11,宇宙の果て
「ごちそうさまでした」
ドーが頭を下げた。
「おう」
マスターはそれ以上言葉を発することができなかった。
「マスター、おかみさん、今日までお世話になって、ありがとうございました」
「何言ってんのよドーちゃん」
「そうだよ。どうしたんだよお前」
「誰かが僕のことを聞いても、そんな童貞知らないと言って下さい」
昼下がりの駐車場にクルマはない。ドーは空を眺めていた。
夢を見ているわけではない。ではどうするか?
スマートフォンには受信可能を示すアンテナが立っている。
強くなったり弱くなったり。店の外まで電波は届くもののやはり完全ではない。
ドーはカウントダウンを始めた。
10……9……8……。
ドーは莉乃とテーと過ごした楽しかった日々を思い出した。
7……6……5……。
「俺は童貞だけど、きっと幸せだったんだ」
4……3……2……。
ドーは莉乃のことを思った。
(俺は無職童貞、莉乃は人気投票1位のスーパースター、もはや完全に別世界だな)
空はどこまでも続いている。宇宙まで、宇宙の果ての永遠の彼方まで続いているのだ。
(俺がいるところはいつだってなれの果てだ)
1……0……。
ドーがまさにスマートフォンの電源を切ろうとした瞬間だ。
『小倉莉乃』の表示が画面に現れた。少し遅れて着信音が鳴った。
「ドー!?」
「り、莉乃……」
「あんた変なこと考えてない!?」
「変なことって……」
「いーや、考えてる、今そっちに向かってるから、そこを動かないで!」
「だーかーらー、あんたの位置がこっちのスマホに表示されてるの!そういう仕組みになってんの!クルマでそっち向かってるから!」
莉乃が受信した位置データはナビゲーションシステムに転送されている。
「私は芸能界に入ってひとつわかったことがある。挫折と呼ばれているものは回り道にすぎないってこと。遠回りしたって目標が見えている限り必ず到達できるの。努力は必ず報われるんだよ!」
「わかるよ、あんたが考えてることは私にはわかるの!空も宇宙も人も全部つながってるんだよ!私とあんたは同じ世界に住んでるの!会いに行こうと思えばこうやって会いにいけるんだよ!」
「何いってんのよドー!あんた男でしょ!!」
ランチタイムもピークを過ぎた。客も既にまばらだ。入ってきたドーを見て片付けをしていたおかみさんが手を止めた。マスターも気がついた。
「おう、おかえり!早かったな」
「慌てなくてもいいんだよ。ドーちゃんまだ若いんだし」
「コーヒー飲むか?」
「二杯お願いします」
「二杯?」
「友達の分も」
マスターはおかみさんと顔を見合わせた。
「お、おう。」
やがてサイフォンから二人分の新しいコーヒーが抽出された。
「お待たせ。友達の分は来てからでいいか?」
「いえ、一緒に。彼女はもう来ています」
人が入ってくる気配は感じられない。マスターは何も言わなかった。
「お、おう」
マスターが無言で二人分のコーヒーをドーの前に並べた。
ドーが繰り言のように呟いている。
「悔しいけど、俺は男なんだ。童貞だけど。童貞だけど……。」
そんなドーを見ておかみさんがそっと涙を拭った。
最後のランチ客が自分と入れ替わるように店に入っていく細身の女性を振り返る。
(おおっ!まるで芸能人みたいだな、って。えっ!?国民的アイドルグループの!?まさか!)
「お待たせ!!」
ドーの隣に座ったのは本物の『荻原莉乃』だ。