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3 諦めの悪いあと一歩

3 諦めの悪いあと一歩


 美しい海の底の、青を透かして輝く水晶の城の扉。

 その錠の開く音が、空と海に響いた。


「ただ健気なだけじゃなかったと思うのですよね。彼女は勇敢なお姫さまだと思うのです」

 鱗のようなフリルのついた白いビキニの、首の後ろと腰で結んだリボンを揺らして、ヒメは高い天井を見上げる。

「なんで?」

「まったく知らない世界に、たったひとりで飛び込んで行ったからですよ。分の悪い賭けだろうと、死んでしまうとしても、それでもいいとたったひとつ、追い求めたのは宝ではなく恋で、愛したひと。悲恋なんかじゃ、悲しい恋なんかじゃ、人魚姫にとってはなかったと思うのです。幸せだったろうなって、最期はわらっていたんだろうなってヒメは思うのですよ」

 どんなに美しい海の底も、人魚姫の心を引き止めることはできなかった。

 どんなに痛みがともなおうと、幸せだったのだろうと思う。

 海の底で何百年生きても手に入れられない幸せを見つけてしまった。

 ほんのわずかな時間でも、手に入れたいしあわせを見つけた。

「それが、すき?」

 エソラが問うた。子供のような、そんな口調で。

「それも、すき。ですよ」

 痛くても、かなしくても、さびしくても。

 じゃあ嫌いになりましょう。無関心になりましょうとなれないから、すき。

 恋も愛も、嫌いになったってどこかで好きだから困るのだ。

 嫌いなのに好きで、好きなのに嫌い。

 大嫌いだけど愛してる。

 それがまかり通るから「すき」は不思議だ。

「機械的、じゃないね」

 ふうん、とエソラは首を傾げた。

「機械的に言えば俺はアンドロイド。恋なんてわからないけどね」


 金銀財宝は、人魚姫にちなんでか宝石の比率が高い気がした。真珠のあしらわれた金の王冠もある。

 まずは宝が全額どれほどなのかを見なければならない。その辺りもキュートが録画しているので、依頼達成の連絡に証明データとして添付する。そもそも依頼主のほとんどは、電子コウモリでライブ中継されている映像をチェックしているのだが、一応マナーとしてだ。

「ヒメ、あれは?」

 エソラが指さす先には、消えかけた城の窓に引っかかっているネックレス。

 大きなサファイアのあしらわれたそれは、いまにも落ちそうに揺れている。落ちたら壊れてしまうだろう。見上げたヒメは、ひょいっと消えかけて、輪郭の曖昧になりつつある城の柵や壁を上手く伝って、あっという間に窓枠にたどり着く。

「オイラが行くっすよって毎回ってんじゃないすかー!」

 ロードの小言と、あーあと言った顔で見上げるエソラにも慣れてきた。手早くネックレスを取って、降りていく。これで最後と足をかけた柵がぐらりと揺れて消えた。

「あら?」

「お嬢! え、ちょお前!!」

「びっくりしましたー」

「びっくりしたのは、俺」

 体勢を立て直して着地しようとしたヒメを、エソラがキャッチした。

「ありがとうです、エソラ――あ」

 するり、と白いビキニの上のリボンがほどける。

「……あ、下も解けそうでした」

 戦闘でゆるんでいたのがいまので限界を迎えたらしい。

「おおおおおおお嬢?!」

「大丈夫ですよー。ほら、これくらい現代っ子として当然の――エソラ?」

 腰元のリボンを結び直していると、エソラが身体を離していく。

「……おいトサカ。いまなら言い訳聞いてやるっすよ」

「エソラ? どうしたんです?」

 真っ赤な顔のエソラがそっぽを、首が痛くなるんじゃないかというくらいにヒメから逸らしている。

「それ、解けたって言ったから。俺は機械的に言えばアンドロイドだけど見たらだめでしょ」

「別に見たっていいですよ?」

「ヒメ?!」

「だってこれ、リボンは飾りですもん」

「え」

 紐のビキニも素敵だけれど、解けるのを気にして戦闘がおろそかになっては意味がない。ヒメのビキニはきちんとホックが付いており、それを隠すようにリボンを結わえるデザインになっていた。下も同じで、両サイドを紐でリボン結びにしているように見えるデザインだ。

「勘違いしたにしても、一緒にお風呂入ったじゃないですか」

「お嬢あのとき水着着たって言ったっすよね?!」

「まあ、バスタオルは巻いてましたよ?」

「着てた! ヒメ水着着てた!」

「うっさいわこのエロトサカ! お嬢の何想像してそっぽ向いたんじゃゴラ……」

 慌てるエソラに、背後に鬼の見えるロード。

 なんだかおかしくって、ヒメはわらってしまった。

「わらってないでどうにかして」

「お嬢に何言っとんじゃエロガキこのトサカ野郎がぁ!!」

「ロード、口調が乱れてますよ」

 赤みの残る頬で、無表情にヒメを見るエソラだが、顔にはしっかり「なんでもっと早く助けてくれなかったんだ」と書いてある。ビキニのデザインも焦ってしまってバツが悪いらしく、むっとした色も伺える。

 ロードをなだめて、依頼主への連絡を済ませたところで――けたたましい音が鳴り響いた。


 ★


「魔宮発生……近いですね」

 キュートから発せられていたのは、魔宮発生の緊急速報のアラームだった。

 手早くシャワーを浴びて、いつものえんじ色のパーカーを羽織ったヒメが呟く。

「ないよ、そんなとこに魔宮はない」

 エソラが淡々と指をさす。

 確かにエソラの青い光の地図、世界中の魔宮が載っているというその地図には、魔宮を示す星のアイコンはない。ヒメの手持ちの地図でキュートに届いた情報と照らし合わせて調べて、それでもエソラの地図には点滅どころか、攻略された魔宮の白い星すらも、何の印もない。

「その地図に間違いとか、バグが起きてるとかじゃないんすか?」

「博士の作ったものは、そんなふうにならない」

「でも、実際にこうして緊急速報がきていますし……」

「行きたいの?」

 エソラが聞いた。

 何でもないような顔をしているけれど、ポーカーフェイスはまだまだロードには敵わない。魔宮の中に広がる物語も、先に入った依頼主が情報として公開していた。

 ヒメの疑問を、エソラの感情をすぱんと切り替えるようにロードが言った。

「ま、とりあえずそこまで行くっすよ」

 ここにいたってお嬢の気は済まないっすから、そうでしょう?

「いいなら、いいけど」

「じゃあトサカは荷物、あのときひとまとめにしたの覚えてるっすか? それと、」

 てきぱきと準備が進む。

 魔宮が発生したらしい場所は、コトリ小町とは反対方向のトウジ峠の付近だ。車を走らせれば、コトリ小町より近いかもしれない。

 キュートが心配そうに擦り寄ってくる。

「大丈夫ですよ」

 頭を撫でて、先に車を出そうと声をかけて立ち上がる。


 緊急速報に書かれていた魔宮に広がる物語は、――かぐや姫。


 到着したトウジ峠の麓を、黒い霧が包み込んでいる。

 もともと人の住んでいない、荒れた土地には強い風が吹き荒れている。

 ――でも、何かおかしい。

 ヒメは霧をじっと見つめて、眉をひそめた。

「お嬢?」

「ごめんなさい、大丈夫ですよ」

 少し、違和感を感じただけだ。心配させるようなことでもない。

 白くないことは確かなのだから。

「誰もいないね」

「皆さんは、時間がかかるでしょうからね」

 集団が大きければ比例して、ヒメのようにさっとは動けない。

「ヒメ?」

 それまで何も言わなかったエソラが、そっと顔を覗き込んでいた。

 心配そうな色が、ヒメに向けられている。何でもないですよとわらって、自分の頬をばしっと叩いた。

 あれこれ考えるのは後だ。

 目の前のことを出来ないやつに、大きなことが成せるもんか。

「さあて、行きますか」

 不敵にわらって、かんざしをしゃらりと鳴らして高下駄で踏み出す。

 黒や紫色を基調にしたシックな色合いの着物ドレスの丈は、もちろんミニだ。

 ヒメの戦闘服。

 頷いたロードとエソラが方々に目を光らせて黒い霧の中に入る。

 ――黒、とは違う気がするのだけれど。

 ヒメの違和感は拭えないまま。


「お嬢、大丈夫っすか?」

「寒いけど大丈夫ですー!」

「俺は機械的に言えぶあっくしょい」

「さみーんじゃないっすか! 馬鹿なんすかお前?!」

 ずずっと鼻をすするエソラは無表情に「平気」と答えてまた鼻をすすった。

「かぐや姫の舞台って冬でしたっけ……?」

「ここまで寒いんすから冬も真冬っすよ?」

「凍てつく寒さだね、凍りそう」

「そうです――ね、」

 ヒメが空を見上げて目を見開いた。

 霧の晴れた夜空に浮かんでいたのは、現代の銀色のではない、柔らかな黄金色の満月だった。

 月夜と呼ぶにふさわしい、失われた優しい光が夜に包まれた世界を照らす。

「……危ないよ」

 ひょいっと腰を抱えられて、豪奢な日本屋敷の屋根の上に飛び退けば、地中から竹が突き上げていた。エソラは難なく飛び乗ったけれど、平屋とはいえかぐや姫の屋敷だけあって高い。

「ありがとうです、すみません」

「綺麗だからね、昔の月の色」

 俺はこっちのほうが好き。美味しそうで、冷たくなくて。

 何でもないことのようにエソラが言うので驚いた。エソラがアンドロイドであることを、知ってはいたけれど。

「見たことあるのですか?」

「たぶん?」

 月が凍ったのは百年以上も昔のことだ。

 懐かしそうな、少しだけ感情の宿る呟きは珍しい。

「……たぶんって、――エソラ、目を閉じてください!」

 口を開きかけたヒメがエソラを突き飛ばして、自分は反対方向に避ける。目を閉じ、顔を腕でおおう。

 瞬間、破裂音とともに、強い光が何も見えなくさせる。

 光で塗りつぶすような、無粋な光。

「閃光弾、ですか」

 殺傷能力はないけれど、くらえば、しばらくはろくに目が使い物にならなくなる。その間に攻撃を受ければポイントは減るばかりで失敗に追いやられるだろう。

 事前に公開されていた情報は、魔宮の物語が「かぐや姫」で舞台が月夜の日本屋敷であること。

 敵はかぐや姫を帰すまいと月の使者を追いやろうとする矢を構えた一団と、かぐや姫を取り戻さんとする月の使者。そして求婚した五人の帝もそれぞれ武器を構えており、おじいさんとおばあさんも例外ではない。

「娘や、どこにもいかないでおくれな」

 かけられた声はしわがれているけれど優しい、柔らかな声だ。けれど手には斧をもったおじいさんは、娘をどこにも行かせまいと斧を振り回し、おばあさんは誰彼構わず娘にしようと着物を持って迫り来る。美しい反物が意思を持ったように自在に動いて、おばあさんの望み通り標的を捉えようとする。

「娘、娘、わたしの可愛い娘にするのよ」

 飛んでくる反物に合わせて少し右に逸れると、ニーハイソックスとスカートの間を反物が掠めた。

 よく切れる紙のような感触に、ぴりっとした感覚が走り、ポイントが一減る。

「?」

 眉を寄せたヒメは、廊下を思い切り駆けて、裏から庭に出た。

 銃声が止むことなく響いている。今回はロードの他に銃を使うものは相手側にいない。閃光弾が魔法陣からこぼれては炸裂する。

「ロード!」

「お嬢!」

「ヒメは鍵を、いつものやり方で探します」

 サポートお願いします、と告げてから、感じ取った異変を伝える。

「了解っす。やってみます」

「もし当たっていたら、またここに戻ってきます」

 庭はかぐや姫を見送るラストシーンの場所だ。

 エソラはいつもどおりイレギュラーな存在を探しているだろう。ヒメのするべきことは鍵を見つけることだ。

 鍵が見つからない。

 それも、公開されていた情報の一つだった。

 煙幕が視界を遮り、着物の袖を矢が狙う。

「お気に入りなんです、破らせやしませんよ」

 トン、と軽い身のこなしで一斉に放たれる矢を避け、そのまま美しい絵の描かれた障子を開いては閉じ、駆ける。

 矢が突き抜けてこようと、当てずっぽうの矢に当たるヒメではない。実は撃ち方だってひと通り習ってはいるが、ほとんど避け方、回避の仕方だ。ヒメに銃を持たせることを、ロードは嫌がったから。

 ――自分が撃てばお嬢に怪我はもうさせません。

 そう言って、譲らなかった。

「さあ皆さん、わたしの望みを叶えてくださいな」

「?!」

 ゆうるりとした口調には温度がない。

 くすくすと、絹の触れ合うような美しい声は一切の熱を持たない。

 ぞっとして飛び退いた。

 金銀に輝く一際豪華な屏風の前にゆったりと座っているのは、絶世の美女。

 金糸銀糸に錦の織り込まれた美しい着物に身を包みながら、着物に負けない美貌で妖艶に微笑んでいる。

 取り囲むのは五人の帝。

「……お姫さまの登場ってわけですか」

「わたしの望みを叶えてくださいな」

 はやく、ほらはやく、と急かして帝たちに軽やかに触れる。白魚のような手が触れるやいなや、固まっていた帝たちの目がヒメを捉える。

 主人公は基本的に登場しない。

 でも、いないって訳じゃない。これまでにもそういう例はあった。迷宮にも、魔宮にも。

 五人の帝はかぐや姫の言いなりだった。かぐや姫が右と言えば右、撃てといえば武器を振りかざし、盾となれと言えば自分を顧みずにかぐや姫の盾となった。死んだとしても、一切のためらいなく。

「恋に死ぬとしても、どうして人魚姫とはこうも違うのでしょう、ね!」

 キリがなかった。

「はやく、望みを叶えて」

 動こうともしないで甘ったるい声が急かす。

 ああ気持ち悪い。

 願いが全て叶ったところで何も――何も?

 障子の開く音に目を向ければ、エソラが帝をぽいっと投げ飛ばしながら入ってきた。

 背中合わせに構えれば、しっくり来る。

「ヒメ、大丈夫?」

「ええ、エソラは何か見つかりましたか?」

「夜空」

「はい?」

「だから、黒じゃなくて、夜空だよ」

「……あ、それです」

 はじめに気付けばよかった、と自分に呆れ、それは後だとエソラを振り返る。

「ごめんなさい、エソラ」

「なんで?」

 怪我したの? と真顔で聞いてくるので首を振る。最近ほんとうにロードに似てきたのだ。

「違いますよ」

「?」

「エソラの地図の通りでした。これは魔宮でなく迷宮です」

 鍵は、ラストシーンの中です。

 首を傾げるエソラに、ヒメは上を指さした。

「エソラ、天井ぶち抜けますか?」

「出来るよ」

「そしたらヒメを真上に投げてください」

「は?」

「鍵、取ってきますから」

 はあああ、とため息をついたエソラがじっとりと恨めしそうな視線を送る。

「俺が先輩に怒られる」

「自分で屋根から行ってもいいですよ?」

「分かったよ、それならまだ俺のがいい」

 機械的に言えば、機械の俺は正確な動きができるから。

「はやく、願いを叶えて」

 かぐや姫はぞっとするほど冷たい、なのに甘く妖艶な微笑みで帝たちを操っている。

 エソラが黒い銃を構えて数発撃ち込むと、力任せに拳を振り上げた。

 銃声の後の爆音、ぱらぱらと木屑が落ちてくる。

 大きな穴が、ぽっかりと見事に開いて、月夜の光が室内に降り注ぐ。

「いくよ、ヒメ!」

「おっけいです!」

 エソラの手に足をかけて、狙いを定めた左手がヒメを空に向かって真上に投げた。

「わたしの望みを、はやく叶えて」

「……そこにいる限り、望みは叶いませんよ」

 ちらりと目のあった絶世の美女は、幼い子供のような目をしていた。

 少なくともヒメには、そう見えた。

「ロード!」

「ああもううちのお姫さんはどんだけじゃじゃ馬なんすかね!」

 空気砲がヒメの行く手を遮ろうとする、UFOのような乗り物を操る月の使者を吹っ飛ばす。的確に、乗っていた真っ白い人形のような姿の月の使いだけを落とす。空になった乗り物にヒメが乗る。

 操作なんて出来ない。

 それでいい。

 ただ、目的のものが見つかるまで飛んでくれさえすれば――

「あった!」

 黒い霧――ではなく、煤けた煙の中にきらめく光がひとつ。

 すすを払えば月の光を受けて輝く、金色の鍵。迷宮の鍵。

 煙の中を漂っていた鍵を掴み、壁に突っ込んでいく乗り物から飛び降りる。

「……ナイスキャッチです、エソラ」

「どういたしまして」

 横抱きにヒメを受け止めたエソラがそっと地面に下ろして、空を見上げる。

「イレギュラーなのは、誰?」

「その聞き方なら、エソラも分かってるんじゃないですか?」

 何、ではなく、誰。

 魔法陣から次々に放られる閃光弾をロードが視界の外へ撃ち飛ばしていく。

「お嬢! 言った通りでした!」

 矢を何本か適当にくらってみたっすけど、痛くないっす。

「ここ、寒いから?」

「その通りです。さすがですね」

 痛みによく似た感覚。

 痛覚ではなく、寒さで触覚が過敏になっていただけの、触覚があれば、誰にでも起こる現象だ。

「後ろ、来たっすよ」

 振り向いて、対峙するはかぐや姫。

「望みを叶えて」

 美しい立ち姿で月を見上げるかぐや姫。

 光る竹の中から赤ん坊としておじいさんに拾われて、老夫婦の娘として育てられたかぐや姫。

 成長するごとに美しさを増し、しつこい五人の帝たちには無理難題を押し付けて、結婚の申し込みを断るものの、満月が近づくごとにかなしそうに空を見上げるようになる。

 心配するおじいさんとおばあさんに、自分が月の住人であること、次の満月に月へ帰らなくてはならないことを明かした。おじいさんとおばあさんは帰りたくないのならずっとここにいればいいと、兵士で家を取り囲み、月の使者を返り討ちにしようとするが、かぐや姫は不死の薬を老夫婦に手渡し月へ帰っていく。

 けれど二人はかぐや姫がいない世界で長生きしても仕方がないと、一番高い山の頂上で薬を燃やしてしまう。

 煙だけでも、かぐや姫のいる月に届くようにと。

 閃光弾が爆ぜる。

 竹が突き出す。

 煙幕がもうもうと立ち込める。

 襲いかかるすべてを、ロードとエソラがなぎ払っていく。

 ふ、と合わせていた視線を外した瞬間にヒメが間合いを詰める。


「お姫さま、かぐや姫さん。――あなたの望みは何ですか?」


 錠の解ける音が響く。

 錠は、望みがないくせに叶えてと繰り返すかぐや姫だった。

 叶えてくれなんて、物語の中のかぐや姫は一度も言わなかった。

 鍵穴は白魚のような美しい手の、なめらかな掌に。

 ――普通に、暮らしていたかった。

 あのまま、おじいさんとおばあさんと、つましい暮らしでも、ささやかな幸せをかみしめて。

 国なんて、要らなかった。

 お金も、暮らせるだけあればよかった。

 また、会いたかったのに。――薬、燃やされてしまったのね。

「……だから、言わなきゃいけなかったんですよ」

 ヒメは誰にともなく呟いた。

 消え行く大きな屋敷と、黄金色に輝く月が消えていく。

「……それでもいいよって、私は、言ってもらえましたよ」

 金銀財宝の向こうから、ロードとエソラが手を振って駆けてくる。

 ヒメも応えて、手を振った。

 山と積まれた宝は純金ばかりで、辺りは黄金色に包まれていた。

「期待はずれだったね」

 エソラがちらちらと気遣うような視線を向けてきたけれど、ヒメは首を振った。

「いいえ、何も無駄なことなんてありませんから」

 意味がなくても、無駄にしない。

 遅すぎることも、早すぎることもない。

 何一つ、無駄なことなんてない。

「これくらい、現代っ子として当然のたしなみです」

 さすがっす、とロードがわらう。

 そっか、とエソラもわらった。 

 ちいさな、ちいさな、口角をほんのり上げただけの、優しい笑顔だった。


 ★


「お、出てきた出てきた!」

 赤い目の電子コウモリが飛び立って行った後、迷宮から出たヒメ達を待っていたのは軽やかな男の声。人気のない峠には戦車のように大きな迷彩柄のキャンピングカーが停まって、男と同じ年頃の女も立っていた。

「げ、トフィーじゃないっすか」

「トフィー?」

 ロードが言うか言わないかで、こげ茶色の髪をハリネズミのように立てた、声をかけてきた男がヒメに跪いて手を取った。メープルシロップ色のショートヘアの女は面白くなさそうな顔で、何も言わずに見ている。

「ヒメ、和服も最高に可愛く美しく綺麗だね。今回も素晴らしい活躍だったよ!」

「どうも、トフィーさん」

「そんな敬語なんて使うなよー、おれとヒメの間に遠慮はいらないっての」

「どうしてここにいるんです?」

「気になっちゃう?」

「いえ、横取りしてしまったかと思いまして」

 あは、とトフィーがわらう。

 嫌な予感がした。

「だって、依頼主おれだもん」

「そうですか」

「やっぱりさすがだよなー、すーぐ攻略しちゃうんだから――で、考えてくれた?」

「何度もお断りしたはずですよ」

「それでも何回でもおれは誘うよ? この『フラグメント』にさ!」

 ヒメは微笑みを崩さずに首を振る。

「なあーんでさ、おれらははぐれものばっかりの、破片の集まり《フラグメント》なんだから、何にも気遣いだって要らないし――ほら、ヒメは入ったらおれと結婚して副ボスか、二人でリーダーでもいいし。金だって、うちは、そこだきゃしっかりしてるんだからさ」

 あれこれとヒメを勧誘するトフィーは盗賊団フラグメントの首領ドンだ。

 砕けた口調に軽そうな、いかにも若者風の見かけながら頭の回転が早く、情に厚い。各地を旅してはぐれ者や外れものを集めて立ち上げた盗賊団フラグメントは、血も思考も関係ない。ただ目的が同じであれば入団条件を満たす。

 多種多様なメンバーたちによって、ヒメたち『魔女の末裔』が独走状態の中、フラグメントは迷宮のみに標的を絞り、場所も問わないため、匹敵する人気と実力を誇る盗賊団なのだ。

 そして、有名な理由がもう一つ。

「先輩、あれ誰?」

「盗賊団フラグメント、ボスのトフィーと後ろはアマンドっす」

「ヒメ、大丈夫?」

「あー……こいつらは、ずっとお嬢を『フラグメント』に勧誘してんすよ」

「勧誘?」

「うちの組織に入ってくれって言ってんすよ、お嬢はずっと断ってるんだからいい加減諦めりゃいいのにしつこいんす。大丈夫かってのは、まあなんていうか……慣れっすかね」

「慣れ?」

「ずっと、って言ったっすよ。何年も出待ちとかされてりゃ、多少慣れはするっすよ」

 苦手ではあれど、少なくとも、もう怖くはないみたいっすよ。

「ヒメヒメヒーメ! そろそろうちに来いって。情報網だってずっと広くなったんだ」

「ですから何度もお断りしているはずですよ」

「だあーから今日も来たんじゃん!」

「迷宮でしたので攻略しましたが、もう帰ってもいいですか?」

「うんって言うか嫁になってくれんならいいよー」

「ごめんなさい嫌です」

「そこだけいい笑顔だなあ! 辛辣だねー! あっは、そこも益々いいや」

 トフィーは困ったようにわらうしかできないヒメを離そうとしない。エソラがヒメの方に向かう。連れ戻しに来てくれるらしい動きを視界の端にとめて、ヒメがほっとしたのも束の間。

「いーい加減にィ……」

 それを遮るように、割り込むように、小柄な影がヒメに飛びついた。

「ヒメりんから離れろってんだバカ兄貴ィ!!」

「あがっ」

「あーもー素敵すぎる可愛い可愛い可愛いかあーわあーいーいィー!!」

「あ、アマンド……」

「なーァに? 何かなっ? アミー何でも答えちゃうよっ」

「少し、苦しいです……」

「やァーだもうっ! 愛情! 愛はときに苦しいものなのよっ」

「相変わらず元気そうですね、お久しぶりです……」

「アミーは毎日だってヒメりんに会いたいよっ」

 トフィーを綺麗な飛び蹴りで場外に放り出したのは、つまらなさそうにトフィーとヒメを見ていた女だった。

「……先輩?」

「有名盗賊団フラグメント、別名ヒメファンクラブ№0・親衛隊隊長部隊っす」

「なにそれ」

「要するにお嬢のファンっすよ。あの二人は追っかけみたいなとこもあるっす」

「追っかけ?」

「とにかくお嬢が大好きなんすよ。アマンドはお嬢に憧れてトレジャーハンターを志したってくらいっす。トフィーだって、まあお嬢が好きで、力量も認めてて、だから仲間にならないかって。それだけなんすけどね」

 ふうん、と呟いたきりエソラはじっとヒメを見ていた。

「ごめんねェ、バカ兄貴がセクハラしてっ」

「うおい妹! 裏ボス! おまえだって変わらないだろが」

「どこがよ」

「ヒメに抱きついた挙句、胸に顔押し付けるとか……ああああおまえヒメの柔肌に頬ずりとかずりいいい」

「女同士だもーん、変なことないよねっ……ヒメりんいい匂いくふふふふふ」

「下心があるならおかしいだろ」

「黙れ脳内ピンク」

「仮にも兄とボスに向かってひどくない?」

 遠い目をしてされるがままになっているヒメは、小柄なアマンドに抱き締まられるがままになっている。ヒメの豊かな胸元に顔を埋めるアマンドは「やーらかくてあったかァーいっ」とハートマークを飛ばしながら離れようとしない。正直苦しいが、くふふーと嬉しそうにくっついてくるアマンドの身体から温もりが伝わってくる。

『アタシ、憧れてトレジャーになったんですっ』

 初めて会ったときから、屈託のない笑顔を見せてくれたアマンド。

 断っても、断っても、曖昧にわらうだけでも、二人は何度もやって来た。

 アマンドは敬語も外れて、トフィーが口説き文句を口にするのが当たり前になって、それでも変わらず勧誘してくるのをヒメは断り続けた。

 やってくるたびに、まっすぐな好意をくれた。

 抱きつかれて苦しいものは苦しいけれど、――嬉しくないわけではないけれど。

「ごめんなさい、トフィー、アマンド」

 声の調子が変わったことに気づいた二人が、アマンドの腕の中のヒメを見る。

 そっと、手袋越しにアマンドの腕に触れて顔を上げる。

 息を呑むような、ふありと花のほころぶような微笑みで、ヒメが口を開く。

「あーあ、また振られたっすね」

 ロードが何の感慨もなさそうに呟いた。――どうせまた、いつもと同じ台詞っすよ。


「ヒメは誰かと居るのに向いてないのですよ」


 だから、ごめんなさい。

 ヒメは触れていたアマンドの腕をそっとほどく。

「頑固だなあヒメは。おれら何連敗だ?」

「さあ。でも諦めるかはこっちの決めていいことだから諦めないよっ」

「失恋上等! らっびゅーヒメ!」

「すきすきだーいすきっ! また来るからねェ、ヒメりんらあぶっ!」

 まったねーと陽気に手を振って、エンジン音を地響きのように轟かせて、トフィーとアマンドは去っていった。フラグメントの面々も、それぞれの車の窓から手を振っている。

 声の届く限り、姿の見えるうちは声の限りに叫んで大きく手を振るトフィーとアマンドに、困ったようにしかわらえないヒメを、エソラはじっと見ていた。

 むっとしたような空気を感じ取ったヒメが振り向くと、視線をそらされた。

 初めてのことだった。


 家路をたどる道すがら、エソラは一言も口をきかなかった。

 どうかしたのだろうかとロードに目配せしてみるが、助手席で肩をすくめて見せるだけ。突然口をつぐんで、黙り込んでしまったのだという。

 ホシミ村の家について、荷物を降ろして一息ついたとき、エソラが口を開いた。

「なんで?」

 苛立ちを、怒りを隠さない口調も初めてだった。

「何が、ですか?」

「なんでヒメは、そんなに魔宮にこだわるんだよ」

「この街が好きだからですよ」

「もう諦めなよ。死ぬよ」

「エソラだってハートがないと困るでしょう?」

「俺は、」

 諦めろよ、と言われたのは初めてではない。

 けれど、鋭い目をしたエソラはヒメを睨みつける。

 怯むな、わらえ――言い聞かせて、彼の言葉を待つ。

「……わかんないよ。ヒメは、生きてたい?」

「ヒメは、魔宮を攻略して、街を元通りにしないと、」

 遮るように、エソラが声を荒らげた。

「人の為って書いて偽物。人の夢って書いて儚い、でしょ? ヒメのしてることは偽物だし、ヒメの夢は儚いだけだよ。あんなに好かれてるのにスカウト蹴って、ひとりでいようとしてる。なんで?」

「なんでって、だってヒメは誰かといるのに向いてないんですよ」

「誰が決めたの?」

「だれって、そんなの分かってることですよ」

「……きらいだ、そのかお」

 頬が凍りついた。

「わらってたらいいって、思ってるの?」

 これは、もう、

「わざとらしいよ、嫌だ。むかつくよ。可愛いならいいって思うの?」

 ――ああ、だめだった。

「か、」

 声が情けないくらいに震える。ロードが何か言っているけれど聞こえない。

「可愛いことの、何が、悪いんです?」

 黙りこくって鋭い目のままのエソラに、呼吸も荒いままで言い返す。

「そんなこと、分かってるですよ。わざとらしい? 偽物? そんなこと、言われるまでもなく自分が一番分かってます。髪がどんなに短くても、男の子の格好しても、男の子の喋り方しても、何したって可愛いって言われて、あざといだの媚びてるだのって、――はは、知りませんよ。そんなの。暇なんですか? あなたも、みんなも……」

 私の頭蓋骨の肉のつき方を、指図される覚えはありませんよ。 

 もういいです、いつもの笑顔を作って声を絞り出した。

「もういい、土台無理な話だったんですよ」

 ――私が誰かと、一緒にいることなんて無理なことだった。

「手を組むの、ここでやめましょう」

「は?」

「来るもの拒まず去るもの追わずです。永遠なんてないって知ってる現代子にとって、軽やかな別れは現代っ子として当然のたしなみですから」

 にこりと、わらってみせる。

「あなたは好きにしてください。ヒメは、勝手にここにいますから。――私のことを好きでも嫌いでもなくても、私はこの街が大好きなんです」

 さよなら。

 少し見開かれたエソラの目を見て告げて、駆け出した。

 駆けて、駆けて、一人になると、涙がこぼれた。

 これでいい。これでいいんだ。

『泣くときはひとりのときでいい。泣くときは、ボクのことを思い出せよ?』

 ないと、とこぼれた声はかすれて音にもならない。

 私、ちゃんと、わらえたかな。

 タレ目を細めた――ナイトが好きだと言ってくれた笑顔で。


 ★


『馬っ鹿じゃないの?』

 それがナイトの口癖だった。

 小馬鹿にした口調で、口の端を片方だけ上げて皮肉っぽくわらうのが、不思議と嫌味なく似合っていた。

 ヒメの初めての友達で、ヒメにとっての憧れのヒーローだ。

 

「お前、馬っ鹿じゃないの?」

 校庭の端っこでぐずぐずと泣いていたら、呆れた声が降ってきた。

 びくびくしながら顔を上げると、長いまつげに縁どられた大きな黒い目がヒメを見下ろしていた。雪のように白い肌に映える、ぱっちりとしたつやつやの黒い瞳は声と同じに呆れた色がありありと浮かんでいる。

 黒いパーカーのポケットに両手を突っ込んで仁王立ちしている。

 ヒメと同じくらいの年頃なのに、やたらと偉そうな立ち姿が似合っていたのを憶えている。

「女の言うブスは嫉妬。それくらい知っといたほうがいいぜ」

 口の端を片方上げて、皮肉っぽくわらって言った。

 腰まである、瞳と同じ色の長い髪を揺らして、目の前の少女はにいっとわらった。

 とびきり可愛いのに、でたらめに格好いい女の子。

 それが、ヒメとナイトの出会いだった。


「どうして男の子みたいな話し方なの?」

 ヒメの問いに、ナイトはいつも通り口の端を上げてわらった。

 彼女はいつも、そんなふうにわらった。ヒメはその顔が好きだった。

 格好いいのに、可愛くて。

「こっちのほうが好きだから。ボクは長い髪が好きだけど、女の子みたいな話し方は好きじゃない。それだけの話」

「そうなの?」

「そうだよ、世界なんて案外シンプルなもんだぜ?」

 難しいなら、難しくしてるだけの話だ。

 いつもそうやって、自分の好きなものを、誰にはばかることなく好きだからとナイトは選んでいく。そんな彼女にヒメは憧れて、尊敬していた。

 すごいね、格好いいねとヒメが泣きはらした真っ赤な目で言うたびに、ナイトは首を振った。

「ボクはそんなんじゃない。そう見えるなら、お前の中にそれがあるってことだ」

「うそだ」

「ボクがお前に嘘ついたことあったか?」

「……ない」

「だろ? お前はすごくて格好良くて、可愛いんだぜ」

「……可愛くない」

「ヒメがどう思おうが、ボクはお前のこと可愛いって思うぜ?」

「……意地悪だ」

「どうとでも」

 カラカラとナイトは大きな口を開けてわらうので、ヒメもつられてしまうのだった。

 嫌いだったはずの「可愛い」と言われることも、ナイトに言われるなら、少しだけ嬉しかった。


「デザイナーになるのが夢なんだ」

 ナイトはそう言って、いつもそばにスケッチブックを置いていた。

「お前可愛いから、ボクのモデルな」

「え」

「ボクの専属モデル第一号。プレミアつくぜ?」

「そんな、私じゃだめだよ……」

「馬っ鹿じゃないの? ボクはお前がいいんだよ」

 決定な、と、にいっとヒメにわらった。

 本棚に並べたおとぎ話を開いては、物語をモチーフにした服を描いてくれた。

「ヒメは将来ナイスバディーになるぜ?」

「ええー……そんなことないよ」

「あるの。お前は将来有望だ」

 ヒメにはこれが似合うと、小物を作ってくれることもあった。

 レースのヘッドドレスに、大きなリボン、小さなシルクハット、水色の花飾り、赤いかんざし。ヒメの着ている服に「すぐ出来るから貸してみな」とレースを縫い付けてくれたり、花や小鳥などの可愛い飾りを付けてくれたり、ざんばらの髪を整えたり梳いたりしてくれた。

 服は取られることはなかったのでお守りがわりに着て行ったけれど、小物は大切にしまっておいた。

 取り上げられたらまた作ってやると言ってくれたけれど、怖くて外には付けていけなかった。


 コンコン、コココン。

 合図の通りにノックをすればナイトの声が答える。

「おー、おかえりちゃん」

 お疲れ、と手を上げるナイトは、いつもベッドに半身を起こして膝にスケッチブックか本を開いていた。いつだって、どんなヒメだってわらって迎えてくれた。

 ナイトとヒメが会うのは病院だった。

 もともと身体が弱いヒメもしょっちゅう病院に出入りしていたが、ナイトは病院にいた。ときどき家に帰ることはあっても、入院生活のほうがナイトにとっての日常だった。たまたま外泊中に学校に顔を出しに来たナイトがヒメを見つけたのだ。

 ヒメはナイトの病室にほとんど毎日訪れていた。

 たくさんの本に囲まれたナイトの病室は個室で、いつの間にかヒメ専用のクッションとブランケットが置かれていた。ヒメにとっては世界で一番の、どこよりも落ち着く場所だった。

 安心して、ナイトの顔を見るなり泣き出してしまうこともあった。「泣くのはひとりの時にしろって言ったろ」と言いながらも、ナイトは嫌な顔一つしないで頭を撫でてくれた。仕方ないなあと手招きして、ブランケットでヒメをぐるぐる巻きにして、ヒメが泣き止むまで手当たり次第に皮肉って、世界だって小馬鹿にしてみせた。

「自分より弱い奴がいないと生きていけないなんて馬鹿だ。でもみんな、自分より弱くてみっともなくて『下』の奴がほしくて、いっつも探してんだぜ。馬っ鹿らしいだろ」

「……」

「だから、ボクらはいつだってわらってやんのさ」

「……」

「『底辺』とか『どん底』なんて、馬鹿が勝手に線引きして呼んでるだけの、同じ世界なんだぜ?」

 ぐずぐずとヒメが泣いている間、ナイトはいつも、隣でずっと怒っていた。

 怒るというより、何でも手当たり次第に皮肉っていた。

 思い返せばそれらはすべて、ヒメが泣く原因になったもので、ヒメが泣き止むまでずっと話してくれていたことを思い出す。

 ナイトの言うことはときどき難しかったけれど、聞き手になれることが嬉しかった。

 そしてその言葉は、いまのヒメをしっかりと支えてくれている。


 ヒメがこの頃「カグヤ」だったように、ナイトもナイトではなかった。

 ヒメを「ヒメ」と呼び始めたのはナイトだった。

 ナイトと出会って、病室に通うようになってすぐのことだった。

「ぴったりだろ、お前可愛いもん」

「可愛くないよ、だって、私……」

「女のブスは嫉妬って言ったろ。ボクが可愛いって言ってるんだから可愛いんだよ」

 気弱なかぐや姫もいたもんだな、とナイトはカラカラとわらった。

 だから、とざんばらの髪が跳ねるヒメの頭をぽんと撫でた。

「ボクがお前の騎士ナイトになってやる。今日からお前は『ヒメ』な」

「……私には似合わないよ」

「似合う。お前ちゃんとしたらオヒメサマになれるぜ? いっくら髪が短かろうと、男の服しか着なくても、実際、結局、とどのつまりはお前、可愛いからいじめられてんだろ」

 ヒメは、物心ついた時からいじめられっ子だった。

 可愛いから。媚びてる。わざとらしい。作ってる。

 そんなふうに、誰が言ったかもわからない言葉から始まって、ヒメはいつも一人だった。

 色目を使ったとか、ちやほやされたいだけだとか、面と向かって言われることもあったし、影からこそこそと聞こえるようにいわれて、ひそひそわらわれたりした。

 靴がなくなって、教科書がなくなって、体育着もなくなって、机も椅子もなくなって。

 ロッカーに閉じ込められて、無視されて、水をかけられて、わらわれて。

 仲の良かったはずのトモダチだってヒメを遠巻きにして足を引っ掛けた。

 じわじわと広がって、女子だけでなく男子も加わるようになったが、規模が広がれば関わらないものも出てくる。傍観者達は無関心を貫き、教師には悪目立ちだと叱られた。

 無くなった物を一緒に探してくれる、事情を知らない他クラスや他学年がいれば媚を売ったとさらに行為はエスカレートし、親切で助けてくれたと思った相手から見返りを求められたこともあった。

『お前、馬っ鹿じゃないの?』

 そんなとき、ナイトが見つけてくれた。


 学校で出会ったのが奇跡のように、ナイトの病状は悪化していった。

 起き上がるのがやっとになっても、ナイトはデザインを描き続けた。

 悪化していく病状に、ヒメができることはなく、ただ毎日病院に通った。どんどん弱っていくナイトを見て、泣きそうになるヒメに「ひっでー顔」と青白い顔でわらった。

 そのうちに、ナイトの転院が決まった。もうツクヨミ街の病院で出来ることはなかった。


「強いんだぜ? オヒメサマってのは」

 転院の前日、ナイトは唐突に話しだした。

「それからは幸せに暮らしました、っておとぎ話のハッピーエンドは言うだろ。でもさ、白雪姫は継母に殺されかけて、シンデレラは虐待だろ。ラプンツェルは誘拐されて監禁の挙句に失明して死にかけるし。そもそもほんとは継母じゃなくて実の母親なんだぜ? ちゃちな昼ドラなんか真っ青な修羅場を繰り広げて『幸せに暮らしました』なんて無理だろ」

 首を傾げるヒメの言葉に頷く。

「でも、書いてある。幸せに暮らしたんだって。」

「それはさ、剣振り回す王子よりもオヒメサマたちのほうがずっと強いからなんだぜ」

 二人きりの病室は秘密基地のようで、ほかには誰もいない。

 そう、強いんだ。オヒメサマは、強い。 

「彼女たちは自分を殺そうとした相手を許し、一国の王に嫁いだなら妃として城を、国を影から治め、一目惚れで結婚決めた馬鹿な王子との関係を良好に保つべく心を砕き、トラウマになるような記憶に向き合い、そうして見えない剣を振るって、しあわせを作り上げたんだ」

 オヒメサマは、自分で作ってみせるんだぜ。

「最強だろ? そんで最っ高だ」

 大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐いて、ヒメの頭にぽんと手を置いた。

「お前だって、彼女たちみたいになれるんだぜ?」

 嘘だといえば、嘘じゃないとナイトが言う。

 始めっから、お前だからボクは声をかけたんだ。

「痛めつけられたり嘲笑われたりしたとき、やられたことをそのままやり返すやつと、やられた『から』やらない奴がいる。痛いのも辛いのも、忘れないから、忘れられないから、他にぶつけんじゃない。痛かったから、やらないってのを選べる奴。――お前のこと。それが出来るのは、お前がオヒメサマだからなんだぜ?」

 堪えて、俯いて、それでも一線は越えなかった。やり返すことなんて考えなかった。

 余裕がないからとも言えるけれど、ナイトはそれを優しさと呼んだ。

 よいしょ、と身体を起こしたナイトはスケッチブックをヒメに差し出した。

「これ、ナイトがデザインしてたやつ?」

「そう、お前のデザインな」

 これが似合うオヒメサマに、お前はなる。

 なれるではなく、なる、とナイトは言った。

「見えない剣の振るい方だって、ボクが教えてやったろ」

「ボクはナイトだぜ? オヒメサマを守る騎士ナイト


「ヒメ、お前の未来まで守ってやんよ」


 ナイトの声がヒメに魔法をかける。

「その一、笑顔を忘れないこと」

 一番肝心要だ。

 どん底だろうが、ボクらはわらうんだ。

 弱いもの探ししてる馬鹿はいつでもどこにでもいるから。

 目をつけられたって、踏みつけられたって、ボクらはわらうんだ。

「その二、ありがとうとごめんなさいを忘れないこと」

 ヒメは得意だけど、お前ありがとうって言うときなのにごめんなさいって言うだろ。

 気弱に見えるから、ちょっと頑張って直しとけ。

 挨拶って思ってるより大事だったりするんだぜ?

 どんな縁が、何と繋がるかわかんないからな。

「その三、心はいつも自由であること」

 お前がボクに憧れてるなら、ボクみたいにはなるなよ?

 ボクはお前になりたくてもなれない。

 だからお前もボクにはなれない。

 それがいいんだろ。

 だからボクはお前のこと、こんな大好きなんだから。

 どんなエンディングでも、――これがハッピーエンドだって決めるのは、お前なんだぜ?


「泣くときはひとりのときでいい。泣くときは、ボクのことを思い出せよ?」


 そしたら、これからヒメは絶対一人にはならない。

 ボクはヒメをひとりにしない。

 泣きじゃくるヒメを抱きしめて、ナイトはずっと背中をさすってくれた。

「これだけボクの胸で泣いたら忘れらんないだろ?」

 ナイトの声はいつも通りに聞こえたけれど、ヒメはただしがみついていた。

 このまま時間が止まればいいと思った。

「絶対帰ってくる。そしたらボクは教会でデザイナーになる」

「待ってる。私待ってるよ」

「馬っ鹿じゃないの? 待たなくていい」

「や、……やだ。待つの」 

 ナイトはヒメが初めて発した「嫌だ」という言葉に目を見開いて、わらった。

 あの、口の端を上げたわらい方。

 ナイトによく似合う、ヒメの大好きな笑顔で。

「やっぱお前最っ高だぜ。――ありがとう、ヒメ」

 ナイトは見たことがないくらいに優しく目を細めて、ヒメに小指を差し出した。

 指切りをして、わらって、手を振った。

 その直後、ツクヨミ街に魔宮が出現して教会も街も飲み込んだ。


「……針千本、飲ませちゃいますよ」

 願掛けだと、手紙のやりとりも含めて連絡はしないと決めていた、

 だから、ヒメは何も知らない。

 十年たっても、ナイトから連絡もなければ、どこにいるのかもわからない。

 ばかナイト、と泣き腫らした目で見上げた夜空に、相変わらず月はなかった。


 ★


 無事に依頼された迷宮を攻略して、キュートで達成の連絡を済ませる。

 依頼された迷宮は「ヘンゼルとグレーテル」だった。

 お菓子の家には鉈を振り回す魔女が、炎の吹き出す魔法陣を背に襲いかかってきた。

 森には鋭すぎるくちばしの小鳥の群れと、道を惑わせる光る小石。

 鍵はヘンゼルとグレーテルの家の中に、鍵穴はお菓子の家のマカロンで出来た扉だった。

 ふわふわのマカロンカラーのドレスに、お菓子のモチーフをあしらった小さなシルクハットを付けたヒメは、ふう、とキュートを肩に乗せて車にもたれていた。つかつかと歩いてきたロードに首を傾げる。

「ロード?」

「だーからパンチラっすよ! あれっだけ言ってるじゃないっすか!!」

「あ。」

「あ、じゃないっすよ! 腰は冷やしちゃだめだって言ってるじゃないっすか」

「心意気なのですよ?」

「止めるのが保護者としてのオイラの心意気っす!!」

 ふーっと長く深いため息の後、お嬢は助手席に乗ってくださいとロードが運転席に乗り込む。

「今日はケイト嬢のところに行くんすよね?」

 パンチラしたら運転交代、約束したっすよね。

 有無を言わせない口調に、頷くしかなかった。空っぽの後部座席には、ヒメの毛布やらが積まれているだけで、眠りこけている赤髪の少年はもういない。


「ともだちが元気ないときに頑張るのは、ともだちの醍醐味なのだ」

 一緒にお昼を食べていたケイトの言葉にはっと顔を上げる。

 ロードはついでにと武器屋に行っている。

「元気、ないように見えますか?」

「見えるよん。前に来た時よりは、寂しそうかな」

「そんなこと、ないですよ」

「ヒメちゃん、家族って言ってたでしょ。だから寂しくて当たり前なんだよ」

 エソラくんがいなくなったって、文面で元気ないのわかったよん。

「これ、食べて」

 返す言葉のないヒメの目の前に、白くて丸いものが差し出された。

「……たまご、ですか?」

「新鮮なやつ、卵かけご飯にぴったりなのだ」

 ヒメちゃん好きでしょ?

 ケイトがわらう。温玉に塩ちょこっと振って食べるのも好きで、卵かけご飯は醤油って決めてるもんね。

「これ食べて、倒れないようにしなね?」

「ありがとうです、ケイト」

「どいたま。ヒメちゃん来るって聞いたたまご屋さんが、渡しといてくれって預けてったの。黄身が黄色じゃなくてほとんど濃いオレンジなのだ。美味しいよ」

「……食べたんです?」

「味見だよん」

 横ピースで満面の笑みを見せるケイトに、思わずふふっとわらってしまう。

 変わらないなあ、と思う。ケイトのこういう優しさに何度救われたかわからない。

「あ、やっとわらった」

「え?」

「ずっと難しい顔、してたよ。さびしそうだった」

「そんな、ことは、」

「ロッさんは何も言わないんでしょ? でも、いつでも呼んで」

 まっすぐな言葉をくれるケイトに、ヒメは頷くしか出来なかった。

 買い出しをして、ケイトに見送られてホシミ村に戻る。

 車の中では当たり障りのない、エソラがいなかった頃に戻ったような「普通」の会話がぽつぽつと交わされる。

 ロードはあれからエソラの名前すら口にしない。

 世界にいなくちゃいけない存在なんていないんだと知らしめるように、世界もヒメの日々も問題なく回っていった。


 ★


 魔宮に挑むのは、これが一万と二回目。

 一万回でもだめだったならもうだめかもしれないと、何度も思った自問自答を繰り返すが、それで諦め切れたら一万回も挑戦していない。

 ロードと挑み、有刺鉄線を躱しながら古い城を駆けた。

 新しいエリアを見つけて、糸車の部屋かと入っていくと、――床が抜けた。

 落ちた先は底も壁も石造りの城とは違う、明らかな金属の感触で、ぞっとした気配に振り向けば巨大な蛇が姫とロードを見下ろしていた。

 ――間に合わない!

 牙を剥いて向かってきた大蛇を躱すも、間髪入れずに伸びた尾がヒメを捕える。骨が軋むほどに締め付けられて身動きがとれない。

「お嬢!!」

 ロードが大蛇の目を撃って、ゆるんだ隙に抜け出すも、気付けば大蛇の群れに囲まれていた。

 鋭い牙から滴るのは間違いなく毒で、神経毒か出血毒かは分からないが、噛まれて生きていられるようなやわなものではないだろう。

 王子がふらりと現れて、何事か囁いて――涙を流している?

「!」

 ヒメは気がついた。

「ロード、この魔宮はもうひとつの『眠り姫』です」

「もうひとつ?」

 蛇とにらみ合ったまま、ヒメは手早く説明する。

 眠り姫は目を覚まして終わるものと、もうひとつのエンディングが存在する。

 目を覚ました眠り姫と結婚した王子は、二人の子供が出来ても妻と子供を隠し続ける。王子の母親は人喰い人種だという噂があったからだ。それでも父の死後、王になった王子は隠し続けることが困難になり、妻と子供を公表する。しばらくは何も起こらなかったが、息子が仕事で留守にするやいなや、母親は子供を食べたいから持って来いとコックに命ずるのだ。

 愛らしい子どもを殺すことはできないとコックは自分の家にかくまい、もうひとりの子供も、眠り姫も同じようにして匿った。しかし、それに気づいた女王は怒り狂い、大きなたらいに毒蛇や毒蛙などをいっぱいにいれて、騙した罰だと眠り姫たちにその中へ飛び込めというのだ。

 そこに王子が帰ってきて、気の触れた女王は自らたらいの中に身を投げて死んでしまう。

 王子はどんなであれ母だった女王の死を悲しんで涙するものの、妻と子供たちに悲しみを癒されて、その後は王としての務めを果たし――幸せに暮らすのだ。

「シンデレラにこのおまけが付いていることもありますが、ここだったみたいです」

「鍵はいいとして、鍵穴はどこっすか?」

「それでも糸車がないのでそこで間違いないです、ただ大蛇を想定していませんでした」

「群れっすか……蛙も来るんすか、ね!」

 大蛇が一斉に襲いかかる。

 床は深く十メートルはある。跳んで戻ることは無理だ。壁も金属で手足を引っ掛ける場所もない。

 舌打ちして王子を見上げる。ポケットが、銀色に光っている。

「鍵が見えてるのに……!」

「お嬢! ――避けろヒメ!!」

「っ!」

 牙を顎ごと蹴り砕いて、鍵に目をやった一瞬で吹っ飛ばされる。

 振り上げられた尾をまともにくらってしまったらしい。嫌な音がしたからどこか折れたかもしれない。

 立ち上がり、一歩踏み出すごとに襲う痛みが意識をつないでくれる。

 ふらふらでも、加減なんてきかなくても、ポイントはまた残っている。一ポイントでも残っている限り、ヒメは諦めるわけにはいかないのだ。

 ナイトのため?

「さい、ですよ」

 ――違う、ナイトと約束した自分のためだ。

「うっさい、です」

 偽物だとか、そんなことはどうだっていい。

「うっさいんですよ!!」

 息も絶え絶えに、ロードが数匹倒しても未だ残っている大蛇を睨みつけた。

「人の為は、偽物で、人の夢は、儚くて――だったら、だったらなんだって言うんですか!! そんなもんにこだわってんのは、こだわれんのはド三流です!」

 ふらつく身体で立ち上がり、ヒメは牙をむいて襲いかかる大蛇を避ける。

 蹴り上げて顎が砕けなくても、目を狙う。

 振り回される尾を受けて、その勢いのまま壁を蹴って、攻撃に転じようとするも、触れた壁から魔法陣が出現する。

 ――あっちゃあ。

 それでも強気にわらったヒメは、ナイフのような刺をまとった有刺鉄線に受身を取って床に転がり体勢を立て直す。

 糸車の音は、変わらずにカラカラと響いている。

 ロードも大蛇を相手に傷を受けながら戦っている。歯を食いしばって立ち上がり、群れをなす大蛇に立ち向かう。

「……おっせーんすよ、女待たせるからお前はガキなんすよ」

 ロードが舌打ちして呆れた声で言う。

 何ですか、と聞こうとしたとき、信じられない声がした。


「Random shooter」

 ――Bullet of shooting star



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