18、時間と空間
「雨雲か」
カオサンは池袋にいた。雨雲が移動してくる。その間を縫ってヘリが飛んでゆく。
(妖魔は巻いたか?この雑踏に紛れ込めばさしもの妖魔も無茶はできめえて)
サンシャイン通りの昼下がり、平日ながら人が溢れている。
(ここなら大丈夫だ。木は森に、人は人の中に隠れよってね)
そんなことを思っているうちにまた不安が押し寄せた。
カオサンを見る人々の視線だ。奇怪な人物を見る目なのだ。
(いけねえ。今日は走りまくって、おまけに戦闘までしたんだ!)
汚れたシャツ、何日も風呂に入っていない、しかも人相の悪い中年男である。
(そんな目で見ねえでくれよ。これでも一応正義サイドなんだぜ)
カオサンは笑顔を浮かべて鼻歌を歌った。人々は波が引くように道を開ける。
冷や汗が全身に溢れた。
(こんなところでサイコブレードが反応したら……!)
今でも人々は不思議な生き物を見るような目を向けている。
(俺こそまさに妖魔だぜ!)
カオサンは走り出した。ポツポツと雨が振り始めた。なんとかまた路地裏に紛れ込んだ。
「なんてマヌケなんだ。なんで約束の時間を明日にしちまったんだ」
妖魔から逃れるためとは言え、明日の朝までは時間がありすぎる。
「俺もドーもバカだからな!」
カオサンは自分の左腕を見た。
「だが時間があるということは、こいつを使いこなせるようになる時間もあるってことだ」
元々使いこなしていたはずのサイコブレードである。
「思い出せ……、思い出せ……。俺は無敵の時空海賊ゼブラなんだ!!」
自分に言い聞かせるたびに気が抜ける。
(そんな漫画やラノベみたいな話があるのかよ~~!!)
「うわっ!」
ぼうっとおぼろげな光を発してカオサンの左手の先が変異を始めた。
「こうなったら信じるしかないわけさ。思い出せ、思い出せ!!確かこうやって……」
左手は完全に剣に変異する前の段階、丸っこい光のカタマリだ。
「まるでドラ○もんの手じゃねえか!」
カオサンはその光を右手で触ろうとした。
「うぐわっ!!あ痛っ!!」
血が滲んだ。
「なんて危険なんだ。自分にも容赦なしかよ」
壁に当ててみた。ギリギリと音がして壁が削れる。
「こいつはトンネル掘りの会社が作れそうだな。アイタタ……痛い」
猛烈に頭が痛くなった。頭に手を当てようとする。髪が焼ける。
「うわわわっ!しまった!だからダメだっての!!とほほ、もう背中もヘタにかけない。うぐっ!」
突如、脳裏にイメージが浮かんだ。女の姿だ。
(だ、誰なんだ?里奈か?)
里奈はカオサンの元妻の名前である。
(里菜、今どこにいるんだ。どこで何をしているんだ。誰に、抱かれているんだ)
ぐっと力を込めると左手の光が鋭い剣の形になった。ふっと力を抜くと元の手に戻る。
「記憶より以前にある感覚、これなんだよな。だけどもどかしいもんだな。自分でも自分に説明できねえってのはよ!」
何度も繰り返した。空きビルに潜入すると練習にはおあつらえむきのホールを見つけた。
何度も腕を振るう。
「コツを掴んだ、いや、思い出してきたか?」
ブウン!ブウン!ブレードを振ってみるといい音がする。
「これで雨もしのげるか……、ぐっ!」
また激痛だ。今度は素早くブレードをしまうとカオサンは両手で頭を抱え込んだ。再び女のイメージが浮かぶ。
(里菜……、呼んでいるのか?)
ふらふらと路地裏に舞い戻りブレードを振るった。カオサンの周りには湯気が立つ。雨が蒸発していく。
「傘の代わりにゃなんねえな。世界の平和も大事だが、問題は今の雨」
ブレードをしまうとカオサンは近くにあったミニスタンドから風俗店のフリー求人誌を一冊ひっこぬき、頭にかざしてサンシャイン通りをさまよった。
今は人々は傘をさしているからそれを傾けてカオサンを遮蔽する。カオサンは駆け出した。
「里菜!」
「え!?」
制服の女子高生が振り返った。
『フォーチューンセンター』の屋上にドーと莉乃はいた。
「それで妖魔って?いったいなんなの?『ラウムの破片』とかさ、平手先生は一体?」
「いや、その、よくわかったんだよ。よくわかったんだけどさ。これをなんと伝えたらいいのやら」
平手ユリ先生はドーと莉乃を『神殿の間』に迎え入れると儀式を行った。エネルギーを充填した水晶をドーに渡すと螺旋石が強く反応した。
「俺の中に、色んなイメージが流れ込んできたんだ。なるほど、そういうことか!っていうね」
「ぶわーっと映像が見えたわけ?」
「そう、そんな感じ、なんていうのかな、ドラマなんかで人が死ぬ前に一生分を思い出すというじゃん?その映像みたいな」
「いやだ、縁起でもない」
「いやいやモノのたとえだよ。映像の早回しのような、20世紀を振り返る~!みたいな。とにかく俺にはよくわかった」
「私にはよくわかんない!つまんない!」
「うーん、だよなあ。でも俺にこういう力が与えられたのも、莉乃がいてくれたからなんだ。いってみれば莉乃もまた、ひとつのアイテムってところかな。クリアに絶対必要な、マストアイテム」
莉乃は複雑な表情を浮かべて空を見る。
「リアクションのとりようがない。喜ぶところなのか残念がるところか、またその他なのか、よくわからんやねんさかい」
ヘリコプターが降りてきた。莉乃の事務所が廻してくれたものだ。屋上に着陸したヘリコプターに二人は乗り込んだ。
「おかえりっ!」
莉乃のマネージャーが仏頂面で待っている。
「いやいや、ごっめーんっての!」
「謝り方が足りないよ!どれだけ心配したと思ってんの!今からでも撮影にはギリギリだよ!」
「いやもうほんとごめんって!」
「すいませんでした」
ドーも平謝りだ・
「え!?ドー君!?」
最高級スーツに身を包み最新のヘアスタイル、メイクまで決めているドーを見てマネージャーの顔が思わずほころんだ。
「まぁ、おほほほ。二人が無事ならそれでいいのよ。ほほほほ。莉乃もまたどうしたの、どこかのプリンセスみたいじゃん」
「これはその、平手先生がプレゼントだって」
『離陸します。会話はしばらくご遠慮ください』
「あ、はーい」
「ううっ!」
「きゃっ!」
離陸時のいわゆる「G」、重力加速度が身体にかかる。
「ジーがこんなに凄いなんて……」
みるみるヘリが上昇していく。
「ちょ、ちょっと怖いかも」
莉乃が思わずドーにしがみついた。
「俺も怖い」
莉乃はドーの腕をとると自分の肩に回した。細い肩は柔らかく、それでいて温かい。
「え、おい、莉乃!」
「ここならスキャンダルにならない」
「私も!」
マネージャーも後ろからドーにしがみついた。
雨雲は既に移動しており空は晴れ渡っている。虹の中をヘリは超えていく。
「わー、きれい!今ちょうど虹の中だよ!ちょっと指差してみて」
莉乃が自らに巻きつけたドーの手を持ったまま、その人差し指を空にむける。
「そ、そうだな。とても、きれいだ」
やがてヘリは安定状態に入った。
さりげなく身体を離して後部座席で余裕を見せていたマネージャーが咳払いをした。
「おふたりさん!」
莉乃はドーの身体にしがみついたままだし、ドーは莉乃の肩に手を廻したままだ。
「お、も、もう、大丈夫そうだぞ」
「なんだか一緒にお布団で寝たこと思い出したね」
「あ、ああ」
ドーは思った。
(莉乃にとっては懐かしいだけなのかな?)
「でもさー、平手先生が最後に言ってたけどさ、いるんだよねえ~。仕事はやたらできるのに恋愛のこととなるとさっぱり、っていう女子!」
ドーの制止も聞かず莉乃は平手先生にドーと「ドーが恋している女性」との相性診断を聞いたのだ。
ユリ先生は苦笑いを浮かべながら言った。
「莉乃さんは察しがいいからサッシーって呼ばれてるのよね?」
「ええ、業界では……。優秀バラドルだそうです」
「ドー君が好きな人はね」
顔を真っ赤にしながら慌てて立ち上がろうとするドーを制するとユリ先生は言った。
「まっすぐで純粋な心を持った、とても優しい女の子」
「わー!よかったねドー!」
ドーはますます顔が赤くなる。
(それって……)
「色も白くて八頭身、スタイルもとってもいい」
「ふわぁー!ふわぁー!そうなんだあ-!」
「でもね、その子も気づいていないけど、本当は恋愛にとっても臆病で、恋愛にだけは、なぜだか鈍感、とにかくサッシーじゃないのよ」
莉乃はうんうんと頷いている。
「そういう子っているんだよねえ~」
「そしてその子はいま、恋愛にものすごく臆病になっている。だからドー君はね、今はそっと見守りたいと思ってるのよ。ドー君は彼女をモノにしたいだとか、そんなふうには思ってないの」
「へー!さすが童貞だね!」
莉乃が感心したようにドーを見上げる。
「彼女が本当の自分を取り戻して、振り向いてくれる日を待っている。だから相性はこの場合、彼女次第ってことかな」
ユリ先生はそういってドーにウィンクをした。
ヘリは池袋上空に差し掛かる。雨雲が広がっている。
「……そういうのも、か、可愛いじゃん」
ドーが頬をポリポリと掻きながら言った。
「ドーはそれでいいの?」
「俺は、その子が幸せになることが一番の願いだよ」
「ひゃーっ!!出たよ!出たよ出たよー!」
莉乃は肘でドーを突っついた。
「な、何が出たんだよ。ったく……。だけどさ、莉乃はさ、バラドルなのかよ?」
「なーに、話変えようとして」
「バラドルなのかよ?」
※バラドルとはバラエティ番組を主戦場として活躍するアイドルのことである。
「えっ!?いや……、それは、まぁ、そんなふうに言われがちだなって」
「莉乃は正統派アイドルだと思うよ」
「え、なんで!?」
ドーの真顔に思わず莉乃も真顔になる。
「理由なんてないよ。ア・プリオリにそう思うのさ」
「まーた、出たよ出たよ英単語が!」
「これはフランス語。言ってたのはドイツ人だけどな」
東福荘に住む、これまた不法滞在ドイツ人の自称哲学者、アンダーセンさんのお気に入りワードである。
「ア・プリオリというのは経験以前の感覚だそうだ。つまり本能的、みたいな。」
「感覚以前?」
「俺達は『時間』と『空間』のなかに現れたものしか理解することができない。つまりは時間と空間が感覚以前の前提条件として存在するわけさ」
「ほほう、まぁ確かに、世界のどこにいても、どんな人種でも、どこの国民でも、世界は時間と空間の中にあることだけは確かね」
「そこで妖魔のことも、記憶以前にある感覚として理解できるんだけど、なんて伝えていいのかわからない」
「私はメディアからはバラドルだとか肉食系と言われてるけど、本当はそうじゃないかも、みたいな?」
「本当の自分というものは自分でもなかなかわからないものなんだよな」
「カントは……」
副操縦士がおもむろに振り返った。いや、その人物は正確には副操縦士ではない。操縦士の隣に座っていた人物だ。彼は言った。
「カントはこうも言ってる。『時間と空間は人間の側にある』とね。時間は世界が与えるものではなくて、ボク達人間が世界に与えるものだ。人間はただそこにいて感覚と印象を受けるマシンではなく、この世界に意識の力によってフォームを与えるクリエイティブな存在だということだ」
そう言って彼はいたずらっぽく微笑んだ。目を丸くした莉乃が両手で口を抑えながら驚嘆の声を上げた。
「秋長先生!!」
そこにいたのは偉大なる国民的作詞家にして天才放送作家、そして国民的アイドルグループ総合プロデューサーにして芸能界のゴッドファーザー秋長康人だった。