにした。主に、彰が戦った多々良雅樹についての報告をするために。
時を同じくして、春月中央学院高校の美術室。有田は万年筆を持って頭を抱えていた。
これは有田が緊急の職員会議で聞いた話。
行方不明者はこれまでに出ていたとのことだったが、さらにもう1人、今度は食堂裏のゲートから失踪したという。目撃者によると、彼もまた自分からゲートに飛び込んでいくようで、意図的なものだとも考えられていた。
そして何より、失踪者はその数日前から「行かなくては」と呟くようになったという。
有田はノートの1ページを破り、上着のポケットに入れると美術室を出た。彼が向かうのは食堂裏のゲート。何か変わったことはないかと考え、有田はその様子を見ようと試みていた。
――食堂裏のゲート。何の変化があるのか、そのゲートは心なしか乱れているようだった。まるで、内部で何かが暴れているように。有田は持っていたカメラでゲートを撮影した。
映り込む人影。それは少しずつ大きさを増して……
「誰か来るのか? 」
有田はつぶやいた。
やがて、人影ははっきりとした何者かの姿となり、有田の前にその姿を現した。
「有田先生!そこを離れて! 」
校舎の上から帆乃花の声がした。彼女は校舎の3階の窓から身を乗り出して叫んでいた。
彼女が見ていたものは――
ゲートから1人の男が現れる。杏助と同じ色の髪と目をした、和服姿の男――蘇我清映だった。彼はまがまがしい気配をその身に纏い、この世界に現れた。彼は戻ってきた。
「目撃者……違うな。貴様が私のことを嗅ぎまわっていたこともよくわかる。始末しなければな」
清映は有田に冷徹な視線を向けた。それは呪詛ともいうべきか。あまりのまがまがしさを前にして、有田は「体を動かす」という意志をはく奪されたようだった。
清映は歩み寄る。その右手には、太刀。どこからともなく現れ、形成された太刀に力をこめ、彼は有田に斬りかかる。
有田は恐怖を押さえつけ、その太刀を避けた。
「始末か。たしかに僕を始末すればあなたを狙う者は減るだろうね。だが、逆恨みというものを知っておいた方がいい」
有田は校舎から彼を見下ろす帆乃花の存在を知って言った。
だが、清映は無言で太刀を振るった。
頸動脈に入った傷から血が吹きあがる。30秒とたたずに有田は砂利の上に崩れ落ちた。
血が砂利の中に入り込み、地面を赤く染める。
その様子を見ていた帆乃花。彼女は怒りにもかられていたが、清映の力を見て唖然とした。
彼が持つ刀は思うままに物理的なつながりを斬った。
帆乃花は窓から飛び降りて清映に一矢報いようと考えていたが、思いとどまる。彼に勝てるのか、と。だが、帆乃花は清映と目が合うこととなった。
――冷徹な目は帆乃花を見つめていた。「次はお前だ」と言わんばかりに。
帆乃花は恐怖を覚え、教室に逃げ込んだ。彼女は黒板の裏に隠されていた1つの絵画をとると、それに手をついた。
「お願い、私を助けて。勝ち目もない相手が来る! 」
声をあげる帆乃花。
やがて彼女は絵の中に引きずり込まれ、よく知る「あの空間」にたどり着く。灰色だが、色鮮やかな絵具で彩られたあの空間。
「助けてって?本当に、何があったんだ? 」
絵の中にいた女、咲は言った。
「すごく強い相手!何でも破壊する刀の使い手なんです」
「ふうん……? 」
と、咲は言う。彼女の悪だくみは帆乃花に伝わる事ではない。が、咲は椅子から立ち上がって帆乃花が現れた方向をじっと見た。
「帆乃花。あんたは隠れてな。外では弱いけれど、私はこの中では強いよ」
咲は帆乃花と入れ替わるようにそのイデアを展開した。それは、色とりどりの絵具――チューブに入ったものではなく、チューブから出されてターペンタインで溶かれたようなものだった。
そしてこの空間に侵入する清映。空間の壁から刀が突き出たかと、清映は壁をすり抜けて入ってきた。
彼の悍ましさは死人である咲にもよくわかる。咲は両手にパレットナイフを持ち、清映の顔を見た。
「なんだ、貴様は」
「おおっと、それ聞いちゃう?許可もなく私の空間に入ってくるんじゃない」
と、咲は言う。煽っている。清映を怒らせて策に乗せるつもりだ。
「いいだろう、切り殺してやる。私に許可など必要ないのだよ」
清映はそう言って咲を両断した。赤い絵の具が灰色の床を汚す。
「さ……咲さん!? 」
ドロドロの絵具は喋らない。だが、それは少しずつ人の形を成してゆき、ほどなくして咲の姿となった。
「……なるほど、先代と同じか」
清映は言う。先代、光太郎の力を知っているがゆえに、彼はその倒し方も知っている。きっと彼女にも通用するのだろうと、清映は確信していた。
――刃が咲の体を再び裂いた。小規模な歪みも相まって、絵具が飛び散った。しかし、その絵具の中から再生する咲。
咲は、今度は自分が仕掛けるとばかりに清映に詰め寄った。ぎらりと輝く、絵具に染まったパレットナイフ。咲はパレットナイフを清映の胸に突き刺した。
「貴様……」
「手を引くなら、その傷を治して外に出してやってもいい。あんたは、どうするか?死ぬかい?それとも、手を引くかい? 」
咲は言った。
パレットナイフの刺さった清映の胸に、じんわりと血がにじむ。
(殺すべきやつは、外で殺せばいい。この中では、とてもこいつには勝てん)
清映は眉間にしわを寄せる。
「いいだろう。ここからは手を引こう。外ならば、簡単に人は殺せる」
と、清映は言った。
お前が殺そうとしている人をここから出すつもりはないけどね、と言いかけて、咲は清映の胸からパレットナイフを引き抜いた。
「ようし、交渉成立。治療も一瞬で終わるからね」
咲は言った。
青の絵具が清映の胸の傷に流し込まれる。瞬く間に清映の傷が癒えてゆく。
「ふ……感謝するぞ」
清映はそう言って咲の作り出す空間を出た。
復活の神主です。これから完結に向かって加速していきます、いろいろと。




