9,僕は嫌だ!
柄に埋まった石が光を発する。ドーを促すように点滅する。
螺旋石もドーを説得するようにその周囲を行き来する。
ドーは言った。
「ボクは嫌だ!」
ドーは布団をかぶって震え始めた。
「で、電車の中でスカートを切られたら、そ、そんなの、やっぱり警察に言うべきじゃん!!」
ドーは錯乱している。
「ふ、不協和音をぼ、ボクは恐れる!ぼ、ボクを倒さないでくれ!!」
螺旋石は布団の上からドーの身体の上を弾んでみたり、床をとんとんと跳ねてみたりする。
しかしドーは亀のように丸まって出てこない。
「いやだ!いやだ!いやだ!俺は童貞のまま、この平凡な誰にも見つからない人生を送るんだ!勇士だと!?冗談じゃない!!それにもし俺が魔王だったらどうする!?勇士だろが魔王だろうが、人間としての暮らしを失うことになる。莉乃にも会えなくなる!!誰にも会えなくなる!!」
「全部夢なんだ。幻覚なんだ。ハッサンから飲まされた変な紅茶には変なクスリが入ってるんだ。カオサンはきっと何らかの密輸に関わっている。変なクスリを運ばされている。自分でもわかってないままクスリを吸ってしまってわけがわからなくなっているんだ。こんなでたらめな人生。みんなわけがわからなくってるんだ!」
螺旋石は暫く漂っていたが、やがて力なく床に舞い降りると、そのまま動かなくなった。
「どうやら巻いたようだな」
カオサンは多摩川グラウンドにいた。裏通りから裏通りを抜けて葦の茂みを抜けて少し川辺を歩いてから石垣を這い上がった。
「はあ、疲れた」
そう言うとしばし芝生に寝転がった。
「しかし妖魔とは、なんだ?」
断片的に甦る記憶は追ってくる相手が『妖魔』だと自らに告げている。
「俺は誰なんだ?あの若い衆は何者なんだ!?時空海賊だと!?この、俺が?」
自分の左腕を見た。今のところ左腕に埋め込まれているという『サイコ・ブレード』は微塵も存在しない。
「まるでマンガだ!」
カオサンは左腕をさすって自嘲の笑みを浮かべた。
数日前の出来事を順を追って思い返した。
「しかし……」
バカバカしい!とも言っていられない。
「ドーは逃げ切れただろうか?」
カオサンはしばらく寝転がった後立ち上がり、歩き始めた。
また道なき道を超えて、路地裏から路地裏を抜けて新宿公園に向かうのだ。
土手を下り、葦の影に隠れながら進んでいくと橋の袂に人影が見える。
カオサンは身を潜めた。人影は二人の手下を連れて歩いてくる。
妖魔ではない、しかし不思議な、異様な空気を感じる。カオサンはやり過ごすことにした。
じっと葦の根本に身を沈めて足音が通り過ぎるのを待つ。
土手の上の道をゆく足音が止まった。やがて葦の手前まで下ってくる。
しゃがみこんでじっとこちらを見ているようだ。
「おい、そこで寝ている野郎!」
カオサンは疲れ切った浮浪者が葦の根本で眠っているように見せかけていた。
聞こえないふりをした。
男たちが葦を分け入って降りてくる。カオサンはめんどくさそうに起き上がった。
「ふあ~~~~?なんだい、人がいい気分で眠っているのに。食い物でもくれるのかい」
「あいにくと喰わせるようなものはもってねえ。ここで何してる?」
男とその手下たちからは実に異様な雰囲気を感じる。言うなればこの世のものとは思えない気配だ。
着ている服や身なりもこの時代の人間とは思えない。何かが、何かがおかしい。
(危険な相手だ)
カオサンは冷静に振る舞った。
「なんもねえよ。じっとしてるだけさあ~。」
逢魔が時とは今くらいの時刻を言うのだろう。カオサンの背中には冷たい汗が知らずに流れ出した。
男たちはじっとカオサンを見ている。
「お前は何のために生きている?」
「はぁ!?なんだいきなり。なんのためって……」
カオサンは男たちに背中を向けた。
「こんな人生、死んだも同然さ」
「お前は誰だ?」
「俺か、名前は……忘れちまった。みんなはマツムラとかカオサンって呼んでるよ!」
(俺は誰なんだろうな?なんだか、どれが本当の記憶かわからなくなってきたぞ)
「そうか。邪魔したな」
男はそう言うと背を向けて土手を登っていった。
(助かった)
ふうっと安堵のため息を吐いた。
足音が止まった。男が振り返ったようだ。
「ところでこれはあんたの落とし物じゃないのか?」
(落とし物、だと?俺、なにか落としたかな?落とし物を届けようとしてくれたのか?案外いい人かも?)
カオサンは起き上がって振り返った。
男の手にはバッジのようなものがある。
「あ、それは!」
カオサンは立ち上がると自らも土手を駆け上がった。
「コルシアの紋章じゃないか!ああ、探してたんだよ。バイキル船長に追われてゼニムの谷に落としちゃったんだよな!おかげで国王の使いだとなかなかわかってもらえなくて苦労しちまったぜ!」
「ほう、やはりこれはコルシアの紋章か」
「ああ、間違いないよ。あっ、これは夢の話だけどな。あんたも『夢売り屋』行ったのか!?え!?な、なんだ!?」
男の手には銃が握られていて、その先はカオサンに向けられている。
「ああ、俺がバイキルだ」
「その、確か、時空海賊のなんとかってやつに船を破壊されるんだよな?」
「そいつを追ってこの次元にやってきたのだ!この紋章を知っている者がその時空海賊……」
「ゼブラってわけか」
カオサンが言うか言わないかの間にバイキルはレーザーガンの引き金を引こうとし、それが引き終わる前にカオサンがブレードに変異した左腕を振るったことによって叩き落されていた。
「グアアアアアアアッ!!」
バイキルが絶叫した。
「貴様あああ!ゼブラの転生だな!」
「そうらしいぜ――っ!!」
カオサンは手下が銃を抜こうとするその足元に滑り込むと両スネを叩き切った。
崩れ落ちる身体を盾にしながら死角に潜り込むともうひとりの手下の脳天から一撃のもとに切り伏せた。
「やい、逃げるのかバイキル!王女の依頼はまだ終わってないぞ!」
背を向けて駆け出したバイキルが振り返る。
「逃げたわけではない。これだけ距離があればその剣も届くまい」
バイキルはレーザーガンをカオサンに向けた。
「それは、どうかな?」
カオサンが腕を振るうとその剣の先が光線のようにほとばしり、バイキルの身体を貫いた。
「王女プリシア、あんたのアニキの敵はとったぜ」
宇宙海賊ゼブラことカオサンは、プリシアの兄キルミスター王子の形見であったコルシアの紋章をバイキルから取り戻した。
「ってことは、俺の相棒もこの世界のどこかにいるってことだな」
女子高生型戦闘アンドロイド・アイガのことである
「どんな顔してたっけ?」