46節 最も面倒くさい使い手
橋の上でにらみ合う杏奈と彰と零。一度イデアの展開をやめていた零は、再びそれを展開する。今度は氷の塊ではなく、雪だ。春月市とその周辺部にわたる広範囲に雪を降らせはじめた。それがイデアだということは明白だ。が、零はイデアをまともにコントロールしているのだろうか?
「屈するなら今だぜ。その様子から見るに、こいつに連れてきてもらったんだろう?」
この言葉もあわさり、零の行動は警告に近い。
彰はケテルハイムでの出来事もあって、零の次の行動を警戒していた。だが、杏奈はそうでもなかったようだ。
「誰がここで引き返すか!説得する意味がないのなら、ここでくたばってもらうという手もあるな!正直なところ、人を殺すのは好きじゃないが」
杏奈はコートのポケットから鉄扇を取り出し、さらにイデアも展開した。
彼女の後ろに控えるのは彰。彼もまたチャクラムを手に取ったうえでイデアを展開している。
「待てよ!俺は――」
零の言葉も聞かず、杏奈は彼との距離を詰めた。杏奈が鉄扇を振りぬくと同時に、零は氷の塊を2人の間に展開する。耳障りな音が辺りに響き、氷の破片が飛び散った。が、氷の塊そのものは破壊されていない。
「彰!援護をお願い!」
氷の状態を見た杏奈は言った。
「あ……わかった!何か意図があるんだな!?」
と、彰。
彼の読みは正しく、杏奈にも考えはあった。杏奈は再び零との距離を詰めて、斬撃。零は少しずつ後ろに下がっていたが、杏奈の攻撃が届く気配などない。
だが、杏奈にとってはそれでよかった。
(攻撃したときの手ごたえは変わらない。それにもイデアのキャパを割いていると見た)
杏奈は一度攻撃の手を止める。
そのタイミングを狙って放たれるチャクラム。チャクラムは氷の塊の盾に命中し、耳障りな音を立てて氷を削る。
対する零はその氷を放棄して攻撃にうつった。
「氷を突破することしか考えてねえな?」
零の右手から放たれる氷の弾丸。その狙いは杏奈ではなく彰。
わずか1秒の間に杏奈はイデアを展開。氷の塊に向かって突っ込み、塊に手で触れた。
――何も強行突破する必要などない。むしろ正面からの突破は非効率でさえある。
「転移しろ!」
杏奈のイデアに包まれた氷の塊は一瞬にしてこの世界ではないどこかへ飛ばされる。
このとき、杏奈にふと思いついたことがあった。零を転移させれば解決するのではないか?零に隙ができればやる価値はある。もう、氷の壁を突破することなど考えていられない。正面からだろうと、イカサマをしようと、結局は勝てばいいのだから。
杏奈は零の次なる攻撃を察知するも、彼に詰め寄った。そして――
「お願い彰!次の攻撃は避けて!」
「わかっている!」
杏奈の後ろから彰の声がする。杏奈は彼を信じ、濃密なイデアを纏った左手を零に向けて伸ばした。
そして彰は弾丸ともいえる氷の塊をすべて避けた。
「ちっ……何を考えていやがる!」
零はイデアを纏った左手に違和感を覚え、咄嗟に氷のイデアを杏奈の両手に向けて展開する。
――それは氷の鎖。氷の枷だ。極低温の枷は杏奈を縛り付け、動きを止めた。
杏奈を妨害し、動きまで止めた零は満足そうに口角を上げた。
刺すような冷たさが杏奈の手首、足首を襲う。このままであれば凍傷は必至。それでも杏奈は策を考えていた。いかにしてこれまで相手取った中で5本指に入る面倒くささを誇る彼を攻略するか。
「何しようとしたかわからねえが、その左手はなんかヤバイ。何かしようとしたんだよな?その手には乗らない」
杏奈の目の前で零は言った。
手を伸ばせばすぐに触れられそうな距離。だが、氷の枷で動けない杏奈はその距離でも何もできない。少なくとも、この状態では。
一方、彰も零を攻撃できないでいた。
今、零と彰の間には杏奈がいる。零は杏奈を盾のようにしており、そこから動くつもりもないようだった。彰が杏奈を攻撃できないだろうということを読んだうえでの零の考えだった。
「ふざけるな……織部零。というか、その枷で私を縛れるとでも?」
杏奈は口を開いた。
「おう。先代や神主はここの攻撃から脱出できなかったしなあ」
「誰か知らないが一緒にしないでくれるか?そいつが抵抗できなかったからといって、私にそれが適用されるとは限らない」
と、杏奈はつづけた。
彼女の展開するイデアが強くなる。まさか、と考えた零の表情が一瞬にして変わる。
「彰!4秒後にチャクラムを!真ん中だ!」
枷で動きを止められながらも杏奈は言った。その間にも杏奈のイデアの密度、強さは膨れ上がり、零も焦りを見せ始めた。
そして。
バキン、という音とともに氷の枷が砕け散った。杏奈はそのバランスでよろけたように見せかけてチャクラムの通り道を開ける。
そこを突き抜ける2つのチャクラム。
零はそのチャクラムを防ぐべく氷のイデアを展開する。
だが、彼は2対1の状況であることを忘れていた。
零に杏奈が忍び寄る。彼が氷とチャクラムに気を取られている間に杏奈は零に接近し――
「危なかった。能力そのものは強くても、その使い方を間違えたみたいだな」
零が杏奈の声に気づいたときには遅かった。
零の脇腹に激しい痛みが走る。杏奈が零の脇腹に蹴りを入れ、零は吹っ飛ばされる。やがて零は橋の欄干をこえ、悲鳴とともに川へ落ちていった。
「すまないな、織部零。生きていればまた話をしようじゃないか」
と、杏奈は言った。
「容赦ないな。あれであいつは生きていると思うか?」
「多分生きてる。私の経験上、イデア使いは結構しぶとい。シオン会長を見ればわかるけどね」
と、杏奈。
彼女は橋の欄干に寄り、川を見下ろした。零の着ていた革製の上着が枯草に引っかかっているのが見えるだけで、零の姿は見えない。
――溺死。凍死。冬の川に落ちた零は果たして生きていられるのだろうか。杏奈はこれ以上考えないことにした。




