27.5節 ■■村伝説
「俺や君の生まれた場所は樹海と山と結界で外部と隔絶された場所だった」
杏哉はいつになく真面目そうな顔で話しはじめた。
♰
隔絶された村「鳥亡村」。外部の人間からはほとんど知られておらず、伝説だけが独り歩きしていた。立ち入ると命はない。大陸の法が通用しない。近親相姦を繰り返す一族が住んでいる。
だが、本当はそうでもない。
鳥亡村の住人は外見こそ独特であろうとも、近親相姦を繰り返す一族でもなかった。
彼らは異世界人の血を引き、レムリア大陸のいかなる民族とも異なる特徴を持つ。
鳥亡村には神主と巫女がいた。
あるとき、神主は長からとある場所で行うとある儀式のことを聞いた。長は神主に「本当に重要なこと」を話さず、長はそれでよいと考えていた。村に何一つ害はない、と。
だが、神主は長の想像の上を行った。
――神主は、彼なりの解釈で儀式を行った。それは■■様の怒りを買い、村全体に影響を及ぼす呪いをかけた。
呪いは村人を瞬く間に狂わせた。
狂った村人たちは自傷行為などを繰り返し、その様子はまさに地獄絵図だった。
狂った村人たちの様子を見た巫女はある決断をする。
――村でまだ狂っていない者を鳥亡村から連れ出す。
巫女の周りはすでに狂った者や死んだ者ばかりだった。長は殺され、その家族も先代の巫女も死んだ。この村の長や巫女の家系で無事だったのは`巫女'神守小梅とまだ幼い神守杏奈、そして1歳にならない神守杏助。
まず小梅は先代の`巫女'の部屋へ向かった。
先代の`巫女'は刀で頸動脈を切り裂いて死んでいる。彼女の傍らには鞘から抜かれた短剣と、鞘に収まったまま血を被った刀があった。部屋の奥には赤ん坊がいた。
――その赤ん坊こそ、先代`巫女'の実の息子・神守杏助だった。呪いすら知らぬ彼は事情すらわからずに眠っていた。
小梅は呪いの影響を受けていない赤ん坊を抱きかかえて外に出た。
次に向かうのは書庫。小梅や長も「次の時代の巫女」と確信する少女がよく出入りする。
書庫にいたのは杏奈。先代`巫女'の娘であり、小梅の次の`巫女'となることが確定していた。
彼女は呪術の本を読みながら小梅の方を見た。彼女の無垢な瑠璃色の瞳は狂気の色には染まっておらず、彼女が無事であることを示していた。
「杏奈。村を出るよ。もはやここにいては貴女も死んでしまう」
「でもけっかいがあるからそとには……」
「アレは私がぶっ壊すから心配しないで。ほら」
小梅は杏奈に手を差し伸べた。その手は、杏奈から見ても頼もしいものだった。彼女は小梅のことを姉のように慕っていたのだから。
「わかったよ。小梅おねえちゃん」
小梅は2人の子供とともに屋敷を出た。
屋敷の外は、まさに地獄絵図。もはや正気を保った者は1人としておらず、黒い怪物が町をうろついていた。
杏奈が小梅の袴の裾を掴んだ。
「おねえちゃん……みんなしんじゃうの?」
「大丈夫。私がいる限りこの村にいても貴女は死なない」
小梅は言った。
杏奈を背負い、杏助を抱きかかえた小梅は走り出す。彼女だけが知る「出口」へ。彼女が唯一結界を破ることができる場所へ。
――木々に覆われた森の中を彼女は走る。それは人間が出すことのできる最高速度を明らかに超えていた。小梅はこのとき、イデアを最大限に展開していた。
そのまま、薄青色の壁に迫る。突き破る。
(抜けた……!あとは、このまま南に走れば道がある……!)
走りながら。小梅はその鼓動に異常を覚えた。
いつか来るとはわかっていたそのとき。2人を絶対に死なせないために2人分の呪いの矛先を引き受ける術。
小梅はその違和感を振り切って走った。やるべきことを果たすために。2人を外界へ脱出させるために。
やがて、森林の先に何か見慣れないものが見えた。
あと少し。そのとき、小梅の体を得体のしれない感覚が襲った。彼女は立ち止まり、杏奈と杏助を下ろすと四つん這いになる。
「うっ……おええええええええっ!!!」
小梅の口からとめどなく流れる赤黒く濁った血。彼女の顔は土気色に染まり、体はガクガクと震えていた。
「小梅おねえちゃん!?だいじょうぶ!?ねえ!」
「がはっ……あん……な……」
激しくせき込む小梅。彼女は自分の限界を突き付けられていた。
残されたわずかな時間。小梅は吐くものをすべて吐くと、よろめきながら杏助を抱えた。彼女の体ももはや呪いには敵わない。だが小梅はその精神力でイデアを再び展開した。
「あと少し……あと少しなのに……くたばるわけにはいかないの……」
小梅は杏奈を無理やり小脇に抱えて再び走り出す。最後の力を振り絞って。生きるべき2人のために。
――そして、彼女たちは舗装された道に到達した。
小梅は手を挙げて少ない車のうち、1台を引きとめた。乗っていたのは若いカップルだった。
「どうしたの、こんなところで。血まみれじゃない」
車から降りて来た1人の若い女性が言った。
「理由は言えません。この赤ちゃんと子供を助けてください。親になってくれる人がいるだけで……」
小梅は再び咳き込んで吐血した。
「私のことは見殺しにしていいので……!」
小梅はつづけた。
「おい、さっさと行こうぜ。こんな……」
「ちょっと黙れ、タイチ!見殺しにするのもどうかと思うし、今は連れて帰ってもいいでしょ!」
若い女性はかみつくような声で言った。
「あーあ、仕方ねえな。お人好しすぎて笑える」
「ほっとけ!」
カップルが漫才を繰り広げている中、杏奈は女性のスカートの裾を掴んだ。
「大丈夫です。しばらくは私が面倒を見ます。子育てしたことないからわからないけど……」
「ありがとうございます……私じゃ2人と一緒に生きることもできないから……」
若い女性は杏奈を車の後部座席に乗せ、杏助を抱きかかえて助手席に乗った。
車は走り出す。窓からは杏奈の顔が見え、彼女はずっと小梅を見ていた。
「……強く生きて。2人には……アレを持たせたけれど……」
♰
話を終えた杏哉はため息をついた。
「どうやってこの話を知ったのかは言わない。でもね、地図にない村は確かに存在する。天孫山の樹海の先にね」
「そうなんですか……」
「さて、俺は行ってくるよ。あの野郎をぶっ殺す。楽しいデートになりそうだね……♡」




