3、妄想ガールフレンド
カオサンは松村という名前らしい。誰も本名とは思っていない。だがこの町ではそれで充分なのである。あるときから、またはそれ以前からか、町外れの廃墟に住み着いたとされているが定かではない。
バブル景気崩壊後、そして少子化時代になってこの街にも廃墟や空き家が目立つようになった。
土地神話が永遠に続くと思われていた時代、一戸建てを所有することが生涯の夢だった時代が確かに存在したのである。
ドーはカオサンに気に入られているようで、時々用事を押し付けられる。その代わり時にはお礼として、どこが原産地かわからないお菓子やどこから拾ってくるのかわからない、何に使うのかわからない不思議な機械や石をくれる。ドーはカオサンが嫌いではない。
もっとも今はテーの部屋を調べることが先だ。鍵穴に鍵を差し込む。
しかし鍵が合わない!
何度もガチャガチャとやっているとガチャリと開く音がした。
それは隣の部屋のドアが開く音だった。
「なにしてる!?」
ハッサンだ。
ドーは鍵が合わないことをゼスチュアで示した。ハッサンは鍵を強引にねじ込むとノブを力任せにひねった。ドーはそれを制止した。
「うちで紅茶を飲んでいけ」
ドアは開きそうもない。
壊すわけにはいかないが、いざとなれば大家の立会の元で壊す必要もあるだろう。
ハッサンの部屋で紅茶をごちそうになった。
ハッサンはドーの姿を見かけるといつも招いて紅茶を飲ませるのである。
その目は妙な光を放っている。ドーは何故か断ることができない。ハッサンはタビーブ、つまり医者である。免許はない。部屋にはどこからか調達してきた医療器具や薬剤が保管されている。保険証のない外国人のために診察をしているのだ。
「どう?」
「どうって、おいしいですよ」
「テーちゃん、見つかるといいね」
ドーはカオサンのことを聞いた。
「何かまた用事ですか」
「ドーちゃん、高い所にいた?」
「ええ、地上、何千メートルもの、40階だから、地上なんて蟻の国ですよ」
「カオサン言ってたよ。ドーちゃんに会ったら、頭の上に気をつけろって」
「鳥のうんこでも降ってくるんですかね」
「見張てる奴らがいるて。ソイツラも高い所にいるて」
奴ら?
「カオサン笑いながら言ってたよ」
「笑ってたんですか」
「ドーちゃん、アンタ、これ試してみな。身体が強くなる」
ハッサンは用意しておいたらしい粉末をドーに飲むようにいった。
試せということだが、ドーは断れなかった。
ドーの部屋の明かりがついている。路上からドーはそれを見た。
(テーが来ているのか?)
ドーはコーポ・ミヤネ、つまり自分の住むアパートの階段を駆け上がった。
鍵を開けて中に駆け込んだ。しかし真っ暗である。
「あれ!?どうなってるんだ。道から見たときは明かりがついていたのに」
テーが潜んでいるのか?
「テー?隠れてるのか?おい!今日は莉乃に会ってきたんだぜ!」
テーではないとすれば何者だ?カオサンが言ったという「頭上の奴ら」だろうか?
カオサンは笑っていたというが、彼はいつも笑っているのである。
深刻さから開放された人生を送っている人物である。
部屋の一角がぼんやりと浮かび上がるように光っている。
ドーはつけたばかりの部屋のあかりを消した。カオサンからもらった石が光っている。
今からカオサンの家に行ってみるか!そう思った矢先、睡魔が襲ってきた。
今日は朝から緊張しっぱなしだった。
ドーはスマートフォンの莉乃の画像を見てから眠りについた。
マスターが店内のテレビを指差す。
「ドーの友達の莉乃ちゃんと、この莉乃ちゃんはどっちが可愛いんだ?」
ワイドショーの芸能コーナーでは今夜から始まる新番組の紹介VTRが流れていた。
『アイドルグループ「博多めんたいっ子」の荻原莉乃さんでーす!!』
大歓声に包まれて莉乃が登場し、司会者のこれも国民的スターである中野マサヒロと軽妙な掛け合いを展開している。
「この中野クンもさ、元アイドルだよな」
最近解散した国民的男性アイドルグループSTAPサイボーズのリーダーである。
「40過ぎて『中野クン』もどうだろうな」
おかみさんが応えた。
「今もアイドルだよ。それがいいんじゃん。最近のアイドルは寿命が長いのよ」
「俺達とそれほど変わらんトシだぜ」
「じゃ私もアイドルになれるかしら」
そういってカウンター席のドーをちらりと見やるのでドーは微笑みを返しておいた。
「でもさ、この莉乃ちゃんは前はなんだっけ、『アキバ・レジェンズ』にいたんじゃないの?『博多めんたいっ子』て九州のグループだろ。いつのまに移籍したんだ?どういう関係なんだ?」
「だからー、全部まとめて『国民的アイドルグループ』なのよ。国民的アイドルグループには地域ごとのチームに分かれてる。莉乃ちゃんは元々九州の大分から出てきて『アキバ・レジェンド』に入ったわけ。」
「おう、前田靖子や大下優子のグループだろ。今は誰だ?渡部マーユが継いでるんだろ。それくらいは知ってる。でも莉乃ちゃんはなんで九州へ?里帰り?なんで最初から博多めんたいにはいらないんだ?」
「だーかーらー、この子、男スキャンダルやらかして九州送りにされたのよ。レジェンズでセンター候補だったけど降ろされて、できたばかりの新人グループの『めんたいっこ』に飛ばされたの」
「でも相変わらず東京の番組に出まくってんじゃん?」
「本当ならクビのはずなんだけど、この子トークが上手いでしょ?それにほら秋長康人のお気に入りだからって、形式だけの左遷という形で許してもらえたのよ」
「秋長ってあの、俺達が若い頃にあった、あの『にゃんにゃんクラブ』の!?」
「そうよ!『夕焼けニャンギラー』で『ねるたんず』にイジられてた秋長クンよ!あんた知らなかったの!?秋長さんがにゃんにゃんクラブの妹分として作ったのが『国民的アイドルグループ』なの」
「へー、だれが新田エイミィの妹なんだよ!?妹っつか娘だな!それでこの莉乃ちゃんとその莉乃ちゃんはどっちが可愛いんだよ?」
ドーは口ごもった。
「ばっかね。オレの友達の莉乃ちゃんだ!って即答しなきゃ」
おかみさんはコロコロと笑った。
「ねぇねぇ、どんな子なの?画像とかないの?」
「いえ、そういうのは……」
「そんな子、実在するのぉ~」
「おいおいおい!」
たしなめられたおかみさんもバツの悪い顔で舌を出す。
(マスター夫妻もやはりそんな目で……)
妄想ガールフレンドだと思われていることを知ったドーは言葉にならない悲しみを感じた。
莉乃が送ってくれた画像を見せたくなった。ただならぬ雰囲気を察したマスターが顔色を変える。
「まさかお前、莉乃ちゃんって……。そういやお前も大分出身だったよな?」
「いえ、僕の知ってる莉乃は『小倉莉乃』だから。『荻原莉乃』ちゃんとは別人ですよ。もーやだなぁマスター、そんな目しちゃって!そんなわけあるわけないじゃないですか!僕にアイドルの女友達がいるなんて!」
マスターもおかみさんも笑った。なんとなく聞き耳を立てていた他の客も小さく笑いあった。
「あ、そういやドーお前、松村のおっさんが探してたぜ。」
「ここに来たんですか?」
「いや、昨日店を閉めてさ、駐車場へ行く途中で出くわした。あれは待ち伏せしてたね」
「まぁ怖い!」
「怖くはないですよ」
「前にも言ったけどさ、あまり深入りすんじゃねえぞ。あのおっさん元ヤクザだぞ。」
ドーは応えずに朝食をかきこんだ。
『いつもの店』を出てから暫く歩くとドーの胸には猛烈な不安が押し寄せてきた。
もしかしたら全ては妄想ではないのだろうか?
30歳を過ぎて童貞の自分が国民的アイドルスター荻原莉乃と幼馴染など、誰に話したところで信じるというのだろうか。不法滞在のモグリ医者・自称アラビア人のハッサンに飲まされた紅茶、らしきものには何らかの催眠成分が含まれていて、その作用でミジメな幻想を見せられているのではあるまいか。
小倉莉乃が荻原莉乃の本名である。小倉家とドーこと土手明の土手家とは母親同士が親友であり、家族ぐるみの付き合いであった。莉乃がアイドルのオーディションを受けるため東京に旅立つホームで見送ったのはドーとその親友テーこと天馬伸彦である。倉田莉乃が荻原莉乃を名乗るには理由があった。それを知っているのは莉乃の母と家族以外ではドーとテーだけである。
ドーは画像フォルダを開けようとしたが手が震えて開けられない。昨夜は確かにあったはずだ。そう言い聞かせた。そういえば、この街で再会してから莉乃は画像を一枚たりとも送ってくれたことはなかった。ドーから頼んだこともない。そんな勇気はドーにはない、というよりも莉乃の信頼を壊してしまう気がしたのだ。ドーは今になってやっと気がついた。莉乃は未だ自分の画像をプライベートで送ることにためらいがあるのだ。ドーはフォルダを開いた。莉乃は確かにドーに向かってウィンクしていた。笑顔であることはマスクに覆われていてもわかる。アドレスにも『倉田莉乃』の表示がある。ドーは安堵のため息をついた。彼女は幻ではない。




